大阪篇09年撮影分B



 

左:前章に引き続き、2009年3月14日撮影分にて構成する。当サイトでは三度目の登場になる、オーガニックビル。塩こぶの老舗、「小倉屋山本」の本社である。
右:そごう心斎橋本店(当時)。今年の八月いっぱいで営業を終了した。愚かにも村野藤吾の傑作だった先代本店ビルを破壊したから、結局そごう自体が左前になってしまったのだ。武蔵野の肥溜め臭い貧相な安物田舎デパートからやってきた乗っ取り屋の和田繁明なる山猿が如何に無能であったか、この惨憺たる有様が雄弁に物語っている。そごう撤退後、十一月には大丸心斎橋本店北館として再スタートを切る訳だが、かつての名建築が残っていればと惜しまれてならない。僕は死刑制度には反対だが、こういう和田のような犯罪者は無期徒刑に処してやりたいものだ。



 

左:大阪のシンボル、御堂筋に面してその華麗なるファサードを向ける大丸心斎橋本店。旧そごう心斎橋本店のすぐ隣である。同じ立地で、どうして方や倒産、方や「百貨店業界の勝ち組の雄」なのか、要するに和田がマントヒヒ程度の知能すらなかった、ということに他ならない。
右:大丸心斎橋本店北西角の塔。アメリカン・ゴシック様式を基調に、アール・デコやアラベスクを加味した壮麗な宮殿である。この塔の内部は素敵な階段室で、その中央はエレベータとなっている。今更いうまでもないが、この名建築中の名建築は大建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、1922年に竣工した。「大大阪」時代を象徴する建築といえよう。



 

左:三月で、銀杏並木がまだ葉を落としていたので全景が撮れた。春以降は葉が生い茂りなかなかうまく撮影できなくなるのだ。
右:信号機が邪魔だが、ことのほか美しく装飾されている御堂筋側中央玄関。



 

左・右:余計なおっさんが写りこんでいるが、一階御堂筋側には華麗なショーウインドウがある。ウインドウ装飾は戦前からの名物で、広告史上に残る傑作が多い。



 

左:重厚さと華麗さが同居した素晴らしいランタン。
右:正面玄関に制服制帽のドアマンがいて、運転手付外車が次々と乗りつけ、外商部員に出迎えられたマダムが悠然と買い物をするさまは、日本の百貨店では大丸本店と三越本店ならではの光景といえよう。



 

左:正面玄関のアラベスク装飾。大丸のシンボルである孔雀だけでなく、ペリカンも掘り込まれている。
右:正面玄関内扉。これもヴォーリズ・デザインのオリジナルがそのまま使用され続けている。



 

左:正面玄関風除け室の天井装飾。
右:正面玄関風除け室の欄間装飾。兎のレリーフが施されている。



 

左:店内に入る。中央に華麗なメインエレベータホールが。
右:四台並んだ主エレベータ。オリジナルではないのだが、華麗な装飾扉、電光式ながら時計型インジケータが使われている。



 

左:一階営業室は非常に天井が高いので、壁に沿って回廊状の中二階が設えられている。
右:大理石をふんだんに用いた贅沢な客用主階段。



 

左:主階段踊り場には古風な水飲み場があるが、ここも黒大理石でモダンな縁取りがなされている。旧横浜松坂屋の簡素なものとは相当違った。
右:主階段の親柱には照明が組み込まれている。



 

左・右:主階段。上階は多少簡素になるが、それでも人造大理石などではなく、無垢の本物が使われている。



 

左・右:二階メインエレベータホール。扉以外はオリジナルが保たれている。ほかに類を見ないタイプの電光式インジケータである。



 

左:エレベータホールの大理石製時計。
右:近年の改装で、エスカレータ周りも同じ意匠で統一された。つまり新しいものなのだが、よくマッチしていて違和感がない。



 

左:同じく、五階のもの。
右:主階段の水飲みも各階にある。



 

左・右:四階のメインエレベータホール。



 

左:こちらは北西隅塔内のエレベータ。インジケータはオリジナルが残っている。地下三階まであるらしい。
北西隅塔階段室。天井装飾、そしてシャンデリアが素晴らしい。



 

左:北西隅塔階段は人造大理石研ぎ出し仕上げであった。
右:大丸前からアメリカ村を抜け、四ツ橋筋に出る。これは、全く情報がないのだが、明らかに戦前の近代建築である浅尾ビル。ラーメン屋やタイ料理店「マイタイ」が入っている。



 

左:四ツ橋筋の対岸に渡り、正面ファサード全景を見る。モダニズムスタイルだが、丸い塔、大きなガラス窓など、時代を感じさせる。
右:玄関周り。白い壁は、よく見るとスクラッチタイルの上から後の時代に吹付け塗装されたものだとわかる。



 

左・右:このように、北側側面を覗き込むと案の定元のスクラッチタイルの外壁と、その上丸窓まで覗いている。大正二桁から昭和一桁にかけて、この意匠だと昭和に入ってからのものだろう。



 

左:浅尾ビル。塔には煙突もあるから、地下にはボイラー室があるのだろう。
右:更に南下、このサイトでは三度目の紹介になるリバーウェスト湊町ビル(旧川西湊町ビル)へ至る。このビルもモダニズムだが戦前の近代建築である。設計者不詳だが1935年の竣工。



 

左:現在の名前。しかし「川西」を英訳しただけだから、別にオーナーが代ったわけではなさそう。
右:このビルのユニークさはその立地である。道頓堀川と西横堀川の分岐する角の、「堤防の外側」「河川敷」とも言うべきところに建っている。よってこのように地下室は水際であり、窓には船用の円形防水窓が用いられているのだ。「珈琲艇キャビン」という老舗喫茶店になっている。



 

左:道頓堀川南岸から北岸のリバーウェスト川西ビルを見る。右側、角が丸くなっているほうから高速の下の部分が旧西横堀川である。実は西横堀川、この部分のほんの数十メートルだけは現存しているのだ。
右:大きな窓は一階で、地下の「珈琲艇キャビン」は小さな丸窓のところである。船用ハッチ扉も見える。実際、川が増水すると水没するのだ。



 

左:手前の広い水面は道頓堀川で、高速下に架かっている金屋橋(1929年)から奥が西横堀川、ということになる。つまり金屋橋は、西横堀川に架かる橋で唯一現存するものである。
右:道頓堀川に架かる深里橋(四ツ橋筋)から上流を見る。阪神高速環状線の向こうに見えているのは大黒橋可動堰である。



 

左:丁度大黒橋の可動堰部分が破壊されているところであった。
右:このふざけた玄関を持つのは、道頓堀ホテルである。ラブホではなく、大衆的なシティホテルなんだが、すごいセンス。面白いからいいけど。



 

左:御堂筋に面した、道頓堀のアーケード。まだ半世紀は経っていないと思われるが、どことなくアール・デコ調のデザインである。
右:御堂筋から老舗精肉店「はり重」と松竹座を見る。ここのビーフカツカレーは絶品である。



 

左:当サイトでも既に何度も紹介しているので解説は省くが、大阪松竹座正面ファサード。
右:無残に貧相な現代土木構造物に架け替えられてしまった引っ掛け橋こと戎橋。対岸の空き地は映画「ブラックレイン」にも登場した高松伸氏の傑作、キリンプラザ大阪の跡地。近代どころか現代のものすら残せない日本の都市行政って何なのだ? リドリー・スコット卿の名作に登場する、大阪を象徴する建物の一つだったのだが。



 

左:戎橋筋商店街にて。丁度阪神なんば線開通直前であった。
右:戎橋筋の岸田屋呉服店。戦後とは思うが、それでも築半世紀は過ぎていそうな風格が醸し出されている。



 

左:岸田屋。戎橋筋商店街は常時このような人通りである。
右:このサイトでは二度目の登場と思うが、戎橋筋商店街、とらや角を東に入ったところにある「シバチョウ」の建物も古めかしい。



 

左:「シバチョウ」の二階。石は積まれているのではなく貼られているようだし、界隈は戦災で丸焼けのはずだし、やはり戦後ではあるのだろう。
右:最近の関西人は「カンテキ」という語を知らず、「七輪焼肉」などという亡国的看板もよく見かける中、ここはちゃんと「カンテキ」という語を使っている非常に素晴らしい焼肉屋さん。しかしこんな字を使うとは知らなかった。当て字かもしれない。「燗適器」と書くと、なにやらお酒専用にも思える(笑)。



 

左:有名な老舗洋食屋「自由軒」。但し、あまり僕の好みの味ではない。
右:かつて「aa」の本店は路地裏にあった。



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