2008年関東下向記W
上12枚:2008年4月11日、日本Telemann協会定期演奏会終了後、同月一杯で廃業となる上野の名所、「レストラン聚楽台」へ行って名残を惜しんだ。「古きよき東京」はもはや殆ど残らなくなってしまった。とても悲しい。
上野公園は上野駅から一気に崖で高台になっている。その高台に張り付く形で建っているのがこのビルであった。
上三枚:聚楽台が入っている上野百貨店全景。百貨店といってもちゃんとしたデパートだったわけではない。
上:明くる4月12日は甲麓庵歌會第九回関東例会「荻窪春爛漫吟行」であった。これは武蔵浦和から荻窪へ向かう途中、国鉄武蔵野線から中央本線に乗り換える西国分寺駅にて。「近代化の寺」ってどんなだろう。
上:荻窪駅で集合、午餐會ののち、吟行開始。アメリカンエクスプレス社日本法人の門はなんと長屋門であった。
上:長屋門の内側はガレージになっていた。アメックスなのに止まってるのは英国車。
上:アメリカ人の知性では、長屋門に合わせて数寄屋建築を建てるなどという文化的な智慧は働かないようで、事務所ビルは実に下らない。
上:有名な洋館旅館「西郊ロッヂング」。今では一部、アパートになっていて住めるのだ。もし関東に部屋を持つならここがいいな。1930年の建物である。
上:この洋館部分がアパートに、和館は今でも旅館である。
左:このカーブがなんとも言えずいい味わいである。
右:丸窓の下、221系氏が立っているところの新しいステンレスの門扉が、アパート部の入り口である。丸窓がいい感じ。勝手にフレームインしてVサイン出しているのは燦太。
左:ハイカラなアパートである。
右:ちゃんとオートロックになっている。
上:旅館のガレージに、すごいクラシックカーが止まっていた。
上:おそらく僕と同い年か、ちょっと年上ぐらいだろう。
上:ナンバーが「練5」である。すごく古い。
上:踊りも習えるらしい。
左:自動販売機はないほうがいいなぁ。
右:このように大人数の吟行であった。
上:ドーム屋根が可愛らしい。
上:荻窪の街並みは、阪神間とよく似ている。これは数奇屋風和館の玄関脇に小さく洋館風壁と窓が組み込まれている。応接間だけ洋館造りという典型的な「文化住宅」である。
左:同じお宅。洋館部の屋根もちょっと中折れで洋館風になっているようだ。
右:歌會の会場となった旧大田黒邸。ただし吟行なのでとりあえず素通りして更に歩いた。
上:道中で見つけた教会。すっきりしたモダニズムの木造建築だが、ひょっとしたら戦前か? いずれにせよかなり古い。東京フリーメソヂスト教会という教派は知らなかったが、とにかくメソヂスト系、その中でも自由メソヂスト系なのだろう。ちなみに日本フリーメソヂスト教団と日本自由メソヂスト教団は別個に存在している。
上:同上。
左:荻外荘の向かいに、それほど古くはなさそうだがなかなか面白い住宅があった。
右:荻外荘。即ち五摂家筆頭、藤原氏の氏の長者である近衛公爵家の本邸である。敗戦後、戦犯に指名された近衛文麿公が自殺したのもここである。
左:今でも近衛公爵家の邸宅なのだが、かつてより随分狭くなっているらしい。それでも門の中をうかがい知ることはできなかった。
右:基本的に閑静な住宅地なのだが、センスの面ではちょっと疑問符のつく家もあった。
上:戦後すぐぐらいだろうか? ちょっと洒落たお宅であった。
上:同じお宅。これは桜であった。
上:木蓮も咲いていた。いい季節であった。
左:古い地名地番が記された表札。
右:そのお宅はこのような数奇屋風の戦前和館であった。
左:同じお宅。出窓があった。内部はハイカラな洋間だろう。
右:大田黒邸に戻る。門を入るとこのように70メートルもの並木道。個人のお宅だったのである。
上:公園管理棟と茶室。戦後のものらしいが、良い雰囲気で建てられている。
左:大田黒家の土蔵。
右:せせらぎの流れる庭園。
上:広大な芝生。大田黒家は相当なブルジョワだったようだ。
上:大田黒公園の説明。
上:邸内の庭。
左・右:大田黒元雄氏の書斎であった洋館。1933年の建物である。
左:洋館の内部。壁紙がタイル模様で洒落ている。
右:大田黒氏愛用のピアノ。
上:暖炉のある室内。
上:タイル張りの暖炉は簡素な造りであった。
上:重厚なサイドボード。
上:暖炉の上には大田黒家の人々の写真が。
上:これまた重厚な応接セット。
上:邸内の桜。
上:庭園内を吟行する一行。
上:同上。ちょっとズームしてみた。
上:枝垂桜の花びらが浮き、非常に風雅であった。
上:このあと、右手に見えている茶室にて歌會となった。
上:歌會後、荻窪駅への道すがら。これは戦後だろうが、なかなか古風なアパートであった。
戻る 次へ