弐千九年関東下向記X



 

左:2009年5月13日、日本フードアナリスト協会のパーティーに参加するため、東下りした。会場が銀座で、かなり時間が余ったので、まずはぶらぶらと都市探検である。これはいわずと知れた、「ゴジラが壊す銀座の和光」。1932年に渡邊仁の設計で服部時計店本店として建てられた、アール・デコの素晴らしいビルヂングである。



 

左:繊細な装飾が美しい和光ビルヂングの細部。
右:歌舞伎座の近所にある、改造社書店と日乃出本店の阿修羅男爵のようなビル。このサイトでは二度目の紹介になるが、区分所有らしく日乃出という馬鹿な会社の最悪のセンスが恨めしい。設計者、年代とも不明。



 

左:改造社・日乃出ビルの細部。テラコッタの美しいほうが改造社である。
右:歌舞伎座の裏手横に見える別棟。



 

左:歌舞伎座正面ファサード。この建築は登録有形文化財である。岡田信一郎の設計で1925年に竣工。東京大空襲で大きな被害を受けたが、1951年に復興したものだが、もうすぐ破壊され超高層化されてしまう。パリでオペラ座を建て替えるような愚行である。これが日本の首都の文化レベルなのだ。大した文化国家というほかない。
右:歌舞伎座正面玄関の唐破風。



 

左:歌舞伎座細部。
右:この一番手前の部分(東側)は戦後の建て増しだろう。



 

左:東側側面ファサード。左(南)側が戦後の増築部分、奥は元からの部分であろう。
右:東側ファサードの北側部分、つまりオリジナルが残っている部分。高層部分は舞台である。



 

左・右:東側細部。すごいところに階段があるが、扉がない。他のところから屋根に出た上で、さらに高いところへ登るためのものらしい。



 

左:この大きな千鳥破風の部分は舞台袖と思われる。
右:東側の使用されていない玄関。大道具などの搬入、搬出には使われるのだろう。



 

左・右:更に舞台裏の部分。



 

左:東側ファサードを別の角度から。
右:北側、つまり舞台裏側は色々建て増しされているようだ。



 

左・右:北側は街路に面していないので、建物の隙間から見ることになる。洗濯物が干してあったりして面白い。



 

左:室外機が並ぶ舞台裏。楽屋なのだろうか?
右:昭和通沿い、えらく怪しげな民間療法院があった。



 

左・右:この時発見した、竹田ビル。1932年竣工、スクラッチタイル張りで一階及び二階の軒以外は殆ど装飾のないモダニズム系のビルヂングである。六階は増築だと根拠もなく断定している無責任な素人サイトもあるが、果たしてどうだろう? この瑠璃瓦葺きは相当古めかしい。もし増築としても戦前で、当初からのペントハウスである可能性のほうがはるかに高いだろう。



 

左:同じく竹田ビル。一階には東京中にある喫茶「ルノアール」が入っていて、なんと貸し会議室があった!! ということで、11月には甲麓庵歌會を催すことになった。
右:一階は石貼りで、美しく装飾されている。



 

左:一階は丸々「ルノアール」である。正面向かって右側の玄関が二階以上のテナント部への入口となっている。エレベータは二階からという変則的な構造であった。
右:従って玄関ホールはいきなり階段室である。御影石の親柱が美しい。床や手すりは人造大理石であった。元は「銀座ホテル」であったとの由。今もお住まいの方がいらっしゃるようだし、「ホテル」といっても「滞在型」「アパート型」のものだったのだろう。戦前の文学作品にはその手のホテルがよく登場する。夙川のパインクレストなど有名である。



 

左:向かって左側の階段親柱。
右:同じく右側の階段親柱は半ば壁に埋まっている。腰壁は緑釉がかけられたスクラッチタイルで、美しい。



 

左:個人名が見えるので、お住まいの方がいらっしゃるようだ。
右:玄関の照明。



 

左:玄関室の奥は美しい豆タイルモザイクの床であった。
右:二階から玄関ホールを見下ろす。



 

左:美しい緑釉タイル。
右:簡素な階段。やはり高級ホテルというより、アパートに近いものだったのだろう。しかし当時としてはかなりハイカラだったはずである。



 

左:床のリノリウムはあとから貼られたものだろう。壁なども吹きつけとそうされていて、オリジナルは分からない。
右:階段。



 

左:階段。
右:エレベータもオリジナルではない。元は蛇腹だったろう。



 

左・右:一階だけしかない部分。二階から上は凹状になっている。隣のビルとの狭い隙間に面している部分なのに、装飾されたパラペットがあった。



 

左:湯沸し室。床はタイルモザイク、流しは人造大理石研ぎ出し製である。
右:すぐ近くにあった、明らかに戦前に建てられた古い商家、福隆美術工芸



 

左・右:刀剣古物商の横の路地を通って、竹田ビルの裏(西)側に回る。実は竹田ビルは奥行きがあって、裏側の道にも面しているのだ。ただ、こちら側は全体が建て増しなのか、東側の諸上面ファサードとは全く趣が違い、更にモダニズム色が濃い。正面側はホテル、裏はテナントビルだったのかもしれないし、裏側は建て増しなのかもしれない(といっても戦前物件である)。また、こちらの六階は建て増しだろう。



 

左・右:実は狭い通路を通って、こちら側からも「ルノアール」に入れるようになっている。



 

左:「ルノアール」の裏口。
右:そこから見上げるとこんな感じ。



 

左・右:裏側玄関も、入るとすぐに階段になっている。極めて急な階段で、親柱の造形が実に面白い。



 

左:昭和通を挟んで竹田ビルの斜め向かいに、同時期に建てられたスクラッチタイル張りの小さなビルヂングがある。
右:一階は小料理屋になっている。下手な改造が惜しまれる。



 

左・右:このように、二階と三階は別のテナントなのだろう。名称は宮脇ビルであった。



 

左:宮脇ビルから裏通に入る。この界隈、古い建物が結構沢山残っていて面白い。これは一階のみ無粋に改装されているが、ビルヂングというより三階建て洋風町家といった趣でいい感じ。



 

左:面白い階段のあるバラックがあった。物干し台に登るための階段だったのだろう。
右:こちらは立派な商家建築、「中村畳店」である。昭和初期ぐらいだろうか。



 

右・左:古い木製硝子戸に金文字、実に素敵である。



 

左:硝子欄間もすごく凝った造りである。
右:木製の郵便受には、旧町名と交換台時代の電話番号の琺瑯プレートが。



 

左:中村畳店をもう一枚。
右:これは戦後だろうか? しかし看板建築には分類されよう。



 

左・右:三階建ての棟割店舗三軒長屋。正面だけでなく角地なので側面もきちんと洋館風になっているが、しかし看板建築に近い洋館といえよう。古書店「閑々堂」が入っている。



 

左・右:同じ長屋。中央、両脇、そして柱型を三色の人造石洗い出し仕上げで作っている。いい仕事ぶりである。パラペットのレリーフもなかなかの出来。



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