京都篇其ノ貮拾貮



 

左・右:2010年2月25日、j明光庵氏、rjuka君と、京都・北野天満宮の天神市を訪ねた。これは千本今出川交叉点。「アオタニ文具」も老舗だが、その隣りの時計店「ミヨシ堂」は時計台付の素敵な近代建築である。1929年に建てられたらしい。名建築ながら、あまり知られていない物件である。



 

左・右:千本今出川で市バスを降り、今出川通の南側を西進すると、すぐこの洋風要素を採り入れたタイル張りの町家がある。



 

左・右:すぐ西隣がド不細工なマンションになってしまったが、京都に数多あるのレトロ喫茶店の中でも横綱格の一つ、西陣の「静香」。1937年に上七軒の芸妓さんが創業した老舗である。



 

左:「静香」の入口。擦りガラスがすごく素敵。
右:「静香」のほぼ真向いにある老舗の洋食店「ビフテキのスケロク」はなんと移転してしまっていた(-公- ;)。この写真を見ての通り、恐らく戦後にタイル張りにされているが、屋根瓦が覗いている。明らかに京町家なのである。サイトを見たところ、移転先はマンションのようだ。非常に残念(´ω`;)。



 

左:上七軒花街に入る。
右:仁丹看板。六差路になっている今出川七本松(上七軒交叉点)から西という表記である。



 

左:上七軒の路地。
右:天神市のため、人通りがすごい(´ω`;)。これは上七軒歌舞練場の北門である。



 

左・右:これも仁丹看板。同じ眞盛町だが、基準となる交叉点が今出川御前(北野天満宮前交叉点)となっている。そして実は、これは今出川七本松から斜めに北上する通りなので、直接今出川通に面しているわけではない。京都は碁盤目状で解りやすいとはいうが、時々こういうイレギュラーがある。



 

左:上七軒の説明書き。
右:天神市の賑わい。



 

左:骨董市の古着屋さん。
右:天満宮の北側、天神川に面して非常に渋いお宅があった。



 

左:天神川は意外に深いとなっているので、このように通りの下をトンネルで抜けていく。一応欄干は橋風にしてあったが、橋ではなかった。
右:天神川上流を見下ろす。



 

左:同じお宅。散らかっているのは骨董市のせいであって、このお宅の住人のせいではない。
右:天神川に架かる「橋」からの光景。



 

左・右:そして、北野天満宮の境内に入る。二月の末なので、梅が見事。花鳥風月に殆ど興味のない歌人である僕であるが(笑)、桜、梅、桃など派手に咲くものは好きである。



 

左・右:桜と違い一色でないところがいい。但しとにかく人も多い。



 

左・右:天満宮の境内摂社にまた天満宮というマトリョーシカ状態であった。



 

左:文子天満宮。
右:これが北野天満宮の社殿で慶長十二年造営。拝殿、本殿と連なっているが、非常に重厚な建造物で、勿論国宝ある。



 

左:境内摂社末社の数が半端ではない。
右:壮大な社殿。



 

左:ちょっと露出を変えて。後姿は明光庵氏である。
右:拝殿の軒。



 

左:一分の隙もない端正な建物であった。
右:そして、太閤殿下が築造させた御土居がごく一部残っている。近世初頭の京都は「壁都市」だったのだ。



 

左:御土居の「内側」は石垣で補強されている。
右:御土居の上を通り、「外側」へ下る階段。非常に高低差があるのは、天神川の谷となっているからである。天神川が天然の濠となっているのだ。逆に言えば、御土居は天神川の堤防を兼ねていることになる。



 

左:緩やかな石段を降りてみる。洛中とは思えない自然が残っている。
右:赤い橋の上から上流を撮影。



 

左・右:天神川に沿って遊歩道が整備されている。谷がとても深いことがよく判る。



 

左:水量はそれほど多くない。
右:橋の上から御土居を見る。



 

左・右:そして橋から下流を見たところ。



 

左:この橋は新しいがちゃんと木造であった。マピオン地図には出ていない( ̄□ ̄;)!!
右:清水の舞台のような展望台が設えてあった。



 

左:下流側では谷が広がって、梅園になっていた。
右:天神さんの対岸のお屋敷。石積塀に扉があるので、庭から直接天神川に出られる。



 

左:明光庵氏とrjuka君。
右:紅梅と白梅。天気がよく、二十度を超える異常に暖かい日であった。



 

左・右:見事な梅園。なるべく人が写らないように撮ってもこんな感じになるのは致し方ない。



 

左:御土居と梅園は有料ゾーンなのだが、入園料にこの「北野老松」の茶菓が含まれている。北野天満宮名物というと「長五郎餠」もあるのだが、この日は行列だったので行かなかった。
右:御土居の内側も梅林となっている。



 

左:梅林は香りも素晴らしい。
右:明光庵氏撮影の伯爵閣下。



 

左:なんと「梅苑勤番所」があった。えらく古風なネーミングだが、しかしこの看板、字が下手でないか(笑)?
右:こんな濃い紅梅もあった。



 

左・右:紅白のコントラストが美しい。



 

左:境内の賑わい。
右:門前から今出川通を渡り、御前通りを下がる。これは戦後の錻力看板。



 

左:お寺で人が亡くなったらしい。
右:「天神さん」=北野天満宮は年中存在しているのだが、この場合の「天神さん」は神社そのものではなく、25日の天神市を指している。「北野待機宿舎」って何かと思ったら、つまり京都府警の官舎であった。



 

左:北野待機宿舎のうち、この「北野寮」は独身寮のようである。この裏手に数棟家族向けの建物が並んでいて、殆ど見た目は「団地」であった。
右:北野寮の向いにインド舞踏研究所なるものがあった。京都って面白い。



 

左:おもちゃ屋の店先にて。
右:渋い駄菓子屋さん。



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