弐千九年関東下向記Ⅶ



 

左:前々篇、、前篇に引き続き、2009年5月13日の写真で構成する。かなり夕暮れ時となり、写真が撮りにくくなってきたのだが、新富町を歩く。
右:マンサード屋根の看板建築が並んでいた。



 

左:同じ建物の全景。いずれも屋上にマンサードがある。
みぎ:その二軒の間にはいい雰囲気の路地が。



 

左:駐車場の部分も、古い長屋などが破壊されたあとだろう。その奥に元は仕舞屋だったと思しき古い民家がある。
右:1970年頃のマンションと思われる。こういう時代のものも「レトロ」と感じるようになってきた。



 

左:蔦に覆われた看板建築。
右:大阪も東京も、都心の運河を随分埋め立ててしまっている。本当に愚かな都市政策だったというほかはない。ここは川のあとが掘割のまま首都高速となっていた。



 

左:前篇で紹介した、菊正宗の東京支店である築地菊栄ビル。つまりかつては運河に面して優雅な姿を見せていたわけである。
右:築地地区に入る。こちらもまた看板建築の宝庫であった。



 

左:同じ看板建築を道路の反対側より。隣もよい建物である。
右:非常にアヴァンギャルドな洋館、トラヤ薬局。欄間や二階の窓はステンドグラスである。看板建築というより、本格的な洋館といってよかろう。



 

左・右:これは伝統和風建築の正面だけを洋風にした看板建築、「美容室ツキジ」。素敵なファサードであった。



 

左:威風堂々、三階建ての看板建築、「宮川商店」。鳥肉専門店である。
右:すっかり暗くなった頃、通称「築地本願寺」こと、浄土真宗本願寺派本願寺築地別院に到達した。つまり西本願寺の出先である。



 

左・右:夜の本願寺はライトアップされ、何ともいえない雰囲気であった。



 

左:毎月一度、パイプオルガンコンサートが催される。1970年代の極めてモダンな楽器で、つまり古楽全盛の今となってはかなり時代遅れなタイプであることは否めないが、しかし仏寺なのにパイプオルガンがあるのだ。
右:門柱のデザインも素晴らしい。



 

左・右:本願寺築地別院正面ファサード。このインド・サラセン様式の不思議な建築は、鬼才伊東忠太の設計で1934年に竣工している。



 

左・右:大きすぎて建物全景を一枚では撮れなかったので、左右両翼の塔を別々に撮影。



 

左・右:本願寺門前に聳える素敵なレトロビル、華僑大廈(華僑ビル)。このとき既に殆どのテナントは退去し、殆ど廃墟となっていた。1928~9年頃の建物らしいが、確かにこのスクラッチタイル張りは間違いなくその頃である。



 

左・右:華僑大廈細部。



 

左:ビルの表札。
右:玄関ホール。



 

左:玄関ホールをストロボなしで。
右:ストロボを焚いてもう一枚。実に勿体ない、素晴らしいビルである。



 

左:一階正面は店舗であったらしい。ストロボを焚いて。
右:正面ファサードを見上げる。



 

左:立ち去りがたく、一階正面をノーストロボでもう一枚。アジアンゴシックそのものの存在であった。
右:こちらも極右レイシスト低能都知事の文化的無能により保護されることもなく破壊が決まっている、歌舞伎座である。パリのオペラ座、ミラノのスカラ座を建て替えるといってるのも同然のとんでもない暴挙なのに、この国の首都ではこういうことが普通に行われているのだ。巨匠岡田信一郎の設計で1925年に杮落とし。戦災ののち、1951年に復興した歴史的名建築である。



 

左:ライトアップされた夜の歌舞伎座。
右:ここからは5月14日の撮影分となる。新宿西口にて闇市時代の雰囲気を今に伝える思い出横丁。



 

左:非常に狭い路地に太い電線の束が架けられているのが面白い。
右:思い出横丁の景観。



 

左・右:思い出横丁もまた「アジアンゴシック」な雰囲気に満ちている。



 

左・右:東京では僕の好きなスポットの一つ。但し鶴橋高架下の延々と広がるアジアンゴシック感と比べると、非常にスケールは小さい。



 

左:デパートであることをやめてしまった、三越新宿店。一応柱状装飾があるが、戦後物件だろう。
右:こちらは戦前のアール・デコ建築である、伊勢屋丹治呉服店新宿本店。但し建築的に美しいのは伊勢丹と合併し消滅した旧ほてい屋呉服店の部分である。1933年竣工、設計施工は清水組。



 

左・右:内部にはオリジナルのインテリアを殆ど残していない伊勢屋丹治呉服店だが、外装は実に素晴らしい。



 

左・右:特に一階部分の装飾が素晴らしいのだが、人通りが多くて撮影しにくい。



 

左:玄関の天井部分。
右:実に繊細な装飾である。



 

左:伊勢丹正面ファサード。新宿三丁目交叉点に面している。
右:この日は東郷青児美術館で岸田劉生展を見た後、新宿を散策し、更に銀座まで歩こうと新宿通りをどんどん歩いていった。物凄く風の強い日だったが、これはその途中見つけたデムパ系のお店



 

左:同じお店「宇宙村」だが、UFOは天体らしいww。
右:今度はすごい名前の喫茶店を発見。「珈琲館&サルーン 騎士道」である。



 

左・右:この日はみぃあの飼い主龍丸と歩いていたのだが、二人とも猫好きゆえにこの看板が目に留まった。しかし大阪資本だったとは。「草部うどん のらや」なんて知らなかった。



 

左:滅茶苦茶かっこいい70年代モダンな喫茶店、「ロン」。
右:四ッ谷駅前にて、本人は勿論遺族の承諾も得てないと思われるすごい名前の金券屋「ケネディ」があった。



 

左:番町付近を散策すると、こんなプレートを発見。有島武郎旧邸址である。
右:銀座まで歩くつもりが、マイミクのアリス女史に「うちに遊びにいらっしゃい」といわれてお屋敷にお邪魔した。この子は愛猫のマシロくん。とっても人懐っこくて可愛い巨猫であった。しゃがんでいるのは龍丸である。



 

左・右:マシロちゃん、可愛い♪ 伯爵邸甲麓庵のちはる姫同様、マシロくんも元は野良だった保護猫とのこと。ちはる姫もマシロくんも、とても野良出身とは思えない気品がある。やはりやはり人も猫も氏より育ちなのだなぁ。



 

左・右:アリス邸ではとても美味しい西瓜やお寿司をご馳走になった。器があまりにも素敵だったので撮影。



 

左・右:アリスさんのコレクション。



 

左:ここからは2009年5月15日撮影となる。東京駅神田口に隣接する巨大なオフィスビル、鉄鋼ビルヂング。戦後物件だが、正面玄関など吹き抜けの重厚な空間であり、もはや「レトロ」な風格が漂う。1951年竣工。
右:国指定重要文化財となった、高島屋東京支店。1933年開業、設計は高橋貞太郎である。



 

左・右:側面を見ると、かつての高層棟はは正面道路に面した部分だけで、後部に大幅な増築が行われていることが判る。



 

左:正面ファサード。車が邪魔ww。
右:正面玄関周り。



 

左・右:正面玄関細部。素晴らしい建物ではあるが、しかし日本の百貨店建築の最高峰は、やはり大丸心斎橋本店である。日本橋高島屋のほうが先に重文指定されるなど、全く意外という他はなかった。高島屋東京支店のほうが先立ったのは、場所が東京である、ただそれだけの理由だろう。



 

左:玄関風除室の天井。
右:一階売場。吹き抜けの気持ちいい空間である。ただ、シャンデリアに昼光色の蛍光燈を入れるのはやめて欲しい。



 

左:トラバーチン製の階段だが、装飾は非常にあっさり、モダンな造りである。
右:屋上塔屋は純和風装飾なのが面白い。



 

左:このように、よく見れば寺院建築のような意匠である。
右:屋上には陶製の噴水塔があった。



 

左:同じく。噴水池の周囲にはキュビズム調のペリカン像が設置されている。
右:屋上緑化されているが、かつてはもっと「デパートの屋上」らしく遊園地だったと思われる。



 

左:ご一緒した歌人の中條レイコ女史(「中部短歌」所属)と城山達郎氏(「玲瓏」所属)。
右:可愛く刈り込まれた植木。



 

左:なんと百葉箱があった!!
右:塔屋細部。



 

左:窓から見た増築部分。上階には歴史的様式を意識した装飾が見られる。
右:階段は極めてあっさりしていた。



 

左:自動式に改造されてはいるが、ほぼオリジナルのまま現在も使われている古式エレベータ。扉、インジケータなど創建当初のものである。
右:人がカメラを構えてるにも関わらず、傍若無人なおばはんがこのようにフレームインしてきた。東京だけあって客層は極めて悪いといわざるを得ない。ともあれ、籠が到着し、扉が開く一瞬前なので、籠扉が写っている。真鍮パイプ製の安全扉というタイプで、現存するものは極めて少ない。



 

左:籠内の操作盤。このように、自動式に改造されつつも真鍮製で往時の雰囲気を残しており、なおかつかつての駆動ハンドルを扉開閉スイッチとして再活用している。また、見ての通りエレベータガールが写っている。自動式とはいえ、常時エレベータガールが操縦しているのだ。やはり百貨店はこうでなければならない。
右:籠自体、オリジナルのものが大切に使われている。雷紋が美しい。



 

左:籠内から安全扉を撮影。
右:エレベータ周りの意匠。大理石製で、エンタシスの柱型が掘り込まれている。



 

左・右:呼出釦もオリジナルと思われる。



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