大阪篇'10年撮影分G(水都の都心篇)



 

左:2010年3月16日、奈良に行った帰りに撮影した、淀屋橋よりの夜景。中央やや右に、破壊の危機に瀕している朝日新聞大阪本社が見えている。一番左の不細工な超高層は放射能汚染で人類滅亡を目論む悪の秘密結社、関西電量のアジトである。
右:中之島にある日本銀行大阪支店。外壁保存の上のリノベーションであるが、元の建物は1903(明治36)年、辰野金吾の設計で建てられている。



 

左:日銀大阪支店正面。ネオ・バロック様式の壮麗な建物である。
右:中之島ガーデンブリッジから、重要文化財である大江橋を遠望する。



 

左:翌17日、たまたままた同じ場所を訪れている。中之島ガーデンブリッジと、戦後モダニズムの傑作なのに愚かな悪徳不動産会社によって取り壊しが決まっている新ダイビル。1958年、巨匠村野藤吾の作品である。
右:そして大江橋。



 

左:甚だしく不細工で非常に評判の悪い、京阪中之島線大江橋駅の地上口。これも安藤忠雄だそうだが、本当に作者の下品な自己顕示欲だけが前面に出て、明治建築である日銀大阪支店との調和など全く考えられていない。ひどいものである。
右:美しく修復された、芝川ビルの正面玄関。渋谷五郎、本間乙彦の設計で、1927年竣工である。国登録有形文化財。



 

左:焼夷弾を受けて痛んでいた玄関回りの石彫が、見事に復元された。
右:右書きで「道修町 道親會」と書かれている古いマンホール。



 

左:平野町通りまで南下。こちらも本間乙彦によって1930年に建てられた、小川香料ビル。アール・デコの美しいステンドグラスは有名である。国登録有形文化財。
右:小川香料の玄関周り。



 

左:小川香料ビルの主階段。非常にシンプルなデザインである。エレベータはない。
右:船場地区を挙げて「まちなみ修景工事」が行われているようだ。



 

左:塀越しに見えているのが重要文化財小西儀助商店。その隣りの敷地も、一番奥に三階蔵が残っていた。
右:道修町通りに沿って、一応和風の塀も設えられている。



 

左:そして小西儀助商店。この規模の大店が都心に残っているなど、奇跡というほかない。
右:1935年に架けられた平野橋から見た、第一三共ビル別館裏側ファサード。正面から見ると全く判らないが、こちらから見ると明らかに戦前の近代建築である。但し、本当に誰も気づいてないようで、検索しても近代建築としてこのビルを取り上げているのは当サイトだけである。都心なのにこういう物件もあるのだ。



 

左:第一三共ビル別館。明らかに幾何学模様の装飾がある。
右:平野橋、つまり東横堀川を渡ると「大阪城内」になり、町名に全て「内」がつくようになる。可愛い名前の喫茶店があった。



 

左:レタリングが撮っても渋い、大阪洋服会館。もはや「昭和戦後レトロ」である。
右:これまた昭和戦後レトロな集合住宅兼オフィスビル。公団の市街地住宅だろうか? ニュー大阪ビルディングという名前だが、全然ニューでない(笑)。検索してみたらやっぱり「UR都市機構天神橋市街地住宅」と出てきた。 



 

左:松屋町筋(まっちゃまちすじ)に面している、かなり巨大なニュー大阪ビルディング。
右:更にまっちゃまち筋を南下すると、面白い看板建築の「珈琲豆 ヒシヤ」があった。これは戦前だろう。



 

左・右:そして宇野薬局が見えてきた。正面部分が二階まで覆われてしまっているが、1933年竣工の国登録有形文化財である。



 

左:本町橋東詰を南下したところにある、恐らく木造二階のビルヂング風事務所長屋。戦前だと思われる。今は「カフェMU」など、お洒落系のお店が入っているようだ。裏側は東横堀川に直接面している。
右:内部。床も階段も木造であった。



 

左:同じく。
右:玄関は豆タイルだった。



 

左・右:本町橋から「カフェMU」を見る。



 

左:「アイスクリン」の老舗として非常に有名な「ゼー六」。ここも戦前の木造長屋である。1927年築とのこと。創業は更に古く1913年なので、もうすぐ百年!!
右:伝説的木賃宿、「ホテル関西」のアジアンゴシックで派手なネオン。しかも、ホテル本体ではない。「次の角左」とあるように、誘導看板なのだ。



 

左:ここからは4月3日の撮影である。登録有形文化財、大阪倶楽部の屋上への階段。
右:階段のアーチ窓。壁が分厚い。



 

左:屋上から見た屋根。スペイン瓦葺なのだ。
右:屋上が喫煙所になっていた。ひょっとして、この「男性のみの会員制社交倶楽部」も屋内は全て禁煙なのだろうか? ちょっと可哀想な気もする。あ、そういえば四階ホワイエにも喫煙コーナーがあって、強力な吸煙装置が置いてあった。



 

左:大阪倶楽部の屋上。
右:屋上は会員オンリーのゴルフ練習場だった。



 

左:四階から屋上への階段は、主階段の続きながら裏階段のような簡素な造りである。
右:四階から下はこのように赤絨毯式の豪奢なもの。



 

左:手摺りも非常に凝ったものだった。
右:そして、4月9日である。花見には少し遅かったのだが、桜ノ宮公園を訪ねた。源八橋から見下ろした大川(旧淀川。桜の花弁が打ち寄せられている。



 

左・右:非常に風流である。環状線の鉄橋を渡っているのは223系なので、紀州路・関空快速だろう。



 

左・右:環状線と源八橋の間の河川敷に、在日韓国朝鮮人の人々の宗教施設「竜王宮」が戦後すぐからあるのだが、どうやら移転が決ってしまったらしい。確かに河川敷の「不法占拠」だし、増水したら浸水するエリアだが(といっても毛馬水門で水量調整される大川がそこまで増水するようなことは滅多にないだろう)、非常に惜しい。



 

左:源八橋から下流を見る。
右:源八橋西詰の河原にあった、一條實孝侯爵揮毫の石碑。



 

左・右:対岸から竜王宮を見る。廃バスまで置いてある。どうやって運んだのだろう? 



 

左:桜と竜王宮。美しい光景である。
右:桜と環状線鉄橋。



 

左・右:桜ノ宮公園のヌコ様たち。



 

左:桜ノ宮公園の桜と、ラブホ街の「ホテル伯爵」「ホテル男爵」。
右:ボートだまり附近を遠望。



 

左:手前の醜悪な橋が安藤忠雄の新桜宮橋。その奥に銀橋こと桜宮大橋が見えている。
右:新桜宮橋と遊覧船と鈍器。「ドン・キホーテ」と見事に調和しているのは、さすが安藤忠雄というほかない。



 

左:旧・桜宮橋の階段塔。内部は橋の上と河原公園を結ぶ螺旋階段である。かつては上流側にもあったのに、醜悪な新橋のために破壊されてしまった。
右:桜橋西詰下流側すぐのところにある、「みゆき○跡」。造幣局へ引き込まれる堀だったようで、埋めた跡もわざわざ痕跡を残し碑まであるということは、「みゆき」とは「行幸」で、昔天皇が来たときに使用されたのだろう。



 

左:まだ満開の大木もあった。
右:階段塔と銀橋



 

左:大川を行く外輪観光船。電車は京阪電車である。
右:天満橋駅まで歩いて、旧松坂屋大阪店(現・京阪シティモール)の屋上に上がってみたら、どういうわけか不動明王が祀られていた。かなり奇異であるσ(^◇^;)。サイトのフロアガイドを見ても全く無視されているのが、更にけったい感を増す。個人ブログは色々出てきたのだが。それにしても、ビルオーナーの京阪電鉄は、元々デパートだったこのビルを「京阪百貨店本店」として活用する気は全くないらしい。大手私鉄系の百貨店で、都心ではなく郊外に本店を構えるところ、京阪のほかは京成(郊外というか、沿線ですらない水戸であり、水戸においては中心市街地に位置する。上野本店など他の店を全て畳んだからなのだ。)と京急(郊外とはいえ一応横浜市内)ぐらいなのだが。因みに「出会い不動」という、些か不謹慎な名前である。



 

左・右:シティモール天満橋屋上からの眺め。



 

左:大川に沿って土佐堀通を西進する。北浜にある、確かかつては醫院だったはずの蔵造りの町家(二軒長屋)。「株式会社正和」となっていた。なんと明治三十年代のもの。百年以上経っている都心の文化遺産である。文化財として保護すべきだろう。
右:蔵造りの長屋なのに、なんと玄関は洋風でペディメントが設えられている。実にはいからな趣味である。



 

左:「正和」の玄関。残念ながらもう一軒の玄関周りは改装されてしまっている。
右:北浜レトロでお茶してから、更に歩く。重要文化財、大阪府立中之島図書館である。何度も登場しているので、データは省く。



 

左:美しくライトアップされた水晶橋。
右:水晶橋から見た図書館。



 

左:水晶橋は元々可動堰だったので、路面は高くなっている。車は通れない。
右:水晶橋から見た大江橋と日銀大阪支店。川は堂島川(旧淀川)である。



 

左:梅田新道(通称梅新)交叉点から西を見る。
右:さて、また日が変わった。桜が更に散っている。4月15日、川崎橋西詰から、上流側の河原を見たところ。ソメイヨシノはほぼ散っているのに、露店がびっしり並んでいて大変な人出である。なぜかといえば、造幣局の通り抜けが行われているからなのだ。



 

左:川崎橋と、近代和風建築である大阪城天守閣。武田五一の設計で1931年に建てられた登録有形文化財である。
右:大変な賑わいの、大蔵省造幣局(今は独立行政法人だが(-公- ;))南門。馬鹿な小泉の格差社会政策によって大蔵省から切り離されるまでは、霞ヶ関以外にある唯一の中央官庁であった。



 

左・右:様々な品種の里桜、山桜が植えられていて、壮観である。



 

左:緑色の珍しい桜は鬱金という品種。
右:あまり花に興味のない僕だが、桜は好きである。



 

左・右:造幣局で一番古い建物は、造幣博物館として活用されている。1911(明治44)年に、造幣局の電力を賄う発電所として建てられたものである。設計は河合浩蔵。



 

左:しかし通り抜け期間中は博物館は閉館で入れない(-人-)。
右:現・造幣局本館も近代建築である。明治期の機械が屋外展示されている。1938年竣工で設計は大蔵省営繕課。側面は薄い付け柱だがジャイアントオーダーとアーチ窓が並ぶ古典主義的なデザインである。



 

左:本館側面の長大なファサードと桜。
右:明治期の瓦斯灯が移設保存されている。



 

左:阿呆なポーズをとっているのは、一緒に行った神学部の後輩、広崎陽嗣君である。
右:明治期の門と門衛所も移設されている。ウォートルスの設計だろう。



 

左:本館の階段塔。非常に美しいアール・デコ調デザインであった。
右:モダニズム風のすっきりした正面ファサード。



 

左:正面をもう一枚。
右:正門を出て右を向くと、すぐに桜宮橋(銀橋)である。夜景が美しい。



 

左:この日は、とてもソメイヨシノが散ったあととは思えないものすごく寒い夜だったのだが、どこの大学の漕艇部か、ボートが一艘大川を下っていった。
右:凍えながら撮影した、ほぼ散ったソメイヨシノと大阪城。



 

左:銀橋から見た大阪城。
右:美しい橋である。



 

左:銀橋の夜景。
右:銀橋から見た造幣局本館。階段塔を境に側面の古典主義と正面側のモダニズムに分かれている。



 

左:更に下流を見る。
右:百済附近で見つけた、「TANAKAYUKI BMW」。個人名、それも女性名のディーラーなのか? サイトを見たらうんと新しい80年創業の会社で、創業会長が田中幸夫さんなのであった。ともあれこのあと、僕はそのまま東下りして、御殿場で吹雪に見舞われるのだ(´ω`;)。旅日記は「弐千拾年関東下向記Z(四月の猛吹雪)」から始まる。



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