大阪篇'10年撮影分I
左・右:2010年5月24日、ヒロポン、rjuka君と大正區を訪れた。道の真ん中にいきなり旧交番が建っている。大正警察署北村警邏連絡所である。
左:なんとも不思議な光景である。
右:IKEA鶴濱前から見た港大橋。浪速の名橋50選に選定されている。橋の真下にフンデルトヴァッサーの二つの塔が見えている。
左:IKEA前から見たなみはや大橋。
右:IKEAのカフェテリアにて。北欧料理というとイギリス料理よりも不味い、つまり「世界一不味い」ことで知られているが、それにしてもこのケーキの色彩感覚は尋常ではない。まるで硫酸銅であるσ(^◇^;)。
左:此花区梅香交叉点に、アール・デコ様式の可愛らしい交番を見つけて吃驚!!!!!! 大阪市内の近代建築は殆ど把握しているつもりだったのに、しかもしょっちゅう通る国道43号線沿いなのに、まだ知らない建物があったとは!! 43号線、この辺りは高架のバイパスが通っているので、此花区に用があるとき以外まず下を通らない上、此花区に用があることなど滅多になく、なおかつこちら側(南側)に渡ることがないので、今まで気づかなかったのだろう。「此花 梅香 建築」などで検索してみたが、これも僕が「発見者」らしく、これしか出てこなかった。
右:此花大橋を渡って、舞洲に入る。これがフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの遺作となった、大阪市環境局舞洲工場。つまりゴミの焼却場なのだが、同区内にあるUSJより目立っていて、間違えてこちらに来る観光客が少なくないというのもうなずける。2001年、21世紀最初の年の竣工である。
左:こちらは大阪市環境局舞洲スラッジセンター。舞洲工場からほんの数百メートルしか離れていないところにある、もう一つのフンデルトヴァッサー建築である。こちらは下水汚泥を再生する工場。
左:スラッジセンターの塔。
右:舞洲工場の塔。
左・右:まずはスラッジセンターから回った。見学予約はしていないので、外部からのみである。この辺り、草ぼうぼうに見えるがよく見るとハーブで、ミントやローズマリーなどが生い茂っていた。
右:車椅子で通れるようになっているらしい入口。
左:建物のあちこちに木が植えられている。金の玉、数えたらいくつあるのだろう。
右:正面玄関の柱。
左・右:「場所が悪い」「交通アクセスが悪い」という難点はあるものの、「税金の使い方」としては「後世に残る名建築」を建てたのだから悪くはない。
左:スラッジセンターの窓に舞洲工場が映っていた。
右:左がrjuka君、右がヒロポン。
左・右:シャッターと柱の隙間には、人が入り込まないようこのように塞がれている。
左・右:玄関附近。
左・右:極彩色のタイルが貼られた列柱。とにかくすごい。
左:スラッジセンターから見た舞洲工場。
右:郵便受だけすごく普通のものだった(笑)。
左:写真を撮りまくるヒロポン。
右:しかし、同じ形の柱は一つもないし、タイルは手張りするしかないし、コストは高かっただろう。
左:床のタイルもこんな貼り方。
右:タイルのゲート。
左・右:樹木だらけなのが結構不気味な感じになっていてなかなかよい。
左・右:見ているだけで笑ってしまう建物というの、そうはない。素晴らしい。
左:空模様もおどろおどろしいが、とてもマッチしている。
右:別棟もこんな感じ。
左:脇の門。
右:そこにある附属棟もフンデルトヴァッサー建築である。陸屋根は緑化されている。
左・右:住めといわれたらちょっと躊躇するが、しかし面白い。
左・右:小部屋が並んでいる。
左・右:再度正面に回る。
左:rjuka君とヒロポン。ハーブを見つけたところ。
右:裏側もこんな感じ。
左・右:裏側に回ると、棟の部分は別棟になっているのが判る。
左:裏門の門柱。
右:塔を付け根から見上げる。
左:裏側にも小さな別棟があった。
右:要所要所に金の玉が。
左:背赤後家蜘蛛、すっかり日本に定着してしまったようだ(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
右:電柱にはなぜか「シャンハイ」と書いてあるし、意味が解らん。
左:スラッジセンター裏側から電報大橋を見る。
右:ズームアップして、USJ附近を見る。「高架マニア」が喜びそうな高速道路の重なり方。
左・右:そして今度は舞洲工場である。どう見てもごみ焼却場には見えない。
左:全景を撮るのが大変である。
右:大阪市章の「澪標(みおつくし)」が高々と掲げられている。
左・右:実はかなり薄暗くなってきたので、撮りにくかった。しかしすごい塔である。
左・右:塔の根元。
左・右:rjuka君と比べると、柱の大きさが判る。
左・右:塔から本館を見る。
左・右:同じ部分をちょっと角度を変えて。偽窓がいっぱいついているのが面白い。
左・右:午前中は大量の清掃車がやってくるのだろう。
左・右:写っているのヒロポンの車。
左:渡り廊下がえらく長い。
右;清掃車用のゲートにも木が生えている。
左:ゲートの間後ろにエレベータ塔と渡り廊下があった。
右:真下から見上げてみた。
左:塔の赤い模様は血管のように見える。
右:おどろおどろしい雲行き。
左:rjuka君と柱。
右:ちょっと斜め横から見たゲート。
左:同じ位置から、ゲートの屋根越しに本館、渡り廊下、エレベータ塔を見る。
右:これも同じ位置から、スラッジセンターの塔を見る。
左:ぶれているが、煉瓦のゲートがあった。
右:ライトアップの灯が入った。
左:ライトアップされるとますます摩訶不思議な雰囲気になってきた。
右:しかも空もおどろおどろしい。
木が生えている塔。
右:小さな門。
左:大型車が三台並んで走行できる車路。
右:裏に回ってみると、歩道がすごいことに(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
左:舞洲という人工島は大阪市が「スポーツアイランド」として整備する予定だったところ、オリンピック誘致に失敗して「巨大流通ターミナルが数ヶ所」と「舞洲工場と舞洲スラッジセンター」ぐらいしかない上、鉄道も来ていないから、車はそこそこ走っていても、道ゆく人、歩行者は皆無なのだ。かといって、市道なんだからここまで草ぼうぼうになるまで放っておくのは、行政の怠慢といえよう(>_<)。廃墟感どころか非現実感満点で、個人的には嫌いではないが(笑)。
右:舞洲工場も、スラッジセンターも、裏側のファサードも全く手抜きがない。海に面しているので、会場からの景観をも考慮しているのだろう。
裏門が草に埋もれてしまっているのかと思ったら、この部分はあくまで「変化をつけた塀」であって、開閉できるようにはなっていなかった。
左:裏にも大きな自動車用通路があって、巨大な金玉が二つ(笑)。
右:ライトアップされた塔。
左:ライトアップされた舞洲工場。
右:舞洲スラッジセンターもライトアップされた。
左:ヒロポンの車で帝塚山まで送ってもらって、解散。すっかり日は沈んでいたが、電車に乗る前にしばし散策した。これは純和風の古いお屋敷。
右:これは万博の頃と思われる、当時としては非常に最先端だったモダニズム住宅。
左・右:これは洋館附設数寄屋住宅。大阪市内随一のお屋敷町である帝塚山地区には、まだまだこういう古いお屋敷が多数残っている。ただ、道が狭いので撮影がしにくい。
左:南海電車高野線帝塚山駅にて。
右:難波駅に到着。「NANKAI NAMBA STATION 1885, NANKAI BUILDING 1932, RENOVATED IN
2009」と誇らしげに刻まれている。梅田阪急ビルを破壊してしまった愚かな阪急とえらい違いである。この南海ビルヂングが高島屋難波本店となっている。
上:文字の部分を拡大した。
左:高島屋本店一階正面、ショーウィンドウ。
右:華麗なテラコッタ装飾。羽の生えた車輪は南海電鉄の旧社章。
左:閉鎖された新歌舞伎座。いつ破壊されてもおかしくない状況である(>_<)。
右:南海ビルヂング(高島屋本店)の長大なファサード。
左:全面テラコッタ張り、白亜の大廈である。
右:時計塔より西側はデザインが異なる。
左:弧を描く東側。
右:正面は御堂筋に向って北面している。
左:東側ファサードと、スイスホテル大阪(旧南海サウスタワーホテル)。
右:1930年代の華やかな都市文化を今に伝えてあまりある美しい建物である。
左・右:ここからは5月31日である。南海電車岸里玉出駅から阪堺電軌天神ノ森電停へ向って歩くと、この大木が見えてくる。
左:大木のところにあるのが、昭和初期と思しき超レトロアパート「ハウスマーガレット」である。
右:ハウスマーガレットの流れるような庇が見える。手前は「史蹟 天下茶屋址」である。
左:ハウスマーガレットの門。
右:玄関の擦り硝子欄間。
左・右:ハウスマーガレット玄関周り。一部屋借りてみたい。