~戸女學院篇



 

左:前章に引き続き、2010年3月20日に西宮市の岡田山山上をキャンパスとする名門中の名門ミッション女子校、神戸女学院のキャンパスを探訪した。因みに、「空の境界」という連続アニメ映画の第六章忘却録音」に、神戸女学院のキャンパスがそっくりそのまま登場しているが、プロテスタント組合派の神戸女学院があろうことかカトリックの礼園女学院ということにされてしまっていて、物議をかもしているらしい。チャプレン室から、プロテスタントにはありえないシスターが出てきたりするのだ(-公- ;)。ともあれ、「鈴宮ハルヒの憂鬱」シリーズに続く、西宮市内を「聖地」とするアニメ作品ということになる。写真はは「日本一美しい図書館」といわれる神戸女学院図書館本館一階玄関ホール。見事なトラバーチン風立体塗装が施された壁のアール・デコ調照明である。
右:図書館の主階段。



 

左・右:図書館二階に上がると、この吹き抜けの大閲覧室が広がっている。本当に素晴らしい、溜息の出るような美しい空間である。



 

左:カウンター周囲。
右:閲覧室の奥にある飾り暖炉。ストーブを入れて使うタイプである。



 

左:これだけ広く、天井も高いので、古楽のコンサートにはもってこいだろう。
右:反対の端には聖書に基づくレリーフが飾られている。



 

左:三階に上がると、こちらも読書室である。
右:屋上に出る螺旋階段。



 

左:同上。
右:三階読書室の奧には、戦時中の鉄兜などが陳列されていた。



 

左・右:三階読書室から、二階大閲覧室を見下ろす。



 

左:この扉を出ると、素晴らしい眺望のバルコニーに出る。
右:二階に下りて、三階の螺旋階段を見上げる。



 

左:図書館二階バルコニーからの光景。神戸女学院の中心部は、図書館、理学館、総務館、ソール礼拝堂、文学館に完全に囲まれた、この「秘密の花園」のような美しい中庭である。これは図書館からみて左手にある、理学館。いうまでもないが、1933年竣工、設計者はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
右:図書館の正面には、中央の噴水の向こうに総務館が見える。総務館の向かって左、木の奥に見えているのがロマネスク様式のソール礼拝堂、その左が理学館。



 

左:これが文学館。震災で傷み、屋根は全て葺きかえられているが、これも1933年の建物である。
右:図書館バルコニーは、このようにスクラッチタイルの美しい空間である。奥は理学館。



 

左:バルコニーの手摺り越しに理学館の南端部分を見る。
右:北向きに建っている図書館正面二階のバルコニーから北側を見る。総務館は南側が正面で、右に西面する文学館がある。総務館の背後の大屋根は、総務館と一体の建物であるスミス記念大講堂。



 

左:理学館。
右:文学館。この二つが中庭を挟んで向き合っている。非常によく似ているが、中央のデザインなど細部はそれぞれに個性的。



 

左・右:図書館正面からまっすぐに道が延び、庭の中央の噴水がロータリーとなり、そこで文学館と理学館を結ぶ道と交差している。本当に美しいキャンパスである。



 

左:光学ズームでソールチャペルを見る。左手、理学館の煙突がまた美しい。
右:バルコニーから図書館正面玄関の石段を見下ろす。



 

左:廻廊を通って、文学館へ向う。
右:文学館の廊下。



 

左・右:文学館の中央主階段室。アーチ窓が美しい。



 

左・右:文学館南端の階段教室。



 

左:大教室の壁面レリーフ。
右:大教室前のシェイクスピア像。震災で破損したが、新たに寄付されたとのこと。



 

左:文学館南階段を上がると、そこが大教室入口である。
右:各階廊下に設置されているベル。合成チャイムではなく、本物の鐘の音で講義時間を告げるのである。



 

左:文学館二階からの眺望。中庭側ではなく、外側である。正面は中高部(どうやら手前が中高部一号館、若干背の高い奧の建物は実は1979年に建てられた現代建築であるタルカット記念館らしい)、左手前は大講堂と中高部を結ぶ廻廊、遠景は旧聖和大学(現関西学院大学教育学部)である。
右:文学館二階から、すぐ隣の大講堂正面ファサードを見る。このように、文学館と大講堂も廻廊で結ばれている。



 

左:文学館中央階段。
右:文学館外側正面玄関。



左:文学館中庭側正面玄関。噴水越しに理学館が見えている。
右:文学館中庭側正面玄関ポーチ。美しいタイルの市松模様と、アール・デコ様式の門燈。



 

左・右:文学館前から中庭を挟んで理学館を見る。



 

左:中庭の植え込み越しに総務館を見る。この岡田山の地は、1872(明治5)年に旧尼崎藩桜井忠興子爵が購入し、別邸としていた。中庭の一隅に日本庭園の築山があるのは、その名残だと言われている。桜井氏は徳川氏が三河の土豪だった時代に「十八松平」と呼ばれた分家の一つ、「桜井松平氏」なので、江戸期に入ってから幕府から「ありがた迷惑にも松平姓を押し付けられた」、徳川氏と血縁のない松平氏(江戸十八松平)と違い、松平氏の古い古い末裔であった。
右:総務館の正面玄関。



 

左:大胆に金色のタイルが用いられている。
右:総務館玄関ポーチの天井。アダムスタイルの繊細なレリーフである。



 

左:総務館の門燈。
右:総務館玄関ホールの天井装飾。



 

左・右:玄関ホールの奥は、見事な主階段となっている。ステンドグラスは全て無色で、その奥は屋外ではなく大講堂と総務館を仕切る吹き抜けの大廊下となっている。



 

左・右:主階段の左右親柱はランタンとなっている。



 

左:総務館主階段の大ステンドグラス。
右:総務館主階段の天井装飾とシャンデリア。



 

左:主階段から二階を見上げる。院長室、理事会室などがある学院の中枢である。この日はまだ三月なのでお目にかかれなかったが、実は四月から僕の同志社時代の恩師、森孝一教授が院長として着任された。
右:たまたま大人数の見学団と遭遇した。



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