2003年の二月末、共同管理人風太の帰省に合わせてまたまた九州に旅行した。この一年間で四回目である。この章ではその折の写真を掲載したい。
左・右:大分市の中心部、駅前通にある大分銀行旧本店(現赤煉瓦館)。戦災を受け殆ど戦前の建物の残っていない大分市内にあって、みずほ銀行大分支店とともに現存する数少ない貴重な現代洋風建築である。設計者、建築年代など調べていないが、恐らく大正期のもの、辰野金吾の設計であろう。
左:大分駅前、賑やかなところにある大きな楽器屋さん。老舗らしいが、「RIZUMU」と英語ではなくローマ字で書かれた店名が可愛らしい(^o^)。
右:以降は別府である。別府市駅前町、有名な高等温泉の裏手に広がる下町の路地裏で見つけた表示。「非常口」にテープを貼って、「入口」とマジックで書かれている。
左:袋小路の奥は、アロエの森と化しつつあった。
右:トンネル状の路地の先は小さな庭があり、傘付裸電球がオシャレであった。
左:路地に掲示されている、琺瑯製町名表示板。合併によって既に消滅している信用金庫の広告入りであった。
右:別府は空家、廃墟の多い街で、廃墟マニアには堪らないところである。この空家も既に屋根に穴があき、廃墟と化しつつある。
左:路地を抜けていくと、和洋折衷の古い住宅建築があり、赤煉瓦の門柱に鉄のアーチがかかった洒落た門があった。
右:そして繁華街に出る。古い商店街で、アーケード街や歓楽街が並んでいる。これは「かに道楽」に非ず。動かないのだが、汚れ具合がかえってリアルさを増している。
左:見ての通り、軍歌酒場である。坂本順治監督の映画「顔」に別府の路地裏の酒場街が出てきたが、この酒場の辺りではなかろうか? それにしても、敗戦後既に五十八年が経過している。軍歌を懐かしむ元軍人はどんどん少なくなっているであろう。この手の店が現役でいるところを見られるのもあとわずかである。
中:アーケード商店街のラーメン屋にて。風太、アキちゃんともども大爆笑した物件である。撮影が二月二十四日だったから、月末までまだあと四日ほどあったのだが、一体いつから貼ってあるのやら。「付き合い」ってどんな付き合いやねん(^_^;)。それともひょっとして「都合」と書きたかったのだろうか?
右:同じ商店街の廃業したスナックと思しき店の前に、ジュークボックスが放置されていた。
左:アーケード街から路地に入ってすぐのところに、ひょっとして元遊廓かと思わせる木造三階建てが残っていた。
右:繁華街から少し離れたところで見つけた、元は旅館だったと思しき横長の建物。
上:木造三階建ての立派な商家を裏手から取ろうと入り込んだモータープールにて見つけた珍物件。月極制なので利用者の名前が書かれているのだが、「流水様」と「水流様」があったのだ。偶然なのだろうか?
左:有名な共同浴場の一つ、「不老泉」の裏手にある、非常に風情のある棟割長屋。
右:左の写真の長屋の一番右手、合板のドアの左の張り紙を接写したところ。なんだかすごく怖い(^_^;)。
左:珍しい姓の病院を発見。熊野御堂さんだろうか?
右:イスラム教徒が経営しているのだろうか? それとも香蘭美容院だろうか?
左:戦前には別府市一番の繁華街として殷賑を極めた流川通の一本北裏にある、共同浴場の「不老泉」。別府市には百ヶ所以上の共同浴場があるが、ここはその中でもかなり大規模な方。竹瓦温泉、駅前高等温泉などもそうだが、共同浴場は公民館を兼ねているところが多い。一見したところ、恐らく1930年代のモダニズム建築であろうと思いきや、別府市のサイトによると戦後物件、1957年築とのこと。そうとすれば、かなり古めかしいことになる。設計者は不詳。
右:戦前のモダニズム建築独特の、ガラス張りの塔。
左:不老泉の裏手に回ったところ。お饅頭みたいな屋根が二つ並んでいるのが、男湯と女湯である。つまり浴場は平屋で、本館から裏手に突き出す形で並んでいるのだ。後姿は共同管理人の風太、風太の前に隠れているのがアキちゃんである。
右:一階入ったところにある、古風な鏡。
左:トイレの天井から、実に御座なりに裸電球が垂れ下がっていた。
右:二階が公民館、三階はホールになっていて、これは三階ホール入口のカウンター。ホールでは熟年のグループが社交ダンスを楽しんでいた。階段を上ろうとしているのはアキ少年である。
左:モダニズム建築の華、ガラス張りの塔の内側は階段室となっている。
右:塔屋、四階部分には、三十〜四十年ほども前の温泉会議などの議事録が積み上げられ放置されていた。別府市史を編纂する時など非常に大切な資料となるのではないか?
左:五階は展望台となっている。もう久しく誰も上ってきていないようで、荒れ果てていた。窓も開かない。
右:五階から四階の資料の山を見下ろす。
左:入口の列柱に取り付けられた門灯。
右:今の建物も相当に古いのだが、それ以前は木造建築だったらしく、「ぅと彫られた屋根瓦が入口柱に装飾として付けられている。
左・右:流川通の北側、日豊本線のガードをくぐってすぐにのところの見事な廃墟。本格的な木造和館で、元は旅館だったようだ。
左:南側、流川通に面した正門。
右:山側(西側)から眺めたところ。
左:日豊線ガードのすぐ浜手で見つけたわりと古い医院の看板。右の犬猫病院のブリキ看板は特にどうということはないのだが、左の琺瑯看板は一体なんと読むのであろうか?
右:その近くにある「元祖百円屋」だが、別府っ子である風太、アキちゃんによるとそんなに古い店ではないとのこと。
左:別府駅山側バスターミナルから亀ノ井バスに乗って都心から少し離れたところにある鐵輪(かんなわ)温泉に行った(ルートは2/17〜22の日記参照)。風太お目当ての秘宝館に行ってみると、なんと閉鎖されているではないか!! 隣の巨大ビル旅館も何年も前から「改装中」のままでつぶれているようだし、不況だなぁと思いつつよくみると、移転の表示が。
右:これが現在の別府鐵輪秘宝館。わざわざ建て直したのに、入口上部の意匠が全く同じなのは笑える。意外と入館料が高かったので風太とアキちゃんが断念、一人で入ってもつまらないので僕も入らなかったので、中の様子はわからない。
左:旧秘宝館から新秘宝館に行く道すがら、地獄組合加盟地獄の一つ、白池地獄の正門を発見。なかなかよい雰囲気であった。
右:その向かいには金龍地獄もあったが、こちらはけばくて俗っぽくてこれもまたいい感じであった。この看板を見て、風太は「阿弥陀様の極楽バナナが欲しいの〜♪」などと下品なことを口走っていた(^_^;)。
左:これも金龍地獄にて。さすが阪神間文化圏と歴史的縁の深い別府だけあって、下品極まりない東京弁の「肉まん」ではなく、上品で雅やかな関西語で「豚マン」と書かれている。
右:鐵輪温泉郷の一番奥に、広大な庭園を持つ純和風の高級旅館「神和苑(かんなわえん)」があった。元は個人の別荘建築とのこと。
左:「神和苑」の源泉。とにかく町中から湯煙が上がっている。
右:鉄輪温泉郷のもう一つの地獄、山地獄に入る。ここはミニ動物園になっているのだが、「大変珍しいのであります」という古風な文体が大変珍しいのであります。
左:山地獄の前に立つ風太。ここの地獄はこのように山肌から湧き出る大量の湯である。
右:同所にて。最近無造作ヘアにしている伯爵である。(風太撮影)
左:余った湯が大量に捨てられ、あちこちから湯煙が上がっている。
右:鐵輪の公園にあった記念碑。浄土真宗本願寺派の寺院の隣で、元々は境内だった土地らしく、大谷公園という名前であった。明治時代に西本願寺の門主であった大谷光瑞伯爵とその側近たちを顕彰する碑で、なんと伊藤忠太博士設計の築地本願寺(西本願寺東京別院)そっくりの形である。
左:夜のみの営業なのか、僕ら三人が鐵輪を散策した夕方にはまだ開いていなかったラーメン屋なのだが、「もやし入りません」と小さく張り紙されていた。「ここのラーメンにはもやしが入ってへんのか〜〜〜!!」と叫んで暴れる客でもいたのだろうか?
右:鐵輪で見つけた実にいい感じの衣料品店。観光地であるが、これはあくまで地元の人相手の商売であろう。
左:安楽屋の側面で虚空を睨み続けている、まだまだ現役の高齢マネキン。
右:時宗寺院、温泉山永福寺と付属の宿坊「温泉閣」。なかなかいい感じである。右端の煙突から出ているのはもちろん煙ではなく湯気である。
左・右:かなり大規模な本格木造和風旅館「冨士屋」が、改修工事の最中であった。落成が待ち遠しい(^o^)丿。登録有形文化財である。
※2006年5月10日追記:再生工事の完了した冨士屋は『冨士屋ギャラリー一也百』として甦っている。
左:再生中の冨士屋旅館の近くにあった、玄関の庇が個性的な建物。元は旅館であろう。
右:その隣に無料の共同浴場があり、これはその源泉。煉瓦の二連アーチであった。
左・右:鐵輪のメインストリートから枝分かれする道に、古風な鉄製のアーチが架けられていた。何でも温泉マークは別府が発祥の地とのこと。
左:その近くにあった廃屋。これは冨士屋旅館側からの撮影である。
右:温泉マークのアーチをくぐると、同じ廃墟の反対側に回ることができた。右側の軒下に字のポスターが貼ってあるのに注目。
左:見よ、勞働者階級の諸君!! これぞ明らかに戦前のポスターである。よくぞ残っていたものだ。「三圓五十錢」などと書いてある。
右:その下にもポスターが貼ってあった跡がかすかに残っている。よく見ると「リン病」と書いてあるのが読み取れるので、性感染症についてのポスターだったようだ。
左:このようなモダニズム建築は年代を特定するのが極めて難しいが、五十年以上は前での物であろうと思われる。
中:同じ建物を別の角度から撮影。今は普通の店舗付住宅として使用されているが、三階もあるし、元は旅館だったのかもしれない。
右:なかなかにシックな「誠天閣」という旅館。
左:誠天閣の看板。ありとあらゆる種類の温泉が湧いている別府でも、ラジウム泉はここだけとのこと。しかし「あらゆる癌」に効くなんて書いていいのだろうか? リューマチのことをロイマチスというのも古風である。鐵輪では他にも物凄く楽しい看板を発見、激写したのだが、発見したのが風太なので風太篇に掲載することにした。
右:鐵輪温泉郷を離れ、普通の郊外住宅地を歩いていると、「危険。危ない、超猛犬、絶対、ちかよらないで!!」という非常に怖い立て看板を発見した。
左:ごく普通の田んぼの真ん中にも、櫓が組まれ湯煙が立ち上っている。とにかく町中から湯が湧く泉都なのだ。
右:別府駅にあった回収ボックス。エロ本ポストはたまに見るけど、ナイフまで入れろというのは初めて見た。