弐千九年関東下向記Ⅳ



 

左・右:2009年前半は本当にしょっちゅう東下りしていた。これは2月28日撮影。川越駅から蔵の街一番外へと向かうバス通り商店街で見つけた、廃業した古い玩具屋さんの擦り硝子欄間である。



 

左・右:同上。戸がサッシでなく木製なのがとてもいい感じ。



 

左:山下玩具店という店であった。
右:その近所で見つけた面白い看板。



 

左:電電公社時代の標章。電話番号が二桁だから、相当昔と思われる。
右:武州瓦斯などの標章。



 

左:このサイトではもう再々登場しているのでデータは省くが、川越商工会議所ビルと龜屋茶舗。
右:蔵造りの商家。



 

左・右:川越のシンボルストリート、蔵の町一番街の一本東側の通りにも、面白い物件が多い。乳母車専門店なんて初めて見た。



 

左・右:同じ通りにある、中成堂齒科醫院。些か綺麗にリフォームし過ぎの感があるが、1913(大正2)年に建てられた下見板張り、ハーフチンバーの本格的な洋館である。



 

左:中成堂の門柱。どうやら作り直したもののようだ。昔の電話番号をわざわざつけているが、この銘板も新しい。どうせなら古いものを磨いて使えばいいのに、失われていたのだろうか?
右:同じ通りで。「税理士榎本潔事務所」だが、町家に見えて実は洋風というすごい建築であった。



 

左:榎本事務所の窓。実はなんとステンドグラスなのだ。内部は間違いなく洋間だろう。
右:その近くにある古い洋館。菓子司龜屋の別邸だそう。



 

左・右:亀屋の別邸。樹木が多く、塀も高いので撮影しにくかったが、階段室と思しきところにステンドグラスが見える。



 

左:龜屋別邸のステンドグラス。少女趣味的で可愛らしい。
右:再度川越商工会議所。



 

左・右:歌人豊島ゆきこ女史のご案内で、古い町家を改装した食事處「深井屋」にて昼食。鰻が美味しかった。



 

左:「フカゼン」への帰路、榎本事務所近くで見つけた古い防火壁。
右:これも当サイトでは何度も登場している、埼玉りそな銀行川越支店。



 

左:りそな銀行のほぼ向かいの横丁にある、洋館長屋。
右:旧山吉百貨店の素晴らしいステンドグラス。



 

左・右:旧山吉百貨店は、現在は保刈齒科醫院として使われている。看板もステンドグラスである。



 

左:川越に来ると、大抵この道にも入って撮影している。
右:すごい名前の質屋があった。「真実の口」である。



 

左:監視カメラもついているのだが、古い地名地番時代の住所板、それに琺瑯の標章が貼られている。右のは「埼玉縣衞生協會員」と書かれている。
右:西武本川越駅近くの古いお宅。どうやら破壊されるらしい。



 

左・右:同じお宅。勿体ない。



 

左・右:いずれも本川越駅近くにて、素敵な看板があった。



 

左:ユニークな外壁のお宅。擬石造りである。
右:マルヒロ百貨店川越本店。屋上の観覧車がいい感じ。モノレールもあるようだ。



 

左:東武鉄道で池袋に出た。これは閉鎖直前の三越池袋店。東京に初めて下った高校三年の時、東京で最初に入った思い出のデパートである。当時は手動エレベータであった。自動式に改造されて入るが、三枚扉で片開き、端の一枚は実は戸袋という構造は元は手動だったことを偲ばせる。
右:階段は簡素なデザインだが大理石張りである。



 

左・右:翌三月一日、龍丸邸にてバザイスでございすに座るみぃあ姫。



 

左・右:2009年3月1日は第拾參囘關東例會(国分寺吟行)であった。会場はここ、旧岩崎男爵国分寺別邸である都立殿ヶ谷戸庭園である。



 

左・右:公園の正門から更に奥に行くと、この門に至る。大正2年から4年にかけて江口定条の別邸として建てられ、昭和に入って岩崎家の手に渡り更に増築された広大な別荘である。当時の国分寺は本当に田舎だったのだろうが、それにしても広い。国分寺崖線の高低差と湧水を巧みに生かした庭園は素晴らしい。洋館も少し残っている。



 

左:三月に入ったとはいえまだまだ非常に寒い日であった。



 

左:事務所前の水瓶となんとなく人を馬鹿にしているような猿ww
右:この洋館は岩崎別邸の一部が保存されたもの。設計は津田鑿、竣工は1929年とのこと。



 

左:雪なんて滅多に降らんだろうに、雪吊がしてあった。
右:洋館の窓から見た歌會参加者の皆さん。硝子も古いものであった。



 

左:洋館内にて。
右:タイル張りの可愛い暖炉があった。



 

左:同じ暖炉。タイルの色合いが素晴らしい。
右:元々の名前は「随宜園」というらしい。



 

左:洋館から出てくる計良誓乃
右:洋館外観。暖炉の煙突がある。



 

左・右:洋館外部。三菱財閥の屋敷とはいえ、別荘なので簡素なバンガロー風の建物となっている。



 

左:裏の木戸に岩崎家の三菱紋があった。
右:既に梅が咲いていた。



 

左:紅梅と白梅。
右:歌會会場となった紅葉亭の横には獅子脅しがあった。



 

左・右:別荘の正門は高台にある。そして敷地内にこのように急な崖があって、それを生かした庭が造られている。この崖が国分寺崖線なのである。



 

左:崖線の下側には大きな池が。
右:崖の途中から紅葉亭を見上げる。



 

左:下まで下りると飛び石があった。
右:湧水を利用した瀧。



 

左:下から見上げた紅葉亭。
右:崖下の池。



 

左:庭園を吟行して歌を詠む。
右:紅葉亭裏側。



 

左:紅葉亭の庭側は吹きさらしの三和土になっていて、天井は網代であった。
右:三和土は瓦が敷き詰められている。手前の人物はラ・リュミエールさんと城山達郎さん。



 

左:逆光の人物は221系氏のようだ。
右:吟行を終えて集まってきた参加者。中央は龍丸と洋子ちゃん。



 

左:紅葉亭の利用案内。サイトに出ていないので不便である。
右:紅葉亭は離れの茶室なのだが、ちゃんとトイレが会って、入口も凝っていた。



 

左:すごく立派な沓脱石。
右:室内。ここで歌会である。



 

左:なぜか扁額がこんなところに。
右:歌會が終わって片付けているところ。



 

左・右:言い合いをしているようで面白いww。木瓜、紫蘭と漢字で書かないからこういうことになる(笑)。



 

左・右:岩崎別邸の鉄筋コンクリート蔵。戦時中は岩崎男爵家の財産をここに疎開させていたらしい。



 

左:新宿にて。アジアンゴシックテイストな旅館街があった。旧旭町ドヤ街とのこと。
右:文部科学省へ向う途中、霞ヶ関附近の地下鉄駅構内にて。「ぴょん」ってあんた、兎じゃあるまいしσ(^◇^;)。(2009年3月2日)



 

左:同じ広告の細部。
右:そして旧文部省庁舎(登録有形文化財)に到着。



 

左:殆どモダニズムだが、スクラッチタイル張りで、玄関附近の装飾はゴシック風である。アニメ「魔法遣いに大切なこと」では、「総務省魔法局」の設定で登場していた。
右:下から二つ目の「平成20年度NPOによる文化財建造物活用モデル事業実施報告会」と書いてあるのが、僕らが参加した会合である。銀聲舎として助成を受け、南海摩登博覧會を開催したわけだが、その報告に来たわけだ。



 

左:ぶれてしまっているが、文部省一階正面玄関入ったところの大階段。
右:古式エレベータ。但し籠や駆動装置は新しいものに変えられている。



 

左:これが会場の「第二会議室」。会議室というよりちょっとした講堂であった。内部の装飾はかなりライト調であるのに驚いた。



 

左:講堂の天井装飾。
右:裏階段。



 

左・右:シンプルで美しい階段だった。



 

左:三月三日、丸の内にて。殆ど剝製化され、正面部分を残すのみながら登録有形文化財となった日本工業倶楽部。元の建物は横河民輔の設計で1920(大正9)年に竣工したもの。
右:その附近をやたらレトロ仕様な都バスが走っていた。これは関西でも導入して欲しい。旧居留地や堺筋、御堂筋などこういうバスが様になる。



 

左・右:戦災以来二階建てとなり屋根の形状も変わっている東京駅を竣工当時の姿に戻す工事が、丁度ころころ始まったのだった。歴史を考えると、今の姿になってからのほうがはるかに長く、よほど高齢の人以外にとっては今の東京駅のほうが思い出の姿のはずなので、この工事には僕はそれほど賛成はしていない。東京ステーションホテルの手動式エレベータを復元してくれるならちょっと楽しみだが。



 

左・右:見るも無残に、目も当てられない惨めな姿に変わり果てた丸ビル。東京駅を一生懸命復元し、三菱一号館のパッチモノを建て、その同じ丸の内で丸ビルを破壊し、東京中央郵便局を破壊しようとし、「首都の玄関口」はもうどうしようもないほどちぐはぐなことになっている。これが「文化国家日本」の真の姿である。実に馬鹿馬鹿しい。



 

左:東京駅の工事用借り囲いの壁面に、昔の写真が沢山貼られていた。ここに、上述の古式エレベータが写っている。エレベータシャフトがスケルトンになっているタイプで、実にかっこいい。
右:工事の始まった東京駅。既に屋根がなくなっている。因みに竣工は1914年、勿論設計は辰野金吾博士であった。



 

左:東京中央郵便局庁舎破壊工事現場の表示。
右:東京中央郵便局。既に大時計の針がなくなり、痛々しい姿であった。



 

左・右:東京中央郵便局。この頃はまだほぼ原形を留めていた。



 

左:逓信建築の巨匠吉田鉄郎の設計で1931年に完成した、モダニズムの傑作であった。
右:忌々しい破壊工事の表示。ポピュリスト小泉のポチだった貧相な小男西川善文の悪行である。



 

左:この建物を壊そうとする人間を人間と認めていいものか? 
右:痛々しい東京中央郵便局。



 

左・右:死の商人にして守銭奴である非文化企業三菱財閥の間抜け振りがこれ以上ないぐらい如実に現れているのがこの一角。手前の不細工な張りぼては丸の内八重洲ビルの成れの果てである。かつては1929年に建てられた、角に塔のある瀟洒なビルヂングだったのに、こんなひどいことになっているのだ。しかもその奧に見えている張りぼては、パッチモノの三菱一号館なのだ。「明治の建物を復元する当社は文化企業です」といいたいらしいが、そのすぐ隣でこれをやってるんだから、もう馬鹿というほかない。



  

左:新・丸ノ内八重洲ビル。ディズニーランドの張りぼての方がまだましである。よくもまぁここまで下品で悪趣味なものを建てられるもんだ。美意識が根本から腐っているのだろう。
右:そしてこのちゃちな偽物が新・三菱一号館。何をかいわんや、である。



 

左・右:こちらは重要文化財となった明治生命館。1934年に岡田信一郎の設計で竣工した傑作である。



 

左:明治生命館の側面(南)ファサード。側面でもこの迫力である。
右:その隣りはGHQとしても有名な第一生命館。実は一旦解体されての復元なのだが、よいできである。1938年、設計は渡邊仁。



 

左:第一生命館の側面(南側)ファサード。
右:そして正面の列柱。



 

左・右:第一生命保険相互会社と書かれた正面玄関。意外と小さい。



 

左・右:第一生命館正面列柱の内側。いわゆる第三帝国・スターリン様式の無機質な感じがとてもいい。



 

左・右:第一生命館は裏にあった農林中央金庫本店と共同の再開発でDNタワー21という超高層ビルになっている。第一生命館側は旧来の建物がよく残っている(復元ではあるが)のだが、農林中央金庫側はその犠牲になって、このように剝製状態になってしまっている。こちらのもとの建物は1932年の竣工で、設計者は意外なことに同じく渡邊仁。こちらは端正な新古典主義なので、ちょっと渡邊仁とは思えなかった。



 

左:旧同潤会青山アパート。1927年に竣工したモダニズムの美しいアパートはすべて破壊され、醜悪極まりない拝金主義的建築、「表参道ヒルズ」へと変わってしまった。これは申し訳のようにただ一棟残されているアパート。
右:その夜はネオ・チャイナタウンと化している池袋北口にあるお気に入りの満洲料理店、「永利」にて晩餐となった。



 

左:卓上にあった、アンテナまでついて大袈裟な呼出装置。
右:店内の様子。洋子ちゃんと龍丸が写っている。店員は勿論、客も殆ど中国人である。



 

左:名物の巨大な酢豚。これが大好物なのだ。
右:とにかく美味しい。



 

左:小龍包も美味しい。
右:貪るきょん姫。



 

左:店内にあった卵の箱(笑)。
右:帰りの車窓から見た日比谷公会堂。(2009年3月4日)



 

左:そして国会議事堂。
右:御殿場パーキングエリアには雪が残っていた。



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