骨董建築写真館 九州篇・其ノ参
骨董建築写真館

九州篇・其ノ参

 

左:2002年4月、別府で開催された大分アララギ歌会出席のため、前月に訪れたばかりの九州、大分県を再訪した。今回は神戸港から大分港まで約一万トンの大型フェリー、クィーンダイヤモンドに乗船、約十二時間の船旅となった。この写真は大分西港に入港間際の甲板から撮影した、新日本製鐵大分製鉄所の高炉。高炉は製鐵所のシンボルである。
右:大分西港は本来一万トンクラスの客船が接岸できるような大きな岸壁ではない。そのため突堤をこのように継ぎ足し、何とか巨船を舫えるようにしてあった。

 

左:今まさに接岸せんとする船上より撮影。
右:クィーンダイヤモンド。ダイヤモンドフェリー社はこのクラスの大型フェリーを四隻大阪〜神戸〜今治〜松山〜大分航路に就航させている。いずれも大浴場やレストラン、客用エレベーターなどの設備を持つ。伯爵は学生割引を利用できるので、片道なんと5180円という安さであった。ただし修学旅行の中学生などが乗っており、船内は超満員でかなり窮屈だったことは否めない。

上:大分港からJR大分駅に向かうバスの車内から慌てて撮影した、旧第一勧業銀行大分支店元大分県農工銀行)。三月は第一勧銀の看板だったのだが、四月のこの時点ではすでにみずほ銀行に変わっている。大分市では数少ない近代洋風建築である。1932年、国枝博の設計にて建てられた。

上:これが今回の九州旅行の目玉、別府駅前高等温泉である。大正13年に建てられたチューダーゴシック様式の瀟洒な洋館だが、内部に高等温泉、普通温泉と二つの浴場を持ち、二階には宿泊設備も整っている。しかも発展場のミックスルーム然とした雑居部屋なら一泊1500円、個室(一人用三畳、二人用六畳)でも一人2500円という安さである!! 素敵な洋館に泊まれてこの安さは素晴らしい。しかも宿泊客は温泉も入り放題なのである。前回九州を訪れた際に二泊予約し、今回の宿泊を楽しみにしていたのだ。

  

左:別府高等温泉二階、宿泊部門の廊下。壁を支える漆喰製の華麗なスクロール飾りが右上に見える。
中:大正ロマンを今に伝える木製階段。親柱のパラボラアーチが時代の息吹を感じさせる。
右:廊下の壁にかけられた年代物の大鏡。“防長鶴”というからには山口県の地酒であろう、宣伝入りである。下には右から左に「花田支店」と書かれている。戦前のものと思って間違いあるまい。電話番号も交換手を通じていた時代のものである。

 

左:廊下にもう一枚、年代ものの鏡があった。こちらは上の大鏡よりは多少新しいようだ。“島田の船漬ざぼん”という土産物の広告が入っている。
右:階段室の大窓。天井の中心飾りも見える。

 

左:かつてはシャンデリアがぶら下がっていたのであろう、漆喰細工の華麗な天井飾り。
右:高等温泉の裏手に回ると、風情のある路地が幾重にも重なっている。相当な都会の下町を思わせる雰囲気であった。

 

左:京都をすら思わせる、トンネル式の路地。
右:入り組んだ路地の長屋の上に、高等温泉の銅屋根がのぞいている。

  

左:高等温泉のシンボル、正面の噴水塔。出ているのはもちろん温泉で、飲めるようになっている。
中:高等温泉入り口。
右:同じく。よく見ると、向かって左は「高等温泉」、向かって右は「駅前温泉」と書いてる。

 

左:温泉街には付き物の歓楽街。別府は大温泉都市だけに歓楽街もちょっとした県庁所在地の歓楽街より大きい。古風な成人映画館があったので、正面からは恥ずかしいのでちょっと横から撮影。
右:これは昭和戦前期の建物か? 木造三階建てタイル張り、三階だけが和風という珍妙なる建築を見つけた。室外機が邪魔で全ては読み取れなかったが、「商」「糖」「草本商店」など全部タイルである。

 

左:駅前のアーケード商店街で見つけた、学生服専門店のペンキ絵看板。なかなかにいい味を出している。
右:別府というところは町中外湯だらけで、それもこのようになかなかにいい雰囲気の古い建物が多い。左側が正面で改装されてしまっているが、側面はこの通りである。なお外湯には町内の人専用のところと、観光客でも低料金で入れるところの二種類があった。

 

左:下見板張りの洋館風商店。
右:「アララギ別府歌会」の会場となったホテル「パストラル別府」のスィートルームから見下ろした別府市街。雨模様であった。

  

左:別府駅前の目抜き通りで見つけた、とんでもない名称のビル。“エッチ”という語がいつ頃から猥褻な意味で使われるようになったのか知らないが、そんな古いビルでもないからこれは確信犯であろうと思われる。とはいえ風俗系の店舗とは無縁そうなのだが・・・(^_^;)。なお、「エッチ」なる語を辞書で引いてみるとAとして「(名・形動)〔「変態」のローマ字書き hentai の頭文字から〕性的にいやらしいさま。また、そういう人。『―な人ね』」(大辞林第二版)という用例が出ていたが、いつ頃から使われたかまでは書かれていなかった。
中:その並び、高等温泉の向かい側近くにある「ビリケン食堂」。通天閣のビリケン像とは少し違うが、ちゃんと入り口横には大きなビリケン像も安置してある。建物は新しいが、老舗なのだろうか?
右:「ビリケン食堂」のビリケン像。

 

左:こんなところに京大が!! 旧帝大の中でも自らの位置する地方の外に様々な施設を持っているのは京大と東大だけであろう。赤煉瓦も美しい近代洋風建築は武田吾一博士設計のネオ・ルネンサンス様式、京都大学旧地球物理学研究所である。
右:京大の機構改革で最近名称が変更されたらしく、表札は真新しい。

 

左:玄関。右上に非常に簡略、幾何学化されたイオニア式柱頭が見える。古典的なネオ・ルネサンス様式ではなく、当時の新興芸術であったドイツ・ゼセシオンの影響を強く受けているデザインである。
右:玄関ホール、階段付近の装飾。

  

左:玄関前から塔を見上げる。煉瓦、石ともに美しく、近年大幅にリニューアルされたことが判る。ちょっとやりすぎの感も・・・(^_^;)。
中:玄関外の受付窓口。
右:玄関ホールの照明。オリジナルと思われる。

 

左:玄関ホール、階段の親柱。
右:地球物理学研究所のすぐ近くで見つけた、躑躅の美しい“純粋階段”。行き着く先に何もない、純粋に昇降するためだけの階段である。

 

左・右:別府駅裏すぐ、野口町の別府野口病院。前回旅行時には雨中の撮影であったため、今回もあまりよい天気ではなかったが、もう一度撮影してみた。

 

左:野口病院のすぐ近くで見つけた、やたらに針金やらコードやらで装飾?されたベランダ。(風太撮影)
右:別府駅すぐ裏で見つけた、不動産屋の看板。文語的には何等問題ないのだが、口語だとこれでは送り仮名が足らず、無理に読んだら「かます、うます」になってしまう(^_^;)。かまして生ませるとはちょっと、鬼畜外道を連想する(^o^)。

 

左・右:これも別府駅裏側。木造二階建て望楼つきの、何とも不思議な雰囲気の建物があった。今は個人住宅みたいだが、恐らく元は旅館だったのだろう。かなり改装の手は入っているが、戦前のものと思われる。

 

左:今は政治家の後援会事務所になっているが、不思議な雰囲気の建物だなぁと思ったら、案の定元々は外湯だったとのこと。風太ちゃんがそう説明してくれていると、地元のおばちゃんが移転した新しい外湯の場所を教えてくれた。
右:そこから市公会堂を見ようと山手に向かって少し歩くと、同じ敷地内に幾つもの素敵な洋館が建っているところに行き当たった。

  

左:前頁最後の写真と同じ敷地内。屋根こそ改修されているが、これも大正ロマン風の洋館である。
中・右:正門の門柱の表札。元は個人の屋敷だったらしいのだが、今は民宿になっているのだ。“民衆宿舎”という表現がいい。

 

左:本館正面玄関の扁額とアンティーク照明。
右:玄関脇、事務室の天井飾りとアンティーク照明。これは伯爵邸の書斎のものと全く同型である。

 

左:木造三階建ての本館。
右:田の湯館全景。素敵な宿だが、民宿なので比較的廉価で泊まることができる。高等温泉と並び別府温泉で最もお薦めの宿であろう。但し冷房設備がないので、夏期は休業している。秋〜春のみの営業である。

 

左:別府市に残るもう一つの吉田哲郎作品、別府市民会館(中央公民館)。旧電話局は大正建築であるが、こちらは昭和に入ってからのもの。従ってかなりモダニズム色が濃くなっている。庇はあとから付けられたもの。元は正面に階段があり、二階が正面玄関だったとのこと。確かに庇は不自然である。
右:玄関脇の装飾用大壺。

  

左:一階、玄関ホール。元々は地下一階だったところだが、それでも梁の装飾など美しい。
中:階段の親柱。
右:元々は正面玄関ホールだった二階ホワイエ。空調ダクトのために天井が低くなっているのが惜しまれる。

  

左:階段室と可愛らしい丸窓。いかにも昭和初期という時代を感じさせる。
中・右:二階、大ホール入口の両脇にこれまた可愛らしい天使の水飲み場がある。

 

左:真っ暗な中デジカメの小さなストロボで撮影した、大ホールのステージ。
右:ステージ側から客席を臨む。柱の造形に注目。

   

左・中:客席内部。
右:芸能レポーターに追いすがられる女優のようなポーズは、伯爵の仲良し大分三人組の一人、美少年のあきくん(18)である。

  

左:三階は殆ど改装の手が入っておらず、オリジナルをよく留めていた。バルコニーに出る扉を開けようとしているアキ少年。
中:トイレも非常に趣き深く、衛生陶器類もオリジナルであった。
右:元々は正面玄関ホールだった二階会議室。左の窓が各々観音開きの扉だった訳である。

  

左・中・右:オリジナルの衛生陶器や大理石製仕切板がそのまま残っている三階の便所。アーチ窓もいい雰囲気を醸し出している。

  

左:三階、大ホール二階席の入口には、右書きの表示がそのまま残されている。“號”ではなく“号”だが、現用漢字という訳ではなく、当時としては略字として用いられていたのである。
中:上でアキくんが明けようとしている扉を抜けると、このような露台に出る。
右:階段ホールの大アーチ窓を飾るメルヒェン調のステンドグラス。ファシズム台頭期に市公会堂という儼しい用途で建てられた建物にしては、やたらと可愛らしい図柄である。

 

左:三階階段ホールより踊り場の大ステンドグラスを臨む。下の扉の外はバルコニーになっている。
右:三階大広間。元は洋室だったと思われ、アールデコ調の装飾暖炉がある。伝統ある泉都別府にふさわしい素敵な座敷だった。

 

左:前頁の和室を廊下側から見る。
右:暖炉の近くに貼ってあった、この建物の成り立ちを記した文書。「泉都別府に公會堂なきは一大缺點とするところなり。故に別府市制敷かれ、市長神澤又一郎新たに就任するに及び、計劃あんばい、つぶさに案を具して市會に提出し其の容るるところとなる」とのこと。

 

左:座敷の暖炉。
右:別の小室で見つけた二連のゴシックアーチ窓。

  

左:大ホールの各扉には、開演中にホール内を覗けるように小窓が付けられている。モデルは可愛い書生の風太ちゃんである。
中・右:階段室、ステンドグラス外側のバルコニーを下から見上げる。既に手摺は失われている。

  

左:正面向かって左側の側面。ほぼシンメトリーに建てられているのだが、こちらの階段室大窓にはステンドグラスが入っていない。こちらの方が敷地が広く外側からも見上げられるのに、不思議なことである。
中:テラコッタ製の庇が美しい、楽屋口。
右:正面向かって右側の側面。西洋の城郭のようにも見える。

  

左:前庭に置いてある、謎のオブジェ。事務室で館長さんに伺ったところ、元々は屋上に設置されていたサイレンで、戦時中は空襲警報に、戦後は時報に用いられていたが、老朽化して危険になったため取り外したのだそう。
中:前庭に置いてあったちょっとアヴァンギャルド調なオブジェ。
右:裏手に回ると、ちょっと教会のようにも見える。

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