大阪篇'10年撮影分H



 

左:本章は2010年4月26日撮影分から始まる。道修町4丁目の「高岡福信」。とても小さな和菓子屋さんだが、1624年(寛永元)年年創業というものすごい老舗である。
右:大阪の都心中の都心とも言うべきこのエリアだが、ところどころ古い町家が残っている。



 

左:高所恐怖症には絶対無理な仕事。僕は高いところは好きだが、運動神経がないのでやめておいた方がよさそうだ。
右:ものすごくミニマムな建物があるなぁと思ってシャッターの張り紙を見てみたら。



 

左:不法占拠だった(笑)。市有地のようだ。お店自体は随分昔につぶれている。



 

左:「折詰弁当 風と共に去りぬ」という派手な名前の店だが、市内局番が三桁だから、相当昔である。そして、この「不法占拠物件」は随分長期間、廃店舗としてここに建ち続けていることになる。
右:ここからは5月3日。「長屋カフェjuen」のロールケーキ。



 

左:中崎町駅近くで見つけた、関西弁の看板。
右:都市計画道路にするために更地にされてしまった土地。環状線のガードは近代化遺産である。



 

左・右:その都市計画道路。まっすぐ南下すると教団東梅田教会、讀賣新聞大阪本社前の道につながる。



 

左・右:5月4日、日本一のターミナル梅田にあって昭和名雰囲気が濃厚な「新梅田食堂街」の洋食屋「マルマン」にてランチを食べた。この日の日替わりは牛肉のたたきとハンバーグである。



 

左・右:5月5日夜。和歌山よりの帰路、阿倍野を散策した。阿倍野・天王寺というと近鉄百貨店阿倍野本店があり、梅田、難波に次ぐ大阪第三のターミナルなのだが、ちょっと外れたこの辺りには、大正・昭和初期の古いお屋敷が何軒も残っている。これは洋館付の大規模な和風邸宅(文化住宅)である。



 

左・右:路地の奥にもピンク色の洋館が。



 

左:これも戦前だろう。
右:長屋もハイカラなスタイルである。



 

左:ここにすごく人懐っこいにゃんこ様がいらして、たっぷり撫でさせて下さった。しかし近所の柴犬を連れたおっさんが話しかけてきて、「勝手に餌をやる人がいるから人懐っこいねん」と若干不満そうであった。犬を可愛がるなら猫も可愛がれというのだ。
右:猫の路地が阿倍野筋に出るところに、とても昭和レトロで素敵な美容院があった。



 

左:とっても渋い「美容室マヤ」。
右:阿倍野筋に出ると、もう何年も放置されている大阪市立旧阿倍野体育館がある。モダニズムスタイルなのだが、近代建築として検索しても僕のサイトしか出てこない。



 

左・右:阿倍野体育館の装飾。



 

左:「体育館」の「体」は現用漢字だが、「舘」は旧漢字である。
右:正面玄関附近。



 

左:玄関周り。
右:切符売場。



 

左:玄関の扉も素敵である。
右:掲示板あと。



 

左:角の装飾。
右:アーケードのためファサードを撮りにくい。



 

左:有名な「嶋屋」。
右:これもレトロ喫茶として有名になりつつある純喫茶「田園」。



 

左・右:既に閉店時間を過ぎているのに、ショーケースだけ灯りがついていた。



 

左:阿倍野筋を行く阪堺電軌上町線の路面電車。
右:阿倍野筋の西側は馬鹿な大阪市の阿呆な再開発で壊滅したが、東側はかろうじて路地が残っている。



 

左:その奥にはダンス教室が。
右:「田園」をもう一枚。



 

左:西側に残っている古い居酒屋。
右:あの名店「マルヨシ」の仮説店舗(T_T)。



 

左:ヴィクトル・ユゴーにあやかった屋号だろうか?
右:阿倍野筋にもう一軒ある純喫茶の「スワン」。



 

左・右:阪堺電軌上町線の起点、天王寺駅前電停。



 

左:歩道橋から見た旧大鐵百貨店(近鉄百貨店阿倍野本店)址(-人-)。
右:西側を見ると、国道43号線も倍に拡幅するつもりのようだ。右に旧阿倍野ホテルが見えている。



 

左:東を見る。右が近鉄本店、左は国鉄天王寺駅の新しい駅ビル「天王寺ミオ」。
右:この昭和戦後レトロなビルは天王寺民衆駅。かつては都ホテルも入っていた。



 

左:通天閣と城型ラブホテル。真ん中の森は天王寺公園で、大阪市立美術館のシルエットが見えている。手前の大通りは谷町筋で、谷町筋が国鉄の線路を渡る跨線橋が阿部野橋である。その橋の名が、近鉄のターミナル駅の名前になっているのだから、ややこしい。
右:天王寺駅にて。



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