
阪~間雜記W

左:ものすごく古い写真が出てきたので、本章はそれから始める。なんと2002年7月7日の撮影である。これは阪神尼崎駅南側駅前広場にあった、昭和初期の時計台。時計は取り替えられているが、現役である。
右:そして、阪神尼崎駅南側にあり、車窓からもよく見えていた有名廃墟、故・米沢病院。残念ながら現存しない。

左・右:これが失われたのは本当に惜しい。震災も耐えた建物なのに。データ不明だが、昭和初期のモダニズム建築であった。

左:庄下川に面していた、米沢病院の正面ファサード。
右:庄下川の堤防にあった柱。照明だったのか? 高度成長期の地下水くみ上げにより激しい地盤沈下が起こったことは僕らの世代にはよく覚えている出来事なのだが、それにより堤防がかさ上げされているのも判る。

左・右:米沢病院細部。

左・右:北側には窓がない。

左:1904(明治37)年に建てられた、阪神電鉄旧尼崎発電所。
右:ここからはいきなり四年後となる。2006年10月14日、つまり僕の生誕記念日だが、くれぴ少年と一緒に旧尼崎警察署庁舎の一般公開に行った。この庁舎は生田署に続き県内二番目の鉄筋コンクリート警察署として1925(大正14)年に置塩章の設計で建てられたもの。全面的に吹き付け塗装がなされてしまっているのが惜しまれる。現在、普段は閉鎖されており、年に数度のイベントでのみ公開という状況ながら、市としても活用したいとのこと。

左:裏側。一階窓がベニヤで釘付けにされている。普段は殆ど廃墟なのだ。
右:戦後は長く児童館として使われたので、一階二階の内部はその頃のまま。

左:一階廊下。「荒れ果てている」というほどではない。
右:吹き付け塗装が剥がれてきている。元々はコンクリート洗い出し仕上げである。

左:脇階段。これは踊り場。東側面の勝手口を入ったところ。
右:脇階段の親柱。ちゃんと装飾されている。

左:主階段の手摺り。ジントギ(人造石研ぎ出し仕上げ)製だが、竜の落とし子らしきレリーフが施されている。
右:児童館時代は閉鎖されていた地下室。きっと色々な怪談、都市伝説が生まれたことだろう。

左・右:地階は警察署時代、留置場と取調室だったところである。阪神間雑記V(旧作補遺)でも詳しく紹介している。

左:こういうものもそのまま残されていた。
右:主階段一階親柱。地下への階段が封鎖されていたので、ひどいことになっている。

左・右:親柱の飾りはなかなか凝ったものだった。恐らく大理石製。

左・右:そしてこれが二階。地下一階地上二階なので、県下二番目の鉄筋警察署庁舎とはいえエレベータはない。

左:二階廊下。
右:二階の講堂兼武道場。

左:天井のボードに穴があった。暗くて見えなかったが、オリジナルの天井装飾が残っているらしい。
右:脇階段。

左:正面玄関附近。
右:昔の建物は地下が半地下で、一階が高く、玄関前に石段があるものが多い。

左:玄関上部。かなり幾何学化されているが、作者得意のゴシック様式である。
右:玄関の石段。

左:二階窓から、南向かいの旧制尼崎高等女学校を見る。
右:二階窓から北側の壁面を見る。

左:地下へ主階段。
右:封鎖されていたのに、つまり戦後は殆ど使われていないのに、二階への階段よりむしろ地下への階段の方がボロボロだった。不思議なものである。

左:暗くてよく判らないが、破損している梁。
右:地下の廊下。ホラー映画のロケにそのまま使えそう。

左・右:電気が通っていないので、臨時で一階からコードを引いての照明である。

左・右:独房内は落書きだらけ。全て半世紀以上前のものである。

左:独房内から通路を見る。通路もとても狭い。
右:非常に暗い、狭い通路を見学して回る。

左:房の扉。
右:留置場当時の日課表。

左:夏なら肝試しができそうである。
右:旧警察署の真向かいは、旧制尼崎市立高等女学校(この当時は市立成良中学校。現在は廃校)である。女学校にしては無骨な校門であった。

左:1933年築、かなりモダンな校舎であった。
右:アーチの連なる廊下。

左:正面玄関。
右:玄関脇の八角窓。

左・右:これはどこだか不明。警察署か?

左・右:戦後一時期市役所が置かれていた旧制城内中等学校。

左:赤字が褪色しているのはまぁいいとして、「歴史文化ゾーン」の表示に「ここわ」ってσ(^◇^;)。
右:旧尼崎城内エリアなのだ。

左:城内通り(旧国道)を西進、庄下川を渡ると、場外へ出る。この表具屋さん「大津表具店」はスクラッチタイル張り。昭和一桁と思われる。旧向井眼科とのよし。
右:1937年に建てられた旧開明尋常小学校。廃校となってから塀が取り払われ、外壁も塗り直されている。

左:旧開明小学校。
右:西側には一部塀が残されている。穴が沢山開いているのは米軍機の機銃掃射のあと。非戦闘員の一般市民を、女性だろうが子供だろうが容赦なく殺したのがアメリカの「正義」である。現在に至るまであの悪の帝国は全く何一つ変わっていない。まるで改革長老派にそっくりといえよう。

左:その真向いにある消防団の詰め所と火の見櫓。
右:尼崎信用金庫記念館。実は再建で、しかもその際に煉瓦を平積みにしてしまっているσ(^◇^;)。元の建物は明治30年代、つまり19世紀の建築だろう。

左:こちらも尼崎信用金庫の近代建築。1930年に建てられた旧本店である。かなりモダン。
右:国道43号線に面して建つ、椿本ビル。といってもこの「第二阪神国道」よりはるかに古い建物である。

左:椿本ビル正面。1916(大正5)年に尼崎共立銀行本店として建てられた立派なビルヂングだが、設計者不詳である。辰野式だし、辰野片岡建築事務所ではなかろうか?
右:界隈は旧国道と阪神本線に沿った古い下町で、まだまだ路地や長屋が残っている。

左:レトロな長屋と未舗装の路地。
右:煉瓦の防火壁が残っていた。

左:当日同行したくれぴ少年が写っているが、旧国道沿いにあるスパニッシュスタイルの瀟洒な洋館。かつては醫院だったのではなかろうか? 大正末〜昭和初期と思われる。
右:同じ建物の玄関周り。腰までスクラッチタイルが貼られている。調べたら、1940年に竣工した建築家前川悦三のアトリエ兼自邸とのこと。

左・右:前川邸細部。確かに、素人の見よう見真似ではない、建築家の作品である。