甲子園篇Y



 

左:2008年3月21日、甲子園の歴史と文化を守り育てる会のシンポジウムで用いる写真を撮影して回った。これはまず、僕らの町内の浦風公園と、そこに建てられた浦風会館である。
右:甲子園筋(旧電車道)の邸宅とポプラ並木。この季節なので葉はまだ芽吹いていない。高度成長期、バブル期、大震災を経て随分土地が分筆、細分化されたところが増えたが、かつてはこの規模の邸宅が建ち並んでいた。



 

左:甲子園三保町交叉点から北を見る。立派なポプラ並木が旧電車道で、交差しているのは鳴尾御影線。
右:甲子園筋の景観。葉が茂ると非常に美しくなる。この見事な並木がいきなり切られたのが、甲子園の歴史と文化を守り育てる会設立のきっかけとなった。



 

左:豪邸の石垣だけ残してマンションになっている事例が阪神間では非常に多い(´ω`;)。
右:甲子園二番町交叉点。これより北が並木が切られてしまった部分である。住民パワーを結集し、これより南の並木伐採を食い止めた。いずれも運転しながらの撮影なので、ひどい写真なのはご容赦願いたい。



 

左:上甲子園交叉点で甲子園筋は終わるのだが、更に狭くなる道を直進すると、アール・デコ調のステンドグラスのあるこのお宅がある。フロント硝子が写りこんでいる(´ω`;)
右:新堀川沿いの景観。今でも大邸宅が多い。



 

左・右:旧新田邸(松山大学温山記念会館)前。新堀川がまるで堀のようになっている。



 

左・右:新田邸の正門。門に至るまでのアプローチがこんなにあるのだ。
右:新田邸正面ファサード。新田家の婿であった建築家木子七郎により、1928年に建てられた大邸宅である。かつてここで甲麓庵歌會第12回関西例会を催した。スパニッシュスタイルの洋館の裏には、数寄屋造りの和館が連なっている。



 

左:玄関附近。これが個人の家なんだから、大したものだ。
右:玄関細部。



 

左:アーチ窓はステンドグラスであった。
右:更に新堀川を遡行すると、国鉄東海道本線に至る。日本で二番目に古い鉄道路線なので、1874(明治7)年のものが残っている。



 

左・右:白く塗られてしまっているが、縁石は石、そして煉瓦積みである。単線から複線、複々線へと継ぎ足されたあとも見て取れる。



 

国鉄甲子園口。表に当たる南側の駅舎は下らない戦後の鉄筋コンクリートだが、北口の駅舎は古い木造の洋館で、とても美しい。1934年、駅開業当時のものだろう。



 

左:木彫が美しい。
右:北改札。普通しか停まらないが、それでも一時間に上下それぞれ八本は設定されている。この区間の東海道本線は土堤なので、コンコースはトンネルとなっている。



 

左:甲子園口商店街。レトロな建物は随分減った。
右:旧電車道の東側エリア。今も残る豪邸の生垣と、破壊された豪邸のあとのプレハブアパートや駐車場。



 

左:豪壮な石垣と生垣。
右:震災後建て帰られたのか、それでも敷地の広い家が多い。



 

左:いきなり甲子園筋を南下。これは甲子園球場前交叉点から南側を見たところ。この辺りの並木はポプラではない。
右:その南、甲子園八番町交叉点。マイクロバスが停まっている辺りが、かつての阪神パークの入口附近である。ここからまたポプラ並木となる。



 

左:甲子園九番町附近。
右:かつての路面電車の終点だった濱甲子園駅址からバス通りを右折、西に向かう。南甲子園、濱甲子園も古いお屋敷が沢山残っているエリアである。これは浜甲子園一丁目のF邸。玄関が二階建ての洋館、その奥にマンサード屋根の洋館がつながる複雑な構成となっている。



 

左:F邸の門と玄関。
右:F邸の和館はかなりモダンな造り。



 

左:防潮堤の上から浜甲子園の町を見る。遠景のマンションは旧競輪場跡地。Alfa-Romeoは当時の僕の愛車。
右:堤防に沿って、防潮堤ができる前には波除の用途もあったであろう煉瓦塀が残っていた。



 

左:防潮堤から東側を望む。人工島が作られ湾岸高速が走り、僕の子供の頃とは景観が激変している。防潮堤も当時はコンクリート打ちっぱなしで、車も通れるようになっていた。テトラポッドの上を走り回るのが子供の頃の楽しみだったのだが、それもなくなってしまった。
右:西側を見ると六甲の山並みが迫る。



 

左:堤防と住宅の間に、これも元の堤防代わりだろう、古い石塀が残っている。この辺り、子供の頃は豪邸が並んでいたのだが。
右:道路に下りて、変わり果てた堤防を見る。



 

左:中津浜線に出る。昭和初期と思しき、洋館附設邸宅。
右:その隣りのI邸も洋館附設だが、洋館が「玄関脇の応接間兼書斎」ではなく、二階建ての本格的なものとなっている。



 

左:I邸全景。
右:I邸洋館細部。



 

左・右:再度旧電車道に戻る。浜甲子園のバス通りと甲子園筋ののお宅である。



 

左:甲子園筋沿い、甲子園九番町の東側ではただ一軒残っている洋館附設住宅。
右:この写真だけ2008年11月29日撮影。甲麓庵関東例会勢を案内して芦屋市六麓荘町に行った時に出会った、猪の一家である。可愛かった。



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