骨董建築写真館 九州篇・其ノ六
骨董建築写真館

九州篇・其ノ六

其ノ六では其ノ五に引き続き、二千三年二月末の九州旅行の写真で構成したい。まずは別府市からである。

上:泉都別府ならではの光景。市街地でもいたるところに源泉があるが、街外れに行ってもこのように田んぼの真ん中に当り前のように温泉が噴出している。僕が珍しがって写真を撮っていると、地元勢の風太とアキ少年は「こんなもの何が面白いんだ」という顔をしていた。

 

左:上の源泉からそれほど遠くないところで見つけた、ものすごくインパクトの強い「猛犬に注意」系立看板。わりと瀟洒な新興住宅地であった。
右:別府駅にて見つけた、これまたなんだかものすごい雰囲気のある「悪書回収ボックス」。この手のエロ本用ポスト、以前は大都市圏でも見かけたが、最近はあまり見かけないような気がするが、どうなのだろうか? 実際ここにエロ本を捨てる人がいるとも思えないのだが・・・。それにしても、時代の進歩に従ってエロ本だけではなくエロビデオまで回収の対象に含めるのはまだ解るのだが、「ナイフ」というのは初めて見た。これじゃ結局ただのゴミ箱と化すのではなかろうか?

左:元共同管理人KENの車より撮影。大分市郊外の巨大ショッピングセンター「わさだタウン」。トキハ百貨店などが入っている。大分市にはもう一箇所郊外型巨大ショッピングセンターがある。

 

左・右:大分県・長湯温泉郷にある“ラムネ温泉”である。この日は九州というのにかなり雪の降る寒い日だったのに、この有料露天風呂に入ってしまった(^_^;)。日本一の炭酸含有量を誇る炭酸温泉だそうだが、その温度は33℃ぐらいしかない。つまり体温より低いのだ。雪の中の露天風呂は非常に風流であったが、説明にあるように体に炭酸の気泡が付着するまで入っていたら、とても寒かった(T_T)。高温泉もあったので、上がる前にそちらで温まったことはいうまでもない。

 

左:青瓦が珍しくも美しい、木造二階純和風旅館「紅葉館」。長湯温泉は川に面して旅館が並んでいる。
右:旅館の排水口。湯の花が固まってすごいことになっている。

上:“日本のナイアガラ瀑布”と呼ばれる、大分県緒方町の原尻の滝。確かに、山の中にある一般的な滝と違って、平原のど真ん中にあって驚かされる。

 

左:右岸から見た滝。
右:滝の下流に架かる吊橋。上の写真はこの橋から撮ったもの。わたっているのは左から風太、アキ少年、そしてKENである。

 

左・右:道の駅「原尻の滝」で売られていたとてもとても不気味な神楽面。奇稲田姫の方はよく風太が携帯の待ち受けに使っている。

 

左:同じく原尻の滝の道の駅にて売っていた万華鏡。しかし万華鏡を平仮名で書くと、関西では差し支えないが、関東ではちょっと・・・になるのではなかろうか(^_^;)?
右:緒方町から殆ど対向車のない道を宮崎県に向かって延々と南下すると、高千穂の山々を越えることになる。二月末とはいえ、九州なのに、かなりの積雪だった。これはタイヤチェーンを巻き終わっての記念撮影。共同管理人から引退したばかりだったKENである。彼はこの後二千三年四月から東京の専門学校に進学した。

 

左:高千穂の大分側にて。赤い丸ポスト、崩れそうな古い民家、トトロ的世界であった。
右:宮崎県に入ると、方言がいきなり変わった。それはさておき、これは有名な景勝地である高千穂峡の駐車場のトイレの張り紙。これはよく観るパターンだが、ほかにも色々あったので、みんなで女子便所にまで入って全部採集してしまった。既にとっぷりと暮れ、誰もいないからできたことである。

  

左:これはすごく失礼な物件。
中:女子トイレにて。これはどういう“エライメ”に遭うのだろうか?
右:これも女子トイレにて。一番笑えた。

 

左:同じ駐車場にて。けったいな名前の地ビールがあるらしい。
右:高千穂町の市街地に出て。これは元国鉄高千穂駅。今は第三セクターにより運行されている。
※2006年5月12日追記:高千穂鉄道は颱風の被害のため、廃線となりました(T_T)

 

左・右:JR日豊本線の延岡駅から分岐する旧国鉄高千穂線、現高千穂鉄道の終着駅、高千穂。非常に鄙びたローカル線だが現在運行しているのは鄙びたレトロ車両ではなく、このように面白くもなんともないレールバス。終点だけあって結構多くの車輌が終結し、入れ替え作業などが行われていた。地元の高校生たちの通学ルートらしく、もう暗い時間なのに制服姿がうじゃうじゃ。皆結構方言がきついのが素朴でよかった。

上:高千穂から延岡に回り、僕の運転でひたすら大分を目指す。大分県に入ったところ、かなりの山村なのだが、ととろという集落がある。おそらく漢字で書くと土々呂なのだろうが、今では観光名所になっていて、大分バスととろバス停の待合室もこの通りである。
※土々呂という地名は近隣の延岡市にあるが、このバス停のあるところは轟と書いてトトロと読むらしい。(二千四年七月二十日追記)

 

左:バス停の脇には、このように子供たちが奉納?した大小のトトロ像で溢れかえっている。撮影時は既に深夜だったので、ちょっと不気味(^_^;)。
右:トトロの群を携帯で撮影中の美少年アキちゃん。真夜中なのにサンバイザーをつけている・・・。この日一緒に旅をしたKEN、風太、僕、アキ少年の四人中、KEN以外の三人がAUユーザーであった。

 

左:ようやく別府に辿りつき、丁度当日オープンしたという別府二件目、大分県全土で六件目というゲイバーで飲み、ようやく宿に帰っての撮影。別府駅前高等温泉の一人用個室である。
右:翌朝、別府駅裏から山々を望む。雪で白くなっているのに注目。右手の松林は別荘地として栄えた時代の邸宅街の名残、そしてマンションは数奇屋の邸宅を破壊したあとに建てられたものである。左手、電信柱の陰に隠れて、岡本太郎画伯の壁画がある。

 

左:駅裏通のサンドラックビル岡本太郎画伯の壁画である。
右:別府に行くたびに必ず立ち寄る、別府で一番のお気に入り物件である野口町の野口病院。この界隈が震災前までの阪神間、夙川界隈などに非常によく似た雰囲気を残している別邸街である。

 

左:野口病院のすぐ裏手に位置する喫茶店「信濃屋」。数寄屋造りの豪壮な邸宅をそのまま使用している。門および、塀のうち門より北側が失われているのは惜しいが、建物本体はあまり改造の手を加えられていないのが嬉しい。庭園も原形を留めている。この界隈、この手の邸宅が軒を連ねている。
右:陽光の気持ちいい縁側の席で団子汁定食を食べる風太。右側の皿は伯爵が注文したやせうまである。庭園も美しい。

 

左・右:同じく山手側の別邸街で見つけた洋館。大正期のものか? 一見廃墟と見まごう状態だが、まだ使用されているようだ。北側は下見板張りの洋館だが、南側は和館となっていることが判る。

 

左:いつ行っても泊まれない、一体いつ営業しているのかわからない、洋館民宿「田の湯館」。一度は泊まってみたいのだが、冷暖房設備がないので、よほど気候のいいとき以外営業していないとのこと。
右:その近所で見つけたこれまた面白い窓のある洋館。後方に見えている巨大な建物は吉田哲郎の傑作、別府市民会館である。

 

左:順番は前後するが、野口病院前には古風な丸型ポストが現役で使われていて、実にマッチしていた。別府市内にはまだまだ丸ポストが多数現存している。
右:これも野口病院の近く。かなりの規模の数奇屋邸宅である。大正期〜昭和戦前期に建てられたと思しき邸宅が非常に多いが、残念ながら景観を台無しにする醜悪なマンションが増えつつある。

 

左:駅裏側の緩い坂道を延々と登り、別府公園の裏側まで行くと、山手町である。そこに、一ブロック全てを占める広大な別邸がある。別府市の観光マップなどによると、「中山別荘」とあるが、詳細は不明である。一般公開などはされていない様子。
※2004年11月17日追記:この大邸宅は大正9年(1920)に大分県中津市出身の東京の実業家和田豊治の別荘「致楽荘」として、京都の工務店あめりか屋の建築家山本拙郎の設計で建てられたものと判明。その後関西の実業家中山悦治(中山製鋼所)の所有となり、庭園、和舘が加えられたものだそう。前皇太后が宿泊し、戦後は米軍に接収され高級将校宿舎となっていたとのことである。
右:石垣の上の高い生垣と鬱蒼とした庭木々に阻まれて殆ど建物は見えないのだが、これは何とかチラッと見えている本館らしき洋館。急傾斜の屋根にハーフティンバーの壁面となんともメルヒェンチックな素晴らしい建物である。この邸宅の周辺も、これほどの規模ではなくても古い別荘建築が並んでいて閑静でいい雰囲気である。

 

左:中山別荘の門。
右:その近く、表通りで見つけた小さな商店建築。木造でいい感じであった。

上:隣の空き地から遠望した中山別邸。犬を散歩させているおばさんに伺ったところ、元々は個人の邸宅だが今では会社が管理している、とのことであった。

 

左:別府公園は斜面に沿ってなだらかに芝生が広がる。別府タワー、そして別府湾を見下ろしたところ。
右:別府公園の高台から、真下に広がる数奇屋の豪邸群を眺める。

 

左・右:さすが風太の故郷、すごく面白い名前の私立図書館があった。これも野口町の邸宅街である。最初は右の写真の方に気付き、老人福祉施設か何かだろうと思ったのだが、表札を見て納得。

 

左:児童図書館“おじいさんの杜”全景。閑静な雰囲気が判る。
右:お屋敷街の真ん中に、こんなけったいな商売もあった。別府、それも高級住宅地ならではであろう。ペット温泉『アニマー湯』

上:これは駅裏の住宅地区からはかなり離れた明礬温泉郷にて。別府八湯の一つ、明礬温泉では江戸時代から変わらぬ手法での明礬が採取されている。

 

左:このような藁作りの小屋の中で、昔ながらの手法で明礬採取が行われている。
右:湯煙しるき明礬地獄。

 

左:別府港、国道十号線沿いにて。コンビニの二階に、レイク、ポケットバンク、ユニオン、ワールド、しんわ、武富士、プロミス、アコムと、高利貸しばかり八軒も入居している。世も末感満点の光景であった。
右:大分市・JR鶴崎駅近くの超美味しい洋食屋さん、「いこい」のショーケース。鶏天の名店である。

上:これも「いこい」のショーケース。安くて量が多くてしかも美味しい。

 

左・右:JR西大分駅からすぐ、大分港フェリーターミナルにある古い赤煉瓦倉庫を見事に再活用しているライブハウス「ブリックブロック」。前来た時は全面蔦の葉に覆われていたが、二月はまだ葉がなく、煉瓦壁をよく見ることができた。

 

左:「ブリックブロック」の入り口に置かれているメニュー。
右:ダイヤモンドフェリー船内のエレベーター。一万トン近い巨船のため、自動車デッキと船室階を結ぶエレベーターが設置されている。

上。船舶用エレベーターのインジケーター(階数表示板)。やはり汎用エレベーターのものとは違う。

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