弐千六〜七年関東下向記T

 

 

左:2006年6月27日の写真より。神田の表通りで見つけた木彫の蛸。結構なお値段であった。この日の写真は全部携帯で撮影なので、画質が悪いのはご容赦願いたい。
右:とても暑い日だったので、皆で鰻を食べにいった。老舗の「今荘」というお店である。唐破風の玄関庇とその上の丸窓がいい雰囲気。




上:「今荘」全景。このように木造三階建てのいい建物であった。




 

左・右:非文化学院の破壊現場。「文化」を名乗りながら自らの歴史を体現する名建築を破壊するとは、なんと次元の低い学校か。




 

左:関東平野は富士信仰が盛んな土地柄で、富士塚のある神社が多い。一々お山開きをするのである。
右:東京という街のレベルがよく判る、無残な姿になってしまった交詢社倶楽部址。




上:入谷で見つけたお稲荷さん。とても不気味でよかった。




 

左:営団地下鉄入谷駅からうすぐのところにあった、三階建てのすごい酒屋「水上酒本店」。1929年とのこと。
右:一応戦後モダニズムの傑作とされているが、何がいいのかさっぱり解らない単なる醜いコンクリートの塊、東京文化会館。1961年、前川國男の設計で完成した。ここからは2007年4月の東下りの写真である。十三日の金曜日であるこの日、ここで日本テレマン協会東京定期演奏会が開催されたのだ。




上:東京文化会館前から見た、上野駅。屋根がとても古くていい感じ。




 

左:明けて14日には甲麓庵歌會第5回関東例会を開催した。地下鉄白山駅から会場に向かって歩く道すがら、「食料販売所」なるものを発見。なんか、米穀通帳を持参しないと売ってくれなさそうな名前である。
右:その並び、レトロな今川焼屋さん。




 

左・右:文京区白山はなかなか風情のあるところであった。




上:同上。




上:この質屋さんなど、明らかに戦前建築であった。




上:車は入れない石畳の狭い路地の奥に、今日の会場である「花みち」があった。大正時代に待合茶屋として建てられた建物である。




上二枚:いずれも「花みち」正面ファサード。路地が狭いので、とてもじゃないが全景は撮れない。




 

左:風情のある玄関。
右:入るとこんな感じ。




上:広々とした玄関。飾り窓の奥は電話室である。




上:玄関には古い柱時計。どことなく伯爵邸「甲麓庵」にも似ている。




 

左右:会場となった二階の座敷。二間ぶち抜きで贅沢に使った。




上:これはまだ歌會開始前。




 

 

上九枚:「花みち」の内部、そして歌會の様子。




上:猫八さんが持ってきてくれた、熊本の老舗菓子司「暗香堂土佐屋」の名品、「月知梅」。後継者がいないため廃業となり、これが最後という逸品であった。




 

 

 

 

上八枚:「花みち」の内部。廊下、手洗い、階段、玄関など。




 

 

 

 

 

 

 

上二十枚:「花みち」周囲の街並み。狭い路地に沿って花街の面影を残す建物が並んでいる。




 

上二枚:同上




 

上六枚:元待合茶屋と思しき、「濱乃家」。近年まで営業していたと思われる。




 

左・右:しゃれた煉瓦蔵のある家。




 

左:星の中にGは東京瓦斯の標章だろう。
右:煉瓦蔵の家の隣。




上:二軒長屋の看板建築。




 

左・右:大阪や京都はほぼ平坦な市街地を持つが、実は江戸の町はでこぼこの坂の町で、台地の上に武家屋敷=山手が、崖の下には下町が広がるという、モザイク状の構成になっている。よって街を歩いているとあちこちでこのような石段や坂道に出くわすのだ。




 

左・右:歌會後、懇親会を始めるまでの間に一人で随分と歩き回った。




上:幽霊のように寝ているのは(笑)、甲麓庵関東幹事のリュミ女史。




上:懇親会の模様。左から妙椿さん、五郎さん、えっちゃん女史、ナガマル、リュミ女史。




上:しょぴとワカメ女史。




上:起きても幽霊に見えるリュミ女史ww。




上:左からえっちゃん女史、城山氏、ナガマル、リュミ女史。




上:左からしょぴ、ワカメ、スモーキンモンキー氏、221系氏。




上:牧師の卵二人。




 

左:伯爵。(城山氏撮影)
右:この日参加してたのに写ってなかったので、前夜撮影したセイノ。




上:鏡に伯爵が写っている。退出前に更に館内見学させてもらったのだ。




 

 

 

上四枚:ということで、この日のラスト。「花みち」内部。




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