大阪篇'10年撮影分B(富田林寺内町)



 

左・右:前章に引き続き、2010年2月21日撮影分から始める。富田林寺内町の南端にあった、勝間家住宅。公開されていたが、この時既に16時を過ぎていたので入れなかった。高野街道が寺内町に入ってくる要の位置で、要塞化されていたそう。



 

左・右:高野街道が寺内町に入る町の入口にあった道標と、その解説。塀が見えているのは勝間家住宅である。



 

左:勝間家住宅。表も塀が高いが、裏側は石川の河岸段丘の断崖で、確かに要塞化して町の防備を固められる立地である。
右:このように、高野街道は坂道となって寺内町に入る。正面の大きな家のところに上の道しるべがある。車が止まっているところの右側は奥から延々と続いている勝間家住宅。



 

左:勝間家の西端は土蔵だった。
右:石垣の上に土蔵が建ち、その奥には築地塀が続いている。確かに攻めにくいだろう。



 

左:片側は建替えられてしまっている路地。ちょっと残念。
右:古い木製牛乳箱。



 

左:「美容と健康の泉」というコピーがいい。しかし片岡牛乳は残念ながら昭和末期に廃業したとのこと。それにしても、リンク先「漂流牛乳」によると僕ら関西人にはすごく馴染み深い「いかるが牛乳」は親戚筋の二社が並立しているとのこと。今の今まで知らなかった。字は「斑鳩」ではなく「鵤」。
右:これもすごい邸宅、佐渡屋・仲村家住宅。寺内町初期からの有力町衆、八人衆のうちの一家で、造り酒屋であった。幕末に吉田松陰が逗留したこともあるとのこと。



 

左:仲村家の説明板。
右:屋根が相当傷んでいるようで、中尊寺金色堂のように覆い屋がかけられている。



 

左:仲村家正面ファサード。
右:中村家の丸窓。



 

左:仲村家住宅。ここまで間口が広い町家も珍しい。
右:仲村家。奧の母屋の煙出し部分のようだ。



 

左:乳母車を押すお婆さん。とても絵になる光景であった。
右:月極だろうに、安い。



 

左・右:佐渡屋の向いは、これも江戸末期の建物である上野家住宅であった。屋号は不明。



 

左:片岡牛乳はあちこちで見かけた。
右:素敵な門燈だが、ボロボロになっていて惜しい。



  

左:同じ長屋。残念ながら空家でかなり傷んでいる。
右:その並びにあった「寺内町センター」。無料で入れるが、このときはもう閉まっていた。非常によくできているが、これも新築らしい。



 

左・右:そしてこの巨大な町家が重要文化財杉山家住宅。屋号はわたや。その名の通り元々は木綿商だが、造り酒屋として成功したとのこと。こちらも富田林八人衆の一角を占める旧家であり、明治期の著名な歌人石上露子の生家である。露子は山崎豊子女史の小説「花紋」の主人公御室みやじのモデルとされている。



 

左:杉山家の説明板。
右:杉山邸の東隣のお宅のにゃんこ。可愛かった。



 

左:同じお宅。かなり大勢の猫様がいらっしゃるようだった。
右:杉山邸の煙出し。



 

左・右:杉山邸も既に閉まっていては入れなかった。



 

左:杉山邸の向い、寺内町センター。
右:杉山邸の正面は南面している。

 

左:かつては一ブロック全てを占めていたという杉山邸。
右:杉山邸西側。こちらにも門があるが、塞がれていた。



 

左:道路を挟んで杉山邸の西隣のお宅、和田家住宅は、昭和初期風の洋館付「文化住宅」(戦後の「関西式文化住宅」ではない、大正時代の言葉)であった。



 

左・右:「大正式文化住宅」の洋館。かなりシンプルなので、昭和も二桁になってからと思われる。



 

左:ところどころに寺内町の案内地図が設置されていた。
右:古い町家だが、修理もしくは増築の際に青瓦が使われたようで、面白い。



 

左:案内地図に載っていない大規模町家も結構あった。PLタワーが見えている。古い寺内町の遠景にガウディのような超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔。富田林というのはシュールな街である。
右:西日が射していて条件が悪かったとはいえひどい写真だが、立派な扁額のある町家。



 

左:松井春峰堂という表具屋さんだった。
右:その向いの町家。上段左の写真と同じ建物である。



 

左・右:夕闇のPLタワー。



 

左・右:古い明治牛乳の木箱。



 

左・右:この辺りを歩いているとPLタワーが気になってしょうがないσ(^◇^;)。



 

左:廃墟もあった。
右:一部「現代風」に改装されているが、廃墟の隣りは渋い長屋であった。



 

左:えらく立派な屋根を持つ長屋であった。
右:しかも複雑な構造になっていて、内部にはこのように狭い路地から入るようになっていた。



 

左・右:路地というより、通路であるが、こんな感じである。壁は土壁。



 

左・右:通路の奧はちょっとした中庭になっていた。



 

左:中庭には共同便所があり(右の小屋)、このときは気づかなかったが木製冷蔵庫なども置いてあった。
右:立派な装飾つき瓦屋根の長屋。



 

左・右:同じ長屋を街路側から見る。



 

左・右:長屋とはいえ門と小庭付きである。空き家も多かった。



 

左:「し尿」と書いてある。汲取便所なのだろう。
右:玄関先。



 

左・右:長屋の角には謎のキューブがあった。モノリスだろうか(笑)?



 

左・右:長屋の斜め向いは融通念仏宗半偈山(はんけいさん)三仏院(さんぶついん)浄谷寺であった。寺の伽藍とPLタワーの対比が面白い。



 

 

上四枚:いずれも浄谷寺とPLタワー。いっぱい撮ってしまったので、これでも一部である(笑)。



 

左:浄谷寺の説明板。
右:本堂。



 

左:山門の向こうに、チラッとPLタワーの先端が見えている。
右:関東大震災後に流行した銅版張りの町家も何軒かあった。



 

左・右:かなりの規模の数寄屋造り住宅があったのだが、残念なことに空き家となってかなり荒れていた。



 

左:数寄屋豪邸の門。大谷石で洋風であった。塀もブロック塀だし、門と塀は戦後に造り直したのだろう。
右:また交流館、「なな菜」前に戻ってきた。



  

左:閉店後の「八町茶屋」展内を窓から撮影。
右:これも大邸宅、北越井家住宅(平尾屋)。



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