骨董建築写真館 九州篇・其ノ四
骨董建築写真館

九州篇・其ノ四

 

左:本編は「九州篇・其ノ参」に続き、2002年4月の別府旅行の写真で構成したい。まずこの写真、吉田哲郎の作品である別府市公会堂を裏手から見たところである。
右:公会堂の近くで見つけた、ややこしい名前の居酒屋。

上:別府は神戸と同じく海と山に挟まれた坂の街で、海岸沿いの僅かな平地からすぐに坂となる。そして山の中に、古風な遊園地が広がっている。「ラクテンチ」という名前もいい。

 

左:八幡朝見神社の参道。大きな神社で、かつてはかなり栄えた商店街だったらしい参道だが、今はこのように廃墟と化した民家も多く、なんともいえない趣がある。後姿はアキ少年(18)。
右:ちょっと指がかかってしまったが、奥と左は廃墟。右は現役の民家である。

上:上右の写真の左側の家である。蔦が絡まり、窓硝子も割れつつある。

 

左・右:前頁の写真の、蔦の絡まった廃屋。裏に回ると神社横の公園となっていて、敷地が一段高いのでこうやって二階内部を覗き込むことができる。内部は既に畳もなくなり、思った以上の荒れ方であった。

上:八幡朝見神社の神木。国家神道は嫌いだが、なかなか厳かな雰囲気だった。

 

左:八幡朝見神社から東に向かうと、風情のある古い住宅地が広がっている。屋敷跡に門柱のみ残っているところを発見。かつてこの界隈の住人であった風太によると、その昔は優しいおばあちゃんが一人で住んでいたそう。
右:このように車の入れない路地と石段が続いている。

   

左:東別府駅近くのJR日豊本線ガード下で見つけた落書き。苔を引っ掻いて描かれているが、十字架とか「死神」とか書いてあったのでついつい撮影してしまった。
右:その近くで見つけた廃墟。屋根が崩れつつある。

上:東別府駅近く、電車の窓からよく見える別府修道院。聖堂はかなりの規模である。そして別府カトリック教会同様、戦後建築であるようだ。

上:教会の近くには仏教寺院もある。塀の上に二匹の猫がいて、思わずシャッターを切った。親子だろうか? なお浄土真宗本願寺派の寺であった。

 

左:同寺院。なお、隣も仏教寺院であった。
右:この辺り、日豊本線の山側と海側で雰囲気が違う。海側の方が町方の雰囲気なのだ。これは海側の町屋のだが、二階の窓が開いていて、縁側に無防備な姿勢で犬が寝ていた。

 

左:JR日豊本線東別府駅前の記念碑。「停車場建設記念碑 明治四十五年」と刻まれている。もう九十年前でということになるが、実際「鉄道員(ぽっぽや)」のロケがそのままできそうな木造和風の小駅舎であった。
右:日豊本線の人道跨線橋より海側を撮影。古い町屋が破壊されている最中であった。

 

左:東別府駅前、既に廃業している大衆食堂。
右:東別府駅全景。

 

左:同じく東別府駅全景。向かって左が待合室、中央入口の右側が駅務室である。
右:待合室内部。椅子がプラスティック製に替えられているのが残念だが、恐らく椅子と照明以外は明治時代と殆ど変わっていないのではなかろうか。

  

左:待合室で見かけた掲示板。右書きで「臨時広告」と書かれている。
中:待合室は天井まで全て木造で、これはかつては照明がぶら下げられていたであろう中心飾りである。
右:ホームの柱に取り付けられた、琺瑯製の駅名表示板。ほんの十年程前まではこのような駅名表示もさして珍しくなかったのだが、近年あっという間に減少し、現役で見かけるのは極めてレアな体験となってしまった。

 

左:駅舎とは反対、上りホームの柱にも琺瑯の駅名表示板があった。
右:跨線橋から見た下り線ホームと駅舎。普通車しか停まらない駅で、日豊本線の普通車は最長でも四輛編成なのに、矢鱈長大なホームであった。なお跨線橋は古い木造の屋根付ではなく、鉄製の横断歩道型であった。

 

左:上り線ホームより下り線ホームと駅舎を見る。左から二番目の人物はアキ少年である。
右:駅のすぐ東側に、赤煉瓦造のいわゆる「マンボ」つまりトンネルがあった。左側が人道、右半分は水路である。

 

左:別府公園の藤棚。見事に咲いていた。三月、四月と二度の九州旅行、いずれも美しい花をあちこちで見ることができ、よい時期であった。
右:大分市郊外で見つけた新日鐵大分製鐵所の研修所だが、ものすごい名前であった。「こうぎょくりょう」と読むのであろうが、玉を攻めてどうするというのだ・・・(^_^;)?

  

左:大分市内の郊外型巨大ショッピングセンターでに見かけたブティック。「三寒四温」と読ませるのだろうか?
中:別府市の中心部、トキハ百貨店別府店の向かいにあるその名も「リンドバーグ医院」である。そういう名前の人物が院長なのだろうか?
右:大分市の郊外で見つけた、「アンジェリック浦田」という名前の産婦人科医院。そういう名前で日本人男性と結婚した外国人女医なのだろうか?

上:大分西港にある古い赤煉瓦造の倉庫。明治から大正にかけてのものと思われる。蔦が全面に絡んでいて重厚な雰囲気だが、ライブハウス「ブリックブロック」として転用、再生されている由。

 

左・右:1999年春以来もう三年以上の付き合いになる古い親友のken(21)。今春の二度にわたる九州旅行では本当に世話になった。学生をしながらショップ店員のバイトをしている。昔はジャニ系だったのだが、今ではこんなになってしまった(^_^;)。2002年10月より共同管理人に加わる。

 

左:ken。これは僕の見送りにみんなで大分西港きてくれたところで、後ろに写っているのがこれから乗るブルーダイヤモンドである。
右:高校を卒業したばかりだったアキちゃん。顔出し禁止なのでこの画像で我慢してください。美少年なのに惜しい(^_^;)。

 

左・右:もう一人のkenの親友、風太(20)。可愛い子だが、おとなしそうな外見とは裏腹に、なかなか根性の座った面白いクイアである(^o^)。みんなで一緒に移したプリクラはここをclick♪

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