大阪篇'10年撮影分@(守口市・文禄堤)
左:2010年1月7日、NHK文化センターで担当している「楽しい短歌入門講座」の新春吟行で、守口市中心部を巡った。まずは京阪電車守口市駅をスタートし、文禄堤へ向う。
右:この緩やかな坂から文禄堤が始まる。
左:坂を登ると、古い料理屋があった。
右:そして京街道の標識。
左:大きな標識は陶板を埋め込んだものらしい。文禄堤は豊臣秀吉が1596(文禄5)年に淀川の堤防として毛利輝元らに築かせたもので、堤防上は京街道とされ、守口宿が置かれて繁栄したのである。守口市の中心部に、今なお600メートルほどの区間が現存しているのがすごい。
右:本門佛立宗義天寺。日蓮宗系の宗派である。ここは宗祖日扇聖人が遷化した由緒寺院だそう。
ところで、本文仏立宗のことを糞味噌に誹謗中傷しているサイトがあったのでなんだと思って見てみたら、日蓮正宗の寺であった。日蓮宗系は伝統仏教の中でもことのほか攻撃的で、そして他宗よりむしろ日蓮宗系の宗派同士で激しく攻撃し合う傾向が強く見られるわけであるが、しかし仮にも宗教者が「仏立宗は日扇の慢心と浅識から出来た邪宗派です。」なんて罵詈雑言を書いているのは、見ていて決して気持ちのいいものではない。何を考えてるんだかねぇ。まぁ僕も改革長老派などに対しては口を極めて罵るが(笑)、僕はキリスト教徒ではあっても宗教家ではないから許されたしww。
左:京街道。かなりの幅のある堤防で、街道の両サイドには建物が櫛比しているゆえ、堤であることには気づきにくい。
右:しかし、ところどころにこのように階段状の路地があり、高いところを歩いていることが解る。
左:しかも建物の基壇は煉瓦積みだったりする。
右:淀川は度重なる河川改修で、今では文禄堤よりはるか800メートルも離れているので、勿論現代では堤防としての機能はない。そして守口市の中心部であるだけに、交通の障害ともなる。そのため、二箇所に切り通しが設けられ、国道一号線と京阪守口市駅を結んでいる。これは切り通しに架かる橋。下はバス通りである。
左:橋から下のバス通りを見下ろす。
右:切り取られた文禄堤の断面。これで半分なので、非常に幅が広いことが判る。
左・右:文禄堤上、新しい建物も増えてはいるが、このように戦前までの古い住宅や町家も少なくなく、歴史的景観がある程度保たれている。
左:町家や数奇屋風住宅が点在している。
右:大正期と思しき重厚な町家。恐らく長屋だったと思われる。
左・右:間口は狭いがかなりの規模の数奇屋風住宅。白いコートはきょん姫である。
左:切り通しに架けられた橋。
右:卯達のある町家。
左:町家を使った中華料理店「追立」があった。
右:卯達までつけ、かなり景観に配慮した新築住宅。
左:立派な町家。
右:一階部分が残念なことになっている(-公- ;)。
左・右:大きな蟲籠窓を持つ立派な町家は「みよし写真館」であった。
左・右:立派な旧家とマンションが混在している(-公- ;)。
左・右:街道筋の雰囲気が残っている辺り。
左・右:セットバックするファサードを持つ洋館もあった。
左:洋館の正面。一階は大幅に改装されている。
右:袖壁を持つ二軒長屋。向って右側が残念なことになっている。
左:洋館の反対側はこういうことになっていた。かつては正面にも雷門が施されていたと思われる。
右:堤から下へ続く階段路地。
左・右:文禄堤の外れにある老舗、「川東傘提燈店」。築130年、ツシ二階造りの町家である。
左:川東傘提燈店の営業案内。
右:文禄堤が切れ、国道一号線と交差するところにある旧家。文禄堤の旧家は町家造りだが、このお宅は豪農住宅の造りであった。
左・右:守口市立守口小学校。旧制守口尋常高等小学校として建てられた鉄筋コンクリート造の立派な校舎である。正面の四階に見える部分がパラペットなのが特徴的。1934年室戸颱風で校舎が倒壊したあとの復興事業で1936年に建てられたもの。
左・右:玄関回りは実はシンメトリーではない、という凝った造りになっている。
左:校舎の端は恐らく階段室。モダニズム色が濃いが、適度に装飾もあり、レベルの高い建築となっている。
右:昭和初期以前と思われる古い建物が結構残っている。
左:この界隈、江戸川乱歩が住んでいたのだが、特に下調べをしていなかったので発見できず。かつての川筋を利用した桜並木の遊歩道。川自体は埋め立てられたのではなく暗渠化されたのだろう。
右:昭和初期と思しき庭付き数奇屋風住宅。
左:同時代の建物が並ぶ街並み。
右:遊歩道が国道一号線に出るところに、えらく小さい公衆便所があった。
左:「まねき猫ホスピタル」があった。可愛い。
右:国道に出て、先ほどの豪農住宅の前を通る。
左:門は小振りな長屋門であった。
右:隣接して、恐らく同家の所有であろう家が数軒、いずれも戦前のものと思われた。元は貸家だったのだろう。
左・右:同上。右の家は残念ながら空き家になっているようだ。
左:このように人が住んでいる気配がない。
右:そして守口を代表する古刹、難宗寺が見えてくる。浄土真宗本願寺派の寺で、ただの末寺ではなく守口西御坊という格式を持つ。
左:この城郭のような建物は鼓楼である。
右:沢山の石柱が立っている。
左:難宗寺は非常に狭い道に面しているが、これでもかつての街道らしい。
右:脇門。
左:こちらが山門。
右:大きすぎて全景が撮れないが、これが本堂。
左:鐘楼。鐘は17世紀のものとのこと。
右:境内から鼓楼を見る。
左:明治天皇の行在所となったことを記念する大袈裟な石碑。
右:有名な大銀杏。
左:本堂では月例法話の最中であった。
右:やたら沢山の蓮の鉢が並んでいた。
左:本堂前にて。左はrjuka君。
右:かなりの大伽藍であった。
左:本堂の裏には大木が沢山植わっていた。
右:大阪弁の貼紙(笑)。