京都篇其ノ貮拾



 

左:前章に続き、2009年3月27日の写真で構成する。下京區の冨士ラビットの取材を終えた僕と担当編集者N嬢は、市バスに乗って堀川丸太町まで北上、一般公開されている府庁を訪ねた。府庁前交叉点(釜座丸太町)から拾い釜座通りが府庁正門まで続くというシンボリックでシンメトリーな古典的構成になっているのだが、これはその途中にある府警本館
右:こちらは京都市立「まなびの街生き方探求館」という訳の解らん名前の施設。岸和田市立自然資料館同様相当程度の低い職員しかいないようで、文化財級近代建築のリノベーションであることはサイトのどこにも触れられていない。ひどいセンスでとんでもなく変な色に塗られてしまったが、これは旧市立滋野中学校である。京都市営繕課の設計で1937年に竣工したもので、最初は尋常小学校だったのが戦後新制中学に転用されたらしい。



 

左・右:釜座通りのどん突きに正門があり、重要文化財でありながら現役庁舎である京都府廳本舘が聳えている。極めてバロック的な造りである。



 

左・右:府庁正門を入って向かって右(東)側にある、府警本館。1929年に京都府営繕課の設計で建てられたかなりモダンなビルで、和歌山県庁舎によく似ている。あえて言うならネオ・ロマネスク様式である。



 

左・右:府庁本庁舎正面車寄せとドーム。松室重光の設計で明治37年(1904)に竣工した。ネオ・ルネサンス様式である。



 

左:玄関前室の細部。細密に装飾されている。
右:玄関ホールと主階段。



 

左:シンメトリーな主階段。
右:廊下の柱、扉周りなど、非常に密度の濃い装飾が施されている。



 

左:建築当初の古い瓦が展示されていた。
右:主階段前から一階廊下を見る。床は石貼りであった。



 

左:主階段窓から見た中庭の枝垂桜。古い硝子が残っていた。
右:主階段細部。見事な手すりは大理石であった。



 

左・右:いずれも主階段。壮麗な空間である。



 

左:二階階段ホール。
右:二階廊下は木張り、絨毯敷きであった。



 

左:各室に暖炉が設えられている。飾りではなく、全て本物である。
右:扉も一つ一つ装飾されていた。



左:非常に豪奢な暖炉。
右:同じ部屋。副知事など三役のオフィスだったのだろう。



 

左:天井も非常に凝っていた。
右:実は現代アートの展示が行われていた。だから入れたのである。



 

左・右:廊下から見下ろした中庭。ロの字型の建物で、中庭はなんと小川治兵衛の作。洋風庭園まで手がけていたとは。



 

左:脇階段を利用した展示。
右:ぐるり一周廊下があるので、あらゆる角度で庭を楽しめる。



 

左:廊下も裏側に当る部分は簡素となる。
右:本館から中庭にT字状に飛び出した部分がある。



 

左:このようにT字状なのだが、これはつまり便所である。
右:脇階段の可愛らしい飾り。



 

左:枝垂桜が満開であった。
右:旧知事室の窓から大文字山がよく見えた。



 

左:旧知事室が特別に公開されていた。かつては秘書が詰めていた前室が「京都観光文化を考える会」の事務所となっていた。
右:繊細な天井装飾。



 

左:旧知事専用食堂の暖炉。
右:同じく天井。



 

左・知事食堂から知事職務室への扉。
右:知事室から府警本部を見る。硝子がかなり歪んでいるのが判る。



 

左:知事のデスク。
右:知事室のシャンデリア。



 

左:知事室に置いてあった豪奢なサイドボード。黒マント姿の僕が鏡に映っている。
右:これほど立派な台に乗せるならプラスチック植木鉢より陶磁器の壺などにして欲しい。



 

左:知事専用トイレ。
右:知事室の小卓。



 

左:知事室の暖炉。
右:何部屋も続きの間となっていた。



 

左:知事室のサイドボード、柱時計など。
右:古い扇風機と消防ポンプ。



 

左:各部局長の在席状況が一目で判る電光掲示板。
右:これも知事室にて。



 

左:タイル張り、アール・ヌーヴォー調の暖炉
●:これは知事食堂だったか。



 

左・右:見事な枝垂桜。まだ寒い日だったのだが。



 

左・右:真っ暗にして映像作品の展示が行われていた、正廳。セレモニーなどに用いられた部屋である。



 

左:映写機が並べられている。この部屋は正面玄関の真上である。
右:正廳の天井飾り。



 

左:当サイトでは既出であるが、平安女学院昭和館。
右:地下鉄烏丸線丸太町駅にて、なんうも滑稽味のある整形外科の広告。



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