大阪篇09年撮影分④



 

左:更に3月14日の撮影分から。この日は梅田から新今宮まで歩いたのだ。これは廃園になった旧市立精華幼稚園。
右:同じ敷地に旧精華小学校もある。横浜にも同名の私立小学校があるし、また各地に同名の公立小学校もあるようだが、勿論無関係。ここは明治6(1873)年創立の名門である。現在のこの校舎も増田清の設計で1929年に建てられた、当時としてはきわめて立派な鉄筋コンクリート造の近代建築。廃校になったのが非常に惜しまれる。現在は精華小劇場などとして活用されているのが救い。



 

左・右:都心も都心、高島屋難波本店・南海電車難波駅から徒歩数分のところに、これだけの規模の小学校があったのだ。かつての都心に、どれだけ多くの人が住んでいたかが偲ばれる。いまやオフィスビルと商業施設ばかりで、昼間人口は膨大でも、常住人口は非常に少ないだろう。



 

左:精華小学校前の路地(ろうじ)。猫と出前の自転車がいい雰囲気である。
右:精華小学校校舎。この学校、正面玄関は西側で、戎橋筋のアーケード商店街に面している。校門を入ったらもうそこが玄関、という構造で、アーケードもあり、ファサードは全く見えない。東側に回ると校庭と裏側ファサードが見える、というわけ。鍵状の建物で、この写真は東側の街路に直接面している部分。蔦が絡んでいていい感じである。



 

左・右:この校舎東端にもこのように凝灰岩の彫刻が施された素敵な玄関があるのだが、塀と門が失われ後付のフェンスには門がないため、超芸術トマソンと化している。



  

左:これが戎橋筋商店街に開いた校門と正面玄関。
右:門を入ったところ。



 

左:立派な門燈と扁額。
右:玄関風除け室から内扉を見る。



 

左:閉鎖される間際、最後の公演中の新歌舞伎座
右:御堂筋に面して和風でありながら非常に独創的なファサードを見せる新歌舞伎座。村野藤吾の設計1958年に杮落としした現代建築だが、既に破壊を待つばかりの廃墟と化してしまった(-公- ;)。



 

左:リニューアル工事を終え、白亜のファサードを取り戻した南海ビルヂング(高島屋大阪本店)。久野節の設計で1932年に竣工した巨大なデパートメントストアである。本邦初の全館冷暖房百貨店としても知られている。
右:華麗なテラコッタ装飾に覆われた玄関周り細部。



 

左:羽根の生えた鉄輪は南海電鉄の旧社章で、現在も兄弟会社の羽車ソースの商標として使われている。
右:撮影時点では、一部テラコッタをはがしての修復工事が続いていた。



 

左・右:リニューアル工事中の店内。なんと隠されていた天井装飾が見えるようになっていた。一時的なものなのか、このまま活用されるのか、まだ判らない。



 

左:繊細な天井装飾。
右:東南側、かつての事務所棟が取り壊されたあと、南側が見えていた。ここに新館が建てられるわけだ。



 

左・右:高島屋東側の路地を入ってみたら、なんと戎橋筋の有名な服地店「とらや」の洋裁部があった。「洋裁」という語も渋いし、マネキンも非常にレトロ。それにしてもマピオン地図、深里橋、金屋橋などかなり大きな橋も名前が出ていないのに、とやら洋裁部が載っているのは訳がわからん。



 

左:千日前道具屋筋商店街にて。映画館の表示のまま、食品スーパーとなっている。
右:日本橋筋(堺筋)に出た。このサイトではもう何度も紹介している、素晴らしい百貨店建築、旧松坂屋大阪店(現高島屋本店東別館)。竣工は1934年(昭和9年)、設計は鈴木建築事務所(鈴木禎次)である。



 

左:日本橋筋に西面する豪壮なファサード。
右:繊細なテラコッタ装飾はアール・デコ調である。



 

左:非常に美しい細部。
右:一階にはカフェが入っているが、高島屋はこの建物をあまり活用していない。しかしそれゆえに、内部も旧状をよく留めている。



 

左:非常に美しい細部。
右:一階にはカフェが入っているが、高島屋はこの建物をあまり活用していない。しかしそれゆえに、内部も旧状をよく留めている。



 

左・右:玄関細部。



 

左:東西の二大電気屋街である秋葉原と日本橋(にっぽんばし)が、いずれも「萌え」と「オタク」の街と化しているのはなぜだろうか? これは地下鉄恵美須町駅すぐ近くにある、その名も「萌えるビル」である。
右:どうということもない、なんでもない戦後の銀行建築も、そろそろレトロの範疇に入ってきた。りそな銀行恵比寿町支店は、かつての大和銀行恵比寿町支店だろう。向かいにあった旧三和銀行恵比寿町支店は、本社として使用していたフジ医療機により破壊されてしまった。許しがたい暴挙である。



 

左:新世界地区に入る。通天閣本通り商店街にある、昭和的喫茶店。
右:新世界本通り商店街にある、アヤ&ミワアパート。名はアパートだが立派なマンションである。一階にはなんとゲイショップが!! ということは、このマンションのオーナーはレズビアンカップルだろうか? だったらすごく素敵である。



 

左:この玩具屋の看板は、戦前から同じ意匠とのこと。
右:インテリアデザイン界では有名な、「総本家更科」。勿論蕎麦も美味しい。明治40年創業の老舗で、関西における「更科」蕎麦の本家筋とのこと。



 

左・右:通天閣の真下にある、新世界ラジユム温泉(新世界ラジウム温泉)。一般公衆浴場なので、410円で入浴できる。三階はどう見ても建て増し。サウナ入口の隣には純喫茶「再会」が見えている。



 

左・右:ギャラリー再会は1953年、石井修の設計により純喫茶再会として建てられた。建築の世界では完全にモダニズムが主流となる戦後の日本だが、喫茶店は昭和三十年代までこのような様式建築がまだまだ沢山建てられたのだ。「純喫茶」「名曲喫茶」「ジャズ喫茶」などの全盛期である。戦後物件ではあるが、既に登録有形文化財となって大切にされているのも嬉しい。



 

左:このようにクラシックやジャズのライブが開催されている。
右:玄関扉もいい感じ。



 

左:新世界の路地裏。入り組んでいて、昭和の香りが濃厚で、ゲイバーも多い。
右:何しろ「土方センター」である。「ひじかた」ではなく「どかた」だろう。老け専ゲイバーが沢山ありそうだ。



  

左:こういう雰囲気の路地が沢山残っている。宿も「ラブホテル」というより「曖昧宿」「連込み宿」といった雰囲気のところがまだまだ健在で喜ばしい。
右:通天閣の足元にへばりついている激安饂飩屋「三吉」。学食より安いだろう。じゃりン子チエのような看板もいい雰囲気。手書き看板が健在なのも嬉しい。



 

左:新世界は道頓堀と共に、興行の街であった。今でも大衆演劇専門の芝居小屋が二軒ある。この1956年築の浪速クラブと、名門朝日劇場である。
右:この素晴らしい映画館は、1230年に杮落としした新世界国際劇場(旧南陽演舞場)である。



 

左・右:北側側面ファサード。出窓がお洒落。手書き映画看板ももはや文化財級の職人仕事である。



 

左・右:道路が狭いので撮影しにくいが、西側正面ファサードはこんな感じ。実に美しい。



 

左:正面ファサードを南側から見る。屋上に少し建て増しされているのがわかる。
右:南側側面ファサードも北側と同じデザインである。なお、地下劇場は懐かしいポルノ上映館となっている。



 

左:しかし地上階の国際劇場はこのようにかなり渋いラインナップ。実はもう全国的にも非常に数少ない「名画座」の最後の生き残りといっていい貴重かつ希少な存在なのだ。本物の戦前建築で名画を見れるなんて、東京ではもう出来ない経験が大阪では日常的に可能なのだ。行政はこういうところにこそ補助金を出し、文化を守らねばならないのだ。
右:可愛い屋号の写真館。



 

左:旧新世界公楽劇場前の路地。この辺りは大手資本に侵食されず、個人経営が守られている。
右:旧新世界公樂劇場の跡地(>_<)。洋画メインの国際劇場に対し、こちらは邦画主体の名画座で、なおかつ近代建築であった。実に悲しい。



 

左:すごい屋号( ´,_ゝ`)プッ。しかし、日本酒の流通システムはよく知らないが、この時々見かける「直売所」とはいかなるものか? この屋号からして、菊正宗の直営とは到底思えないのだがσ(^◇^;)。
右:同じ路地。酒を飲まない人間なので入ったことはないが、いい雰囲気の店が並んでいる。



 

左:この路地に沿って、戦前の古い、そして非常に背の高い防火壁が残されている。
右:新世界にあったもう一つのお風呂屋さん(銭湯というのは関東訛り)、新世界パーク温泉の跡地(>_<)。こちらもアール・デコ調の素敵な風呂屋だったのだが。
“裸の社交場”90年の歴史に幕-大阪・新世界のパーク温泉 2008.2.29 21:50 産経新聞
 大阪・新世界で庶民の裸の社交場として親しまれてきた老舗銭湯「パーク温泉」(大阪市浪速区恵美須東)が29日、約90年の歴史に幕を閉じ、常連客や銭湯ファンが名残を惜しんだ。
 大正時代の華やかだった新世界を今に伝えながら歴史を刻んだレトロな浴場はこの日も静かに時が流れた。ロッカーの上にずらりと並んでいた常連客の洗面器が1つ、また1つと消え、夜にはほこりをかぶった数個がぽつんと残った。
 40年間湯けむりを守り続けてきた奥田政雄さん(80)は最後の日を番台から見守った。「長い間ありがとう」と声をかける常連客を笑顔で見送りながら、「明日から寂しくなるな」と話した。



 

左:その隣の薬局にある、痔の見本は健在だった。
右:熨斗齒科。非常に難しく珍しい苗字である。隣のラブホは外壁のみ今風タイル張りに改装したが、古い連込み宿の生き残り。



 

左:これももう文化財的なふるさと希少さになってきた、スマートボール場「ニュースター」。
右:じゃんじゃん横丁の入口にある、古い空き店舗(確か屋号は平野屋だった)が、店舗として再活用されていた。



 

左:裏路地に煌々と、非常にレトロな風情のネオンサインが輝いている。
右:じゃんじゃん横丁アーケードに展示されている古写真。



 

左・右:同上。



 

左:同上。
右:さすがに帰りは環状線に乗った。大阪駅まで戻り、当時まだ現役だった大阪中央郵便局を見る。昨日(10月21日)にようやく辞任を発表した鬼畜西川善文によって危うく破壊されるところであった。本当に、「馬鹿ほど威張る」を絵に描いたような、貧相な小男であった。関西の恥である。



 

左・右:ここから3月26日の撮影。大阪中央郵便局営業室。1939年竣工の近代建築で、設計は逓信建築の雄吉田鉄郎。モダニズムの傑作として世界的に知られている名品なのに、ファシスト小泉とそのぽちの西川によって、何の価値も省みられることなく破壊の危機に瀕している。



 

左:移転を知らせるポスター。
右:1945年と平成12年の写真。



戻る