京都篇其ノ拾九



 

左・右:2009年3月27日、「あまから手帖」に連載していた「『食と建築』クロニクル」の取材で、京都の冨士ラビットを訪ねた。登録有形文化財になっている、設計者不詳の実にユニークなビルヂングである。1923(大正12)年に、T型フォードの輸入を手がけていた日光社の社屋として建てられ、戦後は同じ会社が富士重工のラビットスクータの代理店となったため、「冨士ラビット」と呼ばれるようになったもの。正面のパラペットは日輪を象ったものではないか、といわれている。なんと一階は「なか卯」。ステンドグラスのはまったゴージャスな空間で牛丼が食べられる。



 

左:まずは二階へ。二階、三階は粂田オーナーのご自宅なのだが、二階はサロンとして開放されているのだ。
右:窓ガラス、オリジナルの古いものが残っていた。



 

左:真鍮製の古いドアノブ。前方後円墳型の鍵穴が懐かしい。このタイプの鍵が現役で使われているところも、少なくなってきた。
右:このドアの型押し硝子もいまや希少品である。



 

左:冨士ラビット時代の景品のタオルをあしらったメニュー。
右:メニューの中身。



 

左・右:手すき和紙の凝ったメニューブックであった。



 

左:あくまでも個人のお宅なので、最後の注意書はご愛嬌(笑)。運がよければ牡丹鍋などもあるとのこと。
右:階段の親柱。



 

左:階段室の天井。
右:一階脇玄関(二階への入口)に掲げられた冨士ラビット時代の標章。



 

左:極めて貴重な品である。
右:一階湧き玄関外側には、ラビットのトレードマークを基にしたこのような洒落た看板が。



 

左:裏に当る、南側ファサード。
右:西側は側面なので窓がなく、総力もない。



 

左:東側側面の北端見上げ。コンクリート洗い出し仕上げとタイル仕上げである。
右:北東門におかれていた巨石。



 

左:外側から見たステンドグラス。T型フォードの図柄である。
右:京都市歴史的意匠建築物と国登録有形文化財の標章。



 

左・右:玄関両脇には、同じデザインの表札が附けられていた。



 

左:正面ファサードを見上げる。
右:素敵な門燈。



 

左・右:アール・デコ調だが、煙突から煙を出す工場が描かれている。極めて近代的デザインであるといえよう。



 

左:向かって左側。
右:玄関を挟んで、向かって右側。



 

左:以下、店内から撮影したステンドグラス。タイヤのデザインである。
右:田園をドライブする情景が描かれている。



 

左:ドライブしているのは運転手付のフォードである。
右:こちらは煙棚引く工場。



 

左:工場の前を走るのは、積荷を満載したトラックである。
右:自動車工場であろう。



 

左:玄関床部分。
右:正面ファサード左側。



 

左:正面ファサード中央部。
右:主面ファサード右側。



 

左:道路の対岸から、正面中央パラペットを撮影。
右:正面ファサード中央付近。



 

左:正面二階と三階の間の銅版レリーフ。「日光社」の社屋であるので、日輪を乗せた馬車を御するアポローンもしくはヘリオースではないか、といわれている。
右:三階細部。



 

左:レリーフのアップ。
右:再度正面ファサード。



 

左:レトロな玄関になか卯の幟(笑)。
右:庇には「なか卯」の文字が燦然と輝く。



 

左:ドアにつけられたラビットの商標。
右:二階サロン入口の扉である。



 

左:二階サロンの内部。この部分は漆喰がはがされ、内部の煉瓦が活かされている。
右:フォードの工場のエッチング。撮影する僕と椅子に座る粂田氏がうっすら映っている。



 

左:リンカーン・モーター・カンパニーとある。
右:冨士ラビットの宣伝写真。



 

左:二階窓から見た七条通の向かい側。
右:天井灯も素敵だった。



 

左:七条通は近代建築の多い通りである。これは長らく「若林仏具製作所」の倉庫として使われていた「グランベルジュ京都七條倶楽部」。元々は鴻池銀行七條支店として1927年に竣工、設計は大倉三郎である。近代建築の活用として、とてもよい例といえよう。
右:七条通の伝統的町家建築山崎屋仏具店



 

左:山崎屋の門燈。
右:これも七条通の元銀行、「セカンドハウス七条西洞院店」。堂々たるドーリア式オーダーの聳える、どう見ても銀行建築がカフェになっているのが面白い。元々は1914年(大正8)年に吉武長一の設計で建てられた村井銀行七條支店である。



 

左:これも七条通の近代建築、「村瀬本店」。リノベーションではなく、当初からの用途のまま大切に使われている。
右:堀川七條上ル東側、千枚漬の老舗「西利」の本店は、なんとポストモダン建築であった。若林広幸氏の1990年の作品である。



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