骨董建築写真館 九州篇・其ノ七
骨董建築写真館

九州篇・其ノ七

前章と時間的には前後するが、2002年9月、高校以来の親友の山下と、別府在住で風太、KENの友人であるアキちゃん、そして伯爵の三人で九州まで自動車旅行した。その際の写真がほったらかしだったので、其ノ七としてアップロードすることにした。

 

左:本州と九州を結ぶ大動脈、関門大橋。九州自動車道と、本州側の中国自動車道、山陽自動車道を結んでいる。九州と本州を結ぶのはほかに関門国道トンネル(国道二号線)、関門鉄道トンネルがある。
右:本州側の関門パーキングエリアから、九州を望む。滅茶苦茶暑い日であった。


上:門司で高速道路を降り、観光ゾーンとして整備の進む門司港レトロ地区を回った。左端に関門橋が見えている。この建物は旧門司税関。1912(明治45)年に、工部大学校第一期生妻木頼黄の指導を受けた咲寿(さくじゅ)栄一の設計で建てられた。


 

左:北九州市と姉妹都市提携を結んでいる中国・大連市から贈られた、大連のロシア租界時代、1902(明治35)年築の洋館のレプリカ、国際友好記念図書館。レプリカとはいえ、非常によいできである。裏山にはパゴダが見えている。
右:地区のシンボル、JR門司港駅のすぐ近くにある英系商社、ホーム・リンガー商会。色々検索したが、建築年代について1950年代だとか1960年代などの記述が多く、特定できない上、設計者も不詳である。どう見ても三階の建て増し以外は戦前建築なのだが(*´Д`)=з。そもそも門司港レトロのオフィシャルサイトが非常に見にくいひどい作りの上、建築についてのデータが少なく、このホームリンガー商会など全く取り上げられてすらいない。やる気があるのかといいたい。


 

左:ホーム・リンガー商会の玄関に誇らしく掲げられた、ロイド保険組合の紋章。
右:神戸の海岸通にも名建築を持っている、大阪商船三井船舶の門司支店。11917(大正6)年に河合幾次の設計で建てられた。登録有形文化財。

上:門司港レトロ地区のシンボル、JR門司港駅。大正期の見事な木造建築である。右端を歩いているのはアキ少年。


 

左:駅内の表示は旧漢字が用いられている(九州篇・其ノ壱参照)が、しゃぶしゃぶレストランには“紗舞館”の名がつけられていた。なかなかのいちびりである。
右:構内外側にあるうどん屋さん。


 

左:改札前コンコースを歩くアキ少年とゴスロリ少女。
右:階段を登る伯爵。この駅には何度も来ているが、二階へ登るのは初めてである。(山下撮影)


 

左:二階からホームを見下ろす。
右:もう使われていないのだろうが、腕木式信号機が残されていた。

 

左:駅舎二階の一室。スチームが古風である。
右:二階資料室の天井。


上:資料室に展示されていた古い新聞。大毎とあるから、大阪毎日新聞である。


 

左・右:駅構内に、リンタクと人力車が置かれていた。現役のようである。


 

左:外観を撮り忘れたが、駅の真向かいにもインターナショナルスタイルの古いオフィスビルがあった。これは玄関ホールの現代の姿。八島知の設計で1927年に竣工した門司郵船ビルである。当初はアール・デコの装飾があったとのこと。
右:落成当事と見られる古い写真が飾られていた。エレベーターが今のものと違うのが判る。小型なのでおそらく手動式ではなく、自動駆動式、手動ドアのものであろう。外扉は写真から窓付き二枚引戸であることが判る。籠扉はおそらく蛇腹扉であったと思われる。エレベーターシャフトが金網張りなのに注目。インジケーターも半円時計式である。

  

左:今でもエレベータシャフトは金網張りである。現役のものは我が国では非常に希少である。
中:一階玄関ホール。
右:二階廊下。関係者以外立入禁止とか書いてあるわりには、誰でも入れる喫茶店も入っていた。


 

左:駅の隣には、JR九州の素晴らしいビルヂングがあった。昭和十一年築の、典型的なモダニズムスタイルである。当事としては非常に斬新で未来的だったはず。
右:玄関上のキーストーンに、如何にも三十年代チックな超カッコいいレリーフがあった。


 

左: 上の建物、JR九州第一庁舎の玄関脇にあった解説板。僕の見立ての通り、昭和初期のモダニズムスタイルである。これによると、国鉄九州総局は福岡市ではなく北九州市にあったらしい。そして元々はJRの所有ではなく、三井物産門司支店ビルで、設計は松田昌平とある。
右:これは倶楽部建築、三井門司港倶楽部。素晴らしいチューダーゴシック様式の洋館である。こちらも松田昌平の作品で、1921(大正10)年の竣工。


 

左:港の倶楽部だけあって、玄関ホールのステンドグラスは帆掛け舟である。
右:各部屋の天井装飾が美しい建物であった。

 

 

上四点:いずれも三井門司港倶楽部の室内。天井装飾が素晴らしい。


 

左:同地区の喫茶店。林芙美子女史縁の地なのだろうが、べたべたである。しかし「テレビにゃー出らん」というのは名古屋弁ではあるまいか?
右:門司港の岸壁。古いスタイルの港にある、艀用の階段が残っていた。


 

左:門司港に架かる跳ね橋。これは動いているところ。
右:国道十号線で大分に向かう。これは福岡県内で見つけた弁当屋。しかしどう見ても元ガソリンスタンドである。石油臭そう…。

 

左・右:アキ少年の意見により、途中から近道ということで間道に入って大分県安心院町を通る。安心院とかいて「あじむ」と読むのだ。ここは鏝絵で有名なところで、町内いたるところに見事な作品が残っている。


 

左・右:同じ家の装飾。


 

左:同じ家の反対側の妻壁。
右:このように、安心院町が一軒一軒ナンバーを振って観光ルートとして整備している。今回はこの一軒しか見れなかったので、いずれ時間をかけて回りたいものだ。


 

左:安心院の長閑な用水路。
右:上の遠嶋酒店のすぐ近くにあった昭和初期風洋館。

 

左:別府市で、明礬温泉の鶴寿泉に入浴。明礬採取場近くにある、謎のオブジェを見に行ってみる。2002年春に訪れた時には三十センチぐらいの長さの鉄道レールが鐘としてぶら下げられていたのだが(目玉をクリック<増補>)、今回(2002年9月)にはバケツ状の鐘に取り替えられていた。何らかの実用性がある施設らしい。
右:別府の山を越えると、このような湖がある。風太やアキちゃんが子供の頃よく遊びに来たところとのこと。


 

左:湖畔の売店兼食堂に、けったいなメニューがあった。焼きそばとどう違うのだろうか?
右:アキ少年のナビゲーションで車を走らすこと数時間、何とか日のあるうちに阿蘇山にたどり着くことができた。


上:阿蘇の草千里と中央火口丘群。北京から万里の長城へ行ったときにも感じたのだが、こういう雄大な光景というのは実際に目で見ないと、写真ではその百分の一も伝わらない。


 

左・右:同じく阿蘇の風景。丁度夕暮れ時に差し掛かり、実に美しかった。

上:今回は別府の写真は少ない。これは泊まった亀の井ホテルの客室から見下ろしたモダニズム建築、「不老泉」。


 

左:別府の中心部、流川通で見つけたいい感じの廃墟。二千三年春に訪れた時にはもうなかった。
右:以降は臼杵の写真が続く。これは国宝臼杵石仏群で見つけた泉。石仏が水中に安置されている。


 

左・右:臼杵石仏群と谷を挟んで向かい合う、まるで山城のような農家。


 

左・右:旧稲葉邸(稲葉家下屋敷)。臼杵藩主は戦国大名として有名な稲葉一鉄が初代で、以降廃藩置県まで代々稲葉家の当主が藩主を務めた。この屋敷は廃藩置県で城を明け渡した後、稲葉順通子爵の臼杵における邸宅として1918年に建てられたもの。明治に入ってからとはいえ、本格的な上級武家屋敷の様式で建てられている。

 

左;稲葉子爵邸の台所。
右:庭園より母屋の座敷を臨む。


 

左:稲葉邸母屋の隣には、更に離れが続いている。背後に見えているのは大分市に本店のあるトキハ百貨店臼杵店である。
※2006年5月12日追記:トキハ臼杵店は2006年二月をもって廃業とのこと(T_T)
右:稲葉邸は山手の武家屋敷地区ではなく市の中心部にあるので、周囲はこのように古い町家が並んでいる。


 

左:二千二年三月に訪れた時にも撮影した旧市街の古い商家にて。関西中心のイカリソース、関東ローカルのブルドックソース、最近全国制覇を目指している広島のオタフクソースに比して、名古屋のカゴメソースは古くから全国制覇を成し遂げていたらしい。
右:市の中心部にはアーケード商店街もある。かなり寂れていたが、おかげでこのような古い商家も現役で残っている。


 

左:トキハのすぐ裏手にある、三階建ての実に立派な酒屋さん。この時は改装中であった。古さを生かした店舗に生まれ変わるらしい。同じ大分県の豊後高田市では、市にかけていた中心部の商店街が「昭和の町」と銘打って昭和三十年代のレトロ色を売り出した途端、観光客が殺到するようになったそうである。臼杵市はレトロ資産の質、量とも素晴らしいのだから、こうやって活性化を図るのはよいことである。
右:武家屋敷街である二王座地区に通じる坂道に、古い井戸があった。アキ少年はカメラを向けるとすぐ逃げる(^_^;)。

 

左:平地の商人町と、山手の武家屋敷街の境界辺りには、寺町が位置している。
右:武家屋敷街から商人町に向かって下る坂道。


 

左:寺町に古い建築を活用した無料休憩所が設けられていた。そこの二階から石畳を見下ろす。
右:室内。畳が変則的で面白かった。


 

左:寺町の石畳から石段を登ると、長屋門の武家屋敷に至る。
右:大正時代に洋館を設けた武家屋敷。


 

左:二王座地区で見つけた実にいい具合に寂びた石段。
右:別府、明礬地獄にて。アキ少年が僕と山下におごってくれた地獄蒸しプリン。美味である。

トップに戻る