富田林寺内町再訪
左:前章に引き続き、2010年2月23日に富田林寺内町を探訪した折の写真で構成する。これは重要文化財「杉山家住宅」にて。茶室の露地と、変わった床の間。これでは軸などは飾れない。
左:猫の描かれた板戸。
右:豪壮な障壁画。
左:大変凝った造りの欄間。
右:しかし、江戸時代の生活って非常に暗かっただろう。
左:こちらも絵入の床の間。これでは花など活けたり軸をかけたりしにくいと思うのだが。
右:先ほどの欄間を反対側から。
左:とにかく非常に凝った建具が多かった。
右:茶室の炉。
左:庭園の隅に祀られた屋敷神。
右:便所。木製の朝顔であった。
左:個室の金隠しも木製であった。
右:甕が埋められている。
左・右:手水鉢二つ。いずれも古いものを持ってきたのだろう。左の写真の窓は便所である。
左:石臼が沢山埋められている庭園。
右:庭の井戸。
左:これまた素晴らしい欄間障子。
右:ツシ二階より急な階段を見下ろす。
左・右:離れ二階からの景色。右が母屋である。
左:庭の隅には猫様がいらっしゃった。
右:質素な造りの離れ二階。
左・右:母屋には明治になってからつけられたのだろう、洋風の螺旋階段があった。
左・右:母屋の二階も天井も張られていない、簡素なしつらいだった。
左・右:洋風の螺旋階段を下りる。かなり急であった。
左・右:大工の棟梁が四苦八苦して作ったのだろう。
左:玩具のような螺旋階段。
右:梁を切って、階段の柱で支えてある。
左:二月末だったので雛人形が飾られていた。
右:土間の台所。梁がものすごい。
左:庭から見た母屋。
右:母屋と離れの繋ぎ目。離れも本瓦葺である。写っているのはヒロポン。
左:蔵はさすがに桟瓦葺きであった。
右:蔵の前を歩くrjuka君。
左:古い鬼瓦が飾られていた。
右:蔵。
左:蔵前から見た庭園と母屋。
右:蔵に展示されていた氷式冷蔵庫。
左:展示品より、行燈、火鉢、書見台など。こんな大邸宅でも、昔は暗くて寒くて大変だったろう。
右:版木とそれで刷った便箋。
左:これも版木類。左のものは酒造家で豪商であるとともに大地主でもあった杉山家が、地代として小作人から米を受け取った時の領収証である。
右:歌人石上露子直筆の手紙。
左・右:屋敷神はお稲荷さんだった。
左・右:豪壮な屋根。最早城郭のようである。破風の連なるさまは、同じ寺内町である奈良県橿原市今井町の名家、重要文化財今西家住宅に通じるものがある。
左:杉山家住宅の庭隅にある新築の便所。新築である!! ものすごくよくできていた。
玄関三和土からツシ二階に上がる梯子。
左:杉山邸ファサード。
右:やや悼んでいるが、とてもいい雰囲気の町家。
左・右:同じ町家の細部。建具が素晴らしい。
左:古い三軒長屋。
右:二階窓の建具がこれまたいいものであった。
左:これは二軒長屋。
右:同じ長屋にて、不思議な光景であった。
左:廃墟の塀に置かれた、猫らしき陶器の置物。
右:前回も探訪した長屋の露地の奧に、先ほど展示されていたのとよく似た木製氷冷蔵庫が無造作に置かれていた。これには驚いた。
左:錆付いた雨樋に貼られているのは、なんとし尿汲取り票であった!!!!!!
右:融通念仏宗半偈山(はんけいさん)三仏院(さんぶついん)浄谷寺とPL塔。
左:昔懐かしいスタイルの呼び鈴。僕が高校生ぐらいまではこのタイプの新品も売られていたように思う。
右:「八町茶屋」にて河内名物「赤ねこ餠」を食す。美味であった。赤ねことはまた変わった名前だが本来は半夏生の頃に食べるものらしい。