奈良篇W
左:2010年3月16日、奈良在住の作家寮美千子女史のご案内で、4月10日に開催する奈良少年刑務所写真展のイベントの下見のために奈良市を散策した。近鉄奈良駅から東向商店街、餠飯殿商店街を抜け延々とまっすぐ行くと、奈良町エリアに入る。古い町家の壁に、昭和初期の仁丹町名表示板が残されていた。
右:この町家である。
左:石鹸問屋生駒商店。とてもいい雰囲気の看板であった。
右:こちらは硝子看板。
左・右:奈良町もかなり外れ、国鉄京終駅近くにあるイゲタ醤油の醤油蔵は煉瓦造であった。
左:正面ファサードは町家の奥に成っていてあまり見えない。
右:これがイゲタ醤油の店舗。普通の酒屋さんに見えるが、ちゃんと醤油を醸造しているのだ。「はしへい 活苡纐{店」が正式な屋号らしい。
左・右:国鉄京終駅。奈良の国鉄幹線というと関西本線なのだが、ここは単線のローカル線である桜井線の駅なので、非常に長閑ないい雰囲気。京都にも「上終町(かみはてちょう)」があるが、こちらは「きょうばてえき」である。やはり平城京の市域の端っこだったのだろう。因みに次の駅は帯解で、古都らしく難読地名が続く。この駅舎は開業当時のものなので、なんと十九世紀、1898(明治31)年の竣工である。
左:講演会の会場となる「町家ゲストハウスならまち」。大正建築である。
右:墨の老舗、「古梅園」の本店。非常に巨大な町家である。
左:何しろこんなに奥行きがあるのだ。
右:脇玄関。トロッコの線路が見える。奥行きがすごいので、結構な路線延長がありそうだ。
左:脇玄関には古い標章が沢山貼られていた。
右:脇玄関の中を覗く。
左:勿論動力車はなく手押しだろうが、乗ってみたい(笑)。
右:三条通にある近代建築。このときはまだ焼肉屋やカラオケ喫茶として営業中であった。
左:奈良の目抜き通りである三条通に面して、大正二桁〜昭和一桁辺りと思しき近代建築であるが、来歴不明、名前も不明。
右:旧制奈良女子高等師範学校本館裏。大学のキャンパス内だが、こうして鹿が群れている。これが奈良の面白いところ。
左・右:転害門から京街道を北上すると、北町エリアにはいる。奈良少年刑務所の近くにあった廃墟。
左・右:市街地の只中にある廃墟。しかも市の所有物件である。左の写真の右奥、丘の上の赤煉瓦の塀は奈良少年刑務所なので、至近距離に赤煉瓦建築が並んでいるのだが、この放置振りはあまりにひどい。奈良市水道計量器室なのだが、数十年は放置しないとここまで廃墟化はしないのではなかろうか。1920(大正9)年の建築だけあって、ファサードの稲妻模様はアール・デコっぽい。見ての通り、屋根はなくなってしまっている。門のデザインもいいのに、本当に勿体ない。
左:門柱。
右:奈良市水道計量器室の文字が読める。
左・右:まだまだ躯体はしっかりしているようだ。非常に小さいが、店舗兼案内所ぐらいの用途なら使えるのに。庭があるからオープンカフェもできる。
左:どうして行政が市街地の真ん中の建物を何の手入れもせずに廃墟化させるのか。怠惰というほかない。
右:塀越しに煉瓦が見えている。
左・右:その真向いには鎌倉時代にさかのぼる歴史を持つ福祉施設、北山十八間戸がある。
左・右:ハンセン氏病など重病患者を収容し、保護した施設である。
左:屋根が些か波打っている、レトロな長屋。奈良市の市街地なのに都市ガスではないようだ。大阪瓦斯の管が通ってないのだろうか?
右:そして奈良少年刑務所に近づいてきた。
左:正門前にあった、殉職看守の慰霊碑。そんなにしょっちゅう人が死ぬ職場ではなかろうから、殉職というより在職中に亡くなった人々を慰霊するためのものだろう。
右:ロマネスク様式の美しい正門。
左・右:刑務所ではあるが、厳しさよりむしろメルヒェンな雰囲気の正門である。1908(明治41)年、山下啓次郎の設計で奈良監獄として建てられた。102歳になる、現役の刑務所である。当時の日本は不平等条約改正のため、欧米列強に日本が一等国であることを示す必要があり、このように立派な監獄を建てたのだ。
左・右:正門脇の掲示板に張り出されていた告知など。
左:正門から見た本館(事務棟)。獄舎は本館の裏に放射状に広がっている。
右:これも正門から内部を見たところ。