旧作補遺泉州篇U



 

左:さて、旧作補遺なので、二年前の夏、2007年8月19日撮影分から始まる。物凄く暑い日だったが、大阪府泉南郡田尻町、田尻町立田尻歴史館(旧谷口房蔵別邸)を正門附近から撮影したもの。大正11年に当時の国家的産業であった紡績業の大立者谷口氏が建てた壮麗なセセッションスタイルの洋館を主体とする邸宅で、当時の邸宅であるから当然に数奇屋の和館、土蔵、茶室なども備えている。設計はガスビル、高麗橋野村ビル、大阪倶楽部などで名高い安井武雄。登録有形文化財となっている。
右:敷地に入って随分歩いてから、ようやく門に至る。こういう洋館附設邸宅(ここの場合洋館のほうが大きいが)は和館がプライベートゾーン、洋館は迎賓ゾーンとなっていることが多いので、和風の門だが入ると洋館の正面玄関に至る。お屋敷ホテルとして名高い舞子ホテルなどもそうである。



 

左・右:上に書いた通り、門を入ると洋館である。



 

左:洋館の右(西)側に見事な和館が連なっている。
右:この邸宅の特筆すべき点はステンドグラス。質、量共に素晴らしい。



 

左・右:玄関入ってすぐ左に素敵な応接間がある。現在は資料が展示されている。



 

左・右:洋館主階段の踊り場に便所が設けられている。面白いことに、洋館なのにトイレだけ和風の意匠で作られていて、硝子障子の外側はステンドグラス窓なのだ。



 

左:洋館二階は西半分が和室となっている。和室の奥から主階段の見事な大ステンドグラスを見る。
右:骨董物の洗面台。至るところにステンドグラスが用いられている。



 

左:上の写真の洗面所のステンドグラス。
右:和館部にあるプライベート用浴室なのだが、窓は和風意匠のステンドグラスであった。平成に入るまで住居として使われていたので、浴槽などは比較的新しいものに変えられている。洋館には客用浴室もある。



 

左:浴室のステンドグラス。
右:廊下のステンドグラスと扉。



 

左・右:洋館玄関ホールから立ち上がる見事な主階段。



 

左:和館部にあった和風の洗面台。洗面所として独立しておらず、廊下に直接設えられている。
右:洋館は全面タイル張りであった。



 

左:和館座敷。
右:和館二階から庭の茶室を見下ろす。それほど広い庭ではないのに茶室の規模が非常に大きいのは、この屋敷の当初の用途が住居というより迎賓館だったからだろう。奥に見えている住宅はいずれもお隣さんである。現代的には十分に大邸宅だが、同じ泉州の紡績長者の豪邸でも、岸和田の五風荘などと比べると小ぶりといえる。



 

左:照明器具もいいものが沢山残っていた。文化財建築であるので、京都のガラクタハイエナぼったくり悪徳古物商「タチバナ商会」の毒牙にかかる心配はゼロである。



 

左:一階の主室は二部屋に仕切られた大きなサロン(食堂)である。
右:サロンのぐるりはテラスとなっていて、ステンドグラスが美しい。



 

左・右:今ではタイル敷きのテラスでも飲食できる。



 

左:サロンで使われているサイドボード。真ん中の窓で厨房とつながっている。
右:サロンのシャンデリア。



 

左:サロンでは食事やお茶を楽しめる。写っているのはヒロポンと女給。
右:玄関ホール天井装飾と主階段。



 

左:これが個人のものだったのだから、何とも優雅な時代である。
右:様々な意匠のステンドグラスがあって、見飽きない。



 

左:庭に出てみる。ステンドグラスの内側が一階のテラスである。南側なので、冬はサンルームになろう。
右:和館と洋館はこのようにつながっている。破風はコンクリート洗い出し仕上げ。



 

左:和館の庭側。
右:茶室。



 

左:瀟洒な照明。
右:燈籠と茶室。



 

左:恐らく使用人用の事務室だったと思われる小部屋の窓もこんな感じ。
右:主階段のステンドグラス。



 

左:渡り廊下。和館と洋館の二階はかなり高さが違うことがわかる。
右:田尻町から旧熊野街道の狭い道を南下すると、こんなお屋敷がσ(^◇^;)。この世の中、「絵に描いたような俗物」とか、要するに「ステレオタイプ」って実際にはそう滅多に実在しないものなのだが、「絵に書いたような成金御殿」を見つけてちょっと吃驚。とはいえ、建築だけを見れば結構よいセンスである。しかし全体の組み合わせが(´ω`;)。特に高い塀がすごい。



 

 

上四点:全てN信用。



 

左:時系列が前後するが、ここから8月11日の撮影。猛暑の中、NHK文化センターの講師(当時は単発の臨時講師だった)として岸和田を散策した。これは集合地点である南海電車南海本線蛸地蔵駅。特急停車駅である岸和田駅の一つ南の駅である。南海は明治〜昭和初期の古い駅舎が多く残っている。
右:設計者不詳、大正末に建てられた蛸地蔵の駅舎はマンサード屋根、ステンドグラスを持つ可愛らしい洋館である。



 

左:蛸地蔵駅のステンドグラス。なんと蛸の軍勢が黒い墨を吐きながら騎馬武者を追い払っているというすごい図柄である。そもそも蛸地蔵とは変な駅名だが、駅の近くにある浄土宗の古刹護持山天性寺の通称が蛸地蔵なのである。この図像は岸和田城が根来衆に攻められたとき、地蔵に率いられた蛸の軍勢に助けられたという縁起物語基づくものなのだ。
右:蛸地蔵駅舎のの中心飾り。シャンデリアはオリジナルではないと思われる。



 

左:守りを固める岸和田城を描いたステンドグラス。
右:蛸地蔵商店街で見つけた素敵な擦りガラス。



 

左:昭和初期と思われる、数寄屋住宅。料理屋「別館まるに」となっている。
右:町名表示板が小さくて判らないが、南町にある北醫院である。



 

左:非常に規模の大きい長屋があった。延々と連なっている。
右:岸和田というとだんじり祭の影響で「下町」イメージが強いが、岸和田上周辺の武家屋敷地区は非常に閑静である。これは近年取り壊しつつある、非常に貴重なマンサード長屋。大正末期ぐらいと思われる。



 

左:マンサード長屋の同じお宅。
右:大規模に広い街区を占めていたのだが、こうやって程度の低い営利企業の欲得経営により破壊されつつある。何が大翔ホームか。低等下級ホームと改称するがいい。



 

左:同じくマンサード長屋の一軒。
右:かろうじて破壊を免れているお宅。



 

左・右:マンサード長屋の壮観。岸和田市はこの見事な文化財の破壊に手をこまねいているのか?!



 

左・右:是非住んでみたいと思わせる素敵な長屋である。



 

左・右:当時の岸和田は非常に文化的でハイカラな街だったのだろう。



 

左:蛸地蔵駅から岸和田城の南側を散策したわけだが、一旦堀端を歩いて北側に回ると、すぐにこの自泉会館がある。阪神財閥の一つであり、戦後GHQによる財閥解体の対象となった(つまりそれだけ大規模だった)寺田財閥の総帥寺田甚與茂翁の偉業を記念し、従業員のための倶楽部として建てられたもの。設計者は巨匠渡邊節。いかにも渡辺作品らしく、外観はわりとあっさりしているのに内部は豪華絢爛であった。スパニッシュスタイルの外観という点も含め、同じ設計者の旧乾邸と通じる部分が多い。
右:正面ファサードの中央を占める、可愛い噴水。



 

左:噴水は一角獣のようだ。
右:玄関ポーチ。



 

左:玄関ホール。
右:優美な主階段。



 

左:壁面はトラバーチンだった。
右:大ホールの暖炉。同じ作者の旧乾邸の暖炉とよく似ている。



 

左・右:大ホールはこのように素晴らしい空間であった。これは正面。



 

左・右:ギャラリーが設えられたホール後ろ側。シャンデリアがすごい。



 

左:大ホール、ギャラリー裏側の装飾。
右:二階の露台。



 

左:外壁の照明。
右:内壁の照明。



 

左・右:渡邊が得意とした華麗なタイル使い。



 

左:玄関ホールの床と壁面。黒大理石、トラバーチン、そしてタイルの見事なコラボレーションである。
右:自泉倶楽部の隣は岸和田市立郷土文化室だが、これもどう見ても戦前期の個人住宅であった。



 

左・右:岸和田市郷土文化室。



 

左:庭には出土品だろうか、無造作に石塔などが並べられていたσ(^◇^;)。
右:岸和田城界隈は元の上級武家屋敷街なのだろう、閑静なお屋敷街となっている。このお宅は醫院であった。元は御典醫だったと思われる。右側の立派な石塀は別寅蒲鉾の関連施設。



 

左:別寅の社員寮と表札が出ているが、元々は邸宅だろう。
右:その後、寺田財閥の別邸だった五風荘に回った。炎暑の中、エアコンのない茶室で休憩σ(^◇^;)。これはその茶室である。



 

左・右:酷暑ではあったが、風雅な造りを堪能した。



 

左:茶室から見た五風荘母屋。
右:邸内にあった鳥居。



 

左:五風荘をあとにし、武家屋敷街を抜ける。途中で会った猫は暑さにぐったりしていた。
右:城は町人町より少しだけ小高い丘の上であった。坂を降り、水路を渡るといきなり下町の雰囲気の古い商店街に入る。そこから町人町なのだろう。甘味処「トラヤキ」でで泉州名物くるみ餅入りカキ氷を食して、人心地ついた。



戻る