神戸女學院篇㊦



 

左:2010年3月20日、神戸女学院訪問時の写真は、本章で最後となる。総務館正面大階段を昇らず、裏に抜けると、総務館と大講堂を仕切る吹き抜けの大廊下に出る。右側が総務館、左が大講堂である。実は総務館、スミス記念大講堂、ソールチャペルは一つの建物なのだ。勿論献堂は1933年、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計である。
右:大廊下から、総務館主階段のステンドグラスを見上げる。



 

左:ソール礼拝堂前の木になんだか白い花が咲いていた。園芸に全く興味がないので名前は知らない。
右:ソール礼拝堂脇にひっそりと打ち捨てられている、奉安殿のペディメント。戦前は、私立ミッションスクールにまで愚劣な国家主義の統制が及んでいたわけだ。



 

左:ソールチャペル前から図書館を見る。本シリーズで図書館内部及び図書館バルコニーからの光景は散々紹介したが、図書館本館の正面ファサードは初登場である(笑)。向かって左に連なっているのは文学館。
右:ソールチャペルの正面ファサード。ネオ・ロマネスク様式の美しい聖堂である。



 

左・右:繊細な薔薇窓の意匠が素晴らしい。



 

左:ソール礼拝堂玄関回り。コリント式の柱が支えている。右側で総務館・大講堂にそのまま繋がっているのが判る。
右:ソールチャペル玄関。



 

左・右:ソールチャペル玄関周り。一分の隙もない構成である。



 

左:礼拝堂に一歩入って、右を見るとこの通り、先ほどの大廊下である。大廊下がそのまま礼拝堂の玄関ホールとなっているのだ。
右:礼拝堂の扉。美しい金具である。



 

左:同じく、美しい扉。
右:礼拝堂内部。いかにも我が組合派の教会らしい、簡素ながらも決して貧相ではなく、そして温かみのある礼拝堂である。改革長老派などとは全く雰囲気違う。向かって左にのみ側廊のある、アシンメトリーな造りになっているのが珍しい。



 

左:正面祭壇奥のステンドグラスは、蠟燭をデザインしたもの。
右:左側、つまり西側の側廊である。東側は大講堂の舞台裏に当るので、側廊も窓もない。



 

左:祭壇前から入口側を見る。屋根を支える木造トラスの小屋組みが美しい。
右:聖歌隊席にはパイプオルガンも設置されている。



 

左:正面ステンドグラス。
右:側廊上部。トラバーチン積みに見えるが、これも左官職人の妙技、塗装仕上げなのだ。



 

左:ソール女史を記念する銘盤。
右:礼拝堂の玄関ホール即ち大廊下は更に西側、そして北側へと縦横に延びる廻廊に繋がっている。これは北への廻廊。



 

左:大廊下からまっすぐ行くと、西である。
右:社交館各室には素敵な暖炉があった。岡田山オープン当初の建物ではなく、二年後の1935年の献堂であるが、ヴォーリズ建築である。



 

左・右:いずれも社交館の暖炉。特に右の暖炉は可愛らしくて気に入った。我が家にも欲しい(笑)。なお、どちらも部屋の隅の三角コーナーに設置されているのは、一本の煙突を二つの暖炉で共有するためである。



 

左:いよいよスミス記念大講堂へ入る。玄関ホールにある、二階席への見事な階段。
右:大講堂内部。アーチ状の額縁(プロセニアムアーチ)は珍しい。丁度市内の高校合唱部の合同練習が行われていて、甲陽学院高校合唱部顧問で僕とは旧知のS先生にばったり会った。



 

左・右:二階席から見下ろす。礼拝用の小型パイプオルガンが見えている。



 

左・右:一階席から二階席を見上げる。大パイプオルガンが二階席の半分以上を占めている。実は、この大講堂も礼拝堂として建てられているのだ。



 

左:二階席から大オルガンの側面を見たところ。
右:スミス記念大講堂正面ファサード。神戸女学院の建物は、全てスクラッチタイルとスタッコ塗りで仕上げられている。



 

左:大講堂前から中高部一号館を見る。
右:アンジー・クルー記念館。実は震災後1997年献堂の建築である。



 

左:中高部一号館と、回廊の門。
右:この門を抜けると、グラウンドに出る。



 

左:左が多分1979年献堂のタルカット記念館、右は中高部一号館。
右:グラウンド側から見た回廊の門。



 

左:グラウンドから藤棚と大講堂を見る。
右:グラウンドの西端は、岡田山頂上平地の外れでもあり、西側に落ち込む崖となっている。そこに、ヴォーリズ設計の古い体育館があった。平屋に見えるが、斜面に立っているので二階建てである。背後の煙突も素晴らしい。



 

左:これもヴォーリズ作品である煙突。
右:岡田山の東側斜面には、古い寮や宣教師館が何棟か残されている。



 

左・右:ケンウッド館、グリーンウッド館などと名づけられている。是非歌會をやりたいという話で盛り上がった。



 

左:神戸女学院の北端は、道路すら隔てず、塀一枚で旧聖和女子大学と隣り合っている。中央奥に見えるのは戦前のヴォーリズ建築である四号館。1932年の建物である。
右:両大学の間には門が開かれている。神戸女学院側の門柱の注意書は、「聖和大学」のままであった。聖和大学も新しい校舎まで「ヴォーリズ調」にはしているのだが、そのレベルは女学院や関学と比べるとかなり「ええ加減」といわざるを得ない。



 

左:グラウンドから、大講堂と中高部を結ぶ廻廊を見る。素敵な大時計があった。
右:グラウンドからみたソール礼拝堂。蠟燭のステンドグラスが見えている。



 

左:藤棚の床は煉瓦であった。
右:ドーリア式の列柱が支える、瀟洒な藤棚。



 

左:藤棚側から見た、ソールチャペルと大講堂。
右:理学館の裏側。膨らんでいる部分は実験教室である。



 

左:同上。
右:理学館の裏側、南端附近。



 

左・右:図書館新館前のシェイクスピアガーデン。



 

左:シェイクスピアガーデンから見た文学館外側正面。
右:そして正門を後にした。全く、「完璧なる美」というほかないキャンパスであった。



 

左・右:ここよりは2010年3月22日に撮影した、同じく我が西宮市に所在する夙川カトリック教会聖テレジア大聖堂である。この日は我が日本テレマン協会の教会音楽シリーズが開催されたのだ。1932年献堂、設計は梅本省三、カトリック大阪大司教区の旧カテドラルの格式を持つ。



 

鐘楼の内部にはカリヨンが納められている。



 

左:大聖堂脇を歩く延原武春先生
右:正面破風を見上げる。



 

左:妻壁の十字架。
右:玄関脇に飾られている、震災まで屋根を飾っていたフラ・ダ・リ形の瓦。



 

左:玄関ポーチの天井装飾。
右:カテドラル内部。成果体積から見下ろしたところ。内陣がコンサートのステージである。



 

左・右:コンサートの光景。



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