京都篇其ノ拾四(大和会館・寿旅館他)



上:撮影日は2007年3月1日である。このサイトでも何度となく登場している光景ではあるが、四條大橋西詰南側、東華菜館前から祇園側を見たところ。右の和風建築は南座、左の表現主義風ビルヂングは菊水で、いずれも登録文化財。南座は1929年、白波瀬直次郎の設計で建てられた桃山御殿様式。菊水は大正15(1926)年竣工で設計者不詳である。



上:南座の西側ファサード。正面(北側)は蕎麦屋の建物に隠れている。



 

左:四條大橋から鴨川上流を遠望。見えている橋は東海道の起点(終点ではない)、三條大橋。どんどん東へ下ると、終点は江戸の日本橋(にほんばし)である。
右:「レストラン菊水」全景。



上:逆光で暗いが、「東華菜館」全景。「あまから手帖」の僕の連載写真コラム「『食と建築』クロニクル」」の第二回(2009年3月号)で紹介している。単行本になるまで連載を続けたいので、皆さんにはご購読をお願いしたい。この老舗北京料理店は元々は南仏料理店「八尾政」として巨匠ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で建てられた。竣工は大正15年、開業は明くる1927(昭和2)年である。竣工当時のままの、オーティス社製手動古式エレベータが現役で稼動中ということでも有名。



上:東華菜館前から四條大橋を渡ると、祇園である。南座前を過ぎ、最初の交叉点が四條大和大路。そこを右折すると、つまりは大和大路を南下することになる。京都式住所表記法で言うと、「京都市東山区大和大路四條下ル」となる。そこに、このビルヂングがひっそりと建っている。名前は「大和会館」というらしい。全面がスクラッチタイルに覆われ、三階(最上階に見えるがセットバックして四階がある)の窓周りのみロマネスク風の装飾が鏤められているので、大正二桁〜昭和一桁の建物であろう。廃墟ではないのだが、一階以外は全く使われておらず、内部にも階段が見当たらない(コンクリートで封鎖されているのか)。よって二階以上はほぼ廃墟となっているわけだ。実に素晴らしい建物だし、もったいない限りである。祇園の一等地、駅からも徒歩五分とかからないところだし、有効活用が望まれる。



 

左:大和会館正面ファサード。このように、一階は正面に建て増し改装がなされ、店舗が何軒かは入っている。
右:大和会館一階正面から通路に入ると、中廊下で両側に店舗が並ぶ。階段もエレベータも見当たらない。



 

左:通路を奥まで入って、入り口側を振り返るとこんな感じ。ビルの中とは思えず、平屋の木造店舗街という感じだが、現役であり手入れもされており、廃墟感は全くない。
右:正面ファサード。美しいが、電線が非常に邪魔。



上:正面は大和大路西側に、つまり東を向いている。右の側面、北側はこのようにネットで覆われている。早く手入れをしないとσ(^◇^;)。



上:いったん屋上に昇って写真を撮りまくり、また降りてからの撮影なので、西日が射している。この写真を見ると、どうやら三階までが大正末(昭和初期?)の近代建築で、四階は戦後すぐぐらいの建て増しかもしれない。また、後ろの方、ちょっと南側に出っ張っている部分は全て戦後の建て増しである。この裏の建て増し部分のみ、一階のみならず二階以上も現役の建物で、アパートとなっており、住居や事務所に使われている。



 

左:やや南側から見た正面ファサード。
右:無装飾でタイルも張られていない部分が、戦後の建て増しと思われる。右側、錆びきったトタンに覆われた非常階段が鬼気迫る雰囲気を醸し出していた。



上:正面及び南面の三階、四階。



上:南側。やはり四階だけスタイルが違うので、建て増しと思われる。



上:四階南側を遠くから見ると、こんな感じ。アンテナの林立が高度成長期の団地を思わせる。



上:裏に回ると、戦後の建て増し部分であり、ここは現役で使われているので、階段を伝って屋上まで昇れる。



 

左:外壁が剥落して、下の人に当ることを防止するため、手入れの悪い古いビルにはこのようにネットがかけられていることがよくある。
右:このように、木造二階の文化住宅みたいな感じだが、人が住んでいる。



上:屋上に出ると、こんな感じ。階段が一番裏、つまり西端にあるので、昇りきって屋上を見るとつまりは東側を見ることになる。右側、脚立のようなアンテナが近景で、遠くに緑釉瓦が見えているのが弥栄会館(登録有形文化財)。弥栄会館もこのサイトで何度も紹介している。更にその向こう、山麓が清水寺付近となる。



上:北側には、南座の大屋根が間近に見えた。



上:かろうじて現役のビルなのだが、廃墟マニアが狂喜しそうな雰囲気と化していた。



 

左:絶対通る気にならない非常階段。中央、上からちょっと下ににゃんこがいるのがお分かりだろうか?
右:朽ちたアンテナ。二宮尊徳の亡霊のように写っているのは同行した共同管理人風太。



上:非常階段にいたにゃんこ。可愛い三毛であった。



上:声をかけるとこっちを向いてくれた。とてもきゃわゆい。



上:別に前衛写真を撮ろうと思ったわけではないww。塔屋の中はガラクタがぎっしり詰まっていた。この中に下階へ続く階段があると思われるのだが、確認できず。



上:塔屋全景。まぁこんな感じなのだ。



上:同じく塔屋。内部は殆ど空きスペースなさそうである。



上:これは東側、正面ファサードの最上部である。四階がセットバックしているので、バルコニー風になっていてそこに木が生えている。



上:東山を遠望する。右端のほうに八坂の塔が写っている。



上:東側から西側を見る。見えているのは鴨川対岸のビル群。



上:なんだかシュールな光景であった。



 

左:転がった椅子は、まぁ夕涼み用だと思われる。
右:しかし色々と謎なものもあった。



 

左:わざわざ屋上まで運んで自転車を捨てなくてもいいと思うのだが。
右:こんな感じなので、柵も怖くてもたれられない。



上:この日僕は黒マントを着ていたようだ。



上:なんで冷却塔に湯沸かし器が?!



上:どうやら元は雑誌だったらしい。もはや原形をとどめていない。



上:かつては風流を愛する住人がいたらしい。



上:段々になった不思議な町家。しかも半分に切断されて、あとはビルになっている。



 

左・右:錆付いて、蔓草が絡んで、それが更に枯れてと、ホラー感満点の非常階段。



上:北隣のビルの屋上。なんだか不思議な造りだった。



 

上:東京オリンピックの中継とかを受信していたのではないかと思われる朽ちたアンテナ。
右:紐だらけで通りにくい階段であった。



 

左:大和会館北側は狭い路地になっていて、ここを通らないと裏側の階段には行けない。三毛猫がいた。さっきの子が降りてきたのだろうか?
右:街灯は傘付裸電球。雰囲気ありまくりである。



上:ぶった切られた町家。



 

左:大和会館の真向かいに2007年頃まで存在していた、風情ある飲み屋街。
右:その入り口で一際目立っていた「バー・リヨン」。当時既に現役店舗ではなかったが、残念ながら現存しない。恐らく戦後すぐの建物だと思われたのだが。



 

左:「バー・リヨン」玄関付近。
右:鑑札はもちろん「お茶屋」ではなく、そして「カフヱー」でもなく、「酒場」であった。



上:この看板だけでも欲しかった・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァァン!



上:二階は店舗ではなく、マダムの住居だったのだろう。この位置に暖炉があったとは思えないので、煙突は飾りであろう。



 

左:かつてはサントリーオールドの壜や、グラスなどがディスプレイされていたのだろうか。
右:大和大路(別名縄手通)はとにかく電線が多いとおりであった。大路といっても一方通行の狭い道である。



上:縄手通の老舗草履店



上:大和通りを更に下がる。タイル張りの家具屋さん。



上:この手の門灯も、新しいものはまず手に入らない。伯爵邸のトイレの照明がこの形式なのに器具がないので、ぜひ欲しいのだが(´ω`;)。



 

左:大和大路団栗の交叉点を右折、つまり団栗通を団栗橋方面へ西進すると、すぐに新道通とのT字路に差し掛かる。そこを左折、つまり「東山区新道通団栗下ル」にこの可愛らしい名前のお風呂屋さん、「団栗湯」がある。一階を変に改装してしまっているのがちょっと残念。
右:この辺りから、祇園は祇園でも宮川町花街に入る。風呂屋の数軒南側に、この旅館「寿」がある。元はお茶屋だったのだろう、洋館と和館を備える素晴らしい建物で、大正後半〜昭和一桁ぐらいの建物と思われる。旅館としても既に廃業していて、先行きが気がかりでしょうがない。何とか再利用して欲しいものだ。



 

左:寿旅館全景。このように三階建ての非常に立派な建物で(洋館部の三階は建て増しっぽい)、なんと狭い敷地を巧みに使って門まで設けられている。玄関が直接街路に面していないのだ。
右:洋館部。窓が割れていて痛々しい(´ω`;)。



 

左:このように門は封鎖されている。
右:軒蛇腹が美しい。和館の一枚硝子の窓も見事である。



上:寿旅館上部。



上:門も小さいが、極めて手の込んだ造りとなっている。



上:古い建物によくある、さまざまな標章を貼り付けた板。寿旅館のものである。



 

左:やや南側から見た寿旅館。
右:寿旅館北側側面。結構奥行きはある。



上:エロビデオ、エロDVDを自販機で売っていたらしいが、DVDだけ消されているのが笑える。



上:弥栄会館から建仁寺北側を鴨川へ向かう途中にある、洋館付文化住宅(アパートではなく、大正時代の意味での)。このサイトでは二回目の紹介である。



上:建仁寺の土塀が見える。この金物屋の建具、全て木製で素晴らしい。看板も手書きである。



 

左:ということで、祇園甲部まで歩いて、この日の撮影は終了。弥栄会館の見える路地(ろうじ)。一見さんはまず入れないお茶屋バーなどはこういう隠れ家的な場所にある。
右:祇園甲部の街並み。



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