骨董建築写真館 奈良篇
骨董建築写真館

奈良篇

 

左:二千二年一月十五日、相互リンクしている「甘い血液」(※閉鎖)のオーナー和岡秀女史を訪ね、古都奈良に遊んだ。いつもは近鉄を利用するところ、この日はJR大阪駅から大和路快速(JR環状線〜関西本線直通運転)を利用したため、着いたのはJR奈良駅である。駅裏は再開発されやたらアヴァンギャルドな集合住宅などが建てられ、駅前も地上げの痕が生々しいという荒れ果てた古都の玄関口だが(正確にいうと裏口もしくは勝手口であろう。奈良市の正面玄関は近鉄奈良駅であるから)、この二番線ホームなどは歴史を感じさせる木の屋根が残っており、なかなかいい感じである。入線している221系は大和路快速。
右:不見識な行政当局により危うく破壊されるところであった、JR奈良駅。何とかようやく保存が決まったが、昭和九年に増田誠一の設計により鉄筋コンクリートで建てられた見事な近代和風建築である。

  

左・右:駅舎の左右両翼部。

 

左・右:見事な漆喰装飾で彩られた柱や天井。しかし、なぜだかこの古都の中心駅のコンコースのど真ん中には、サモトラケのニケのレプリカがでんと鎮座している。かなり珍なる光景であった。今にして思えはそれも撮影しておくべきでだったな(^_^;)。

 

左:ニケ像の前で和岡女史と合流、三條通を興福寺方面に歩く。京都の寺町通の御池〜丸太町間をもう少し賑やかにしたような感じで、このように老舗の奈良漬屋など、歴史を感じさせる町屋もまだまだ数多残っている。
右:造り酒屋。つまり小売店ではなく、清酒を製造直販している旧家である。僕は酒を飲まないので素通りしたが、多少は飲める和岡女史によるとここの銘酒「おとこたまし」は結構美味とのこと。

 

左:岡村吟醸の脇にまとめて貼ってあった、同社の清酒「男魂」の琺瑯看板。左から右へ書いてあるから、それほど古いものではなかろうが、既に趣はある。
右:看板に書いてあることが事実だとすると、なんと奈良時代の創業になる超老舗の漢方薬屋。もちろん今の建物は1000年以上の古建築ではないが、それでも相当の古さである。

 

左・右:かなり綺麗に修復され、その分オリジナルの装飾などは随分失われているようだが、はっきり戦前のものと判る近代洋風建築が焼肉レストランとして再利用されていた。

 

左:奈良県の老舗地銀、南都銀行の本店。三條通と餅飯殿商店街の交差点に建つ、古都奈良には珍しい純洋風ネオルネサンス様式の近代洋風建築である。設計は名手長野宇平治、竣工は1926年、1997年7月には国の登録有形文化財に。
右:イオニア式柱頭を持つ優雅なジャイアントオーダーの根元には、このように羊とリースの美しい彫刻が施されている。

  

左:この銀行のいいところは、名建築である本館はあくまでも守った上で、後背部に新舘を、それも同じ色調のタイルを貼って建てているところである。土地があったからということもあろうが、古都の銀行としての見識を感じる。烏丸三條の京都支店や長堀橋の船場支店を破壊した第一勧業銀行の不見識振りとはえらい違いといえよう。
中:餅飯殿商店街のアーケード側ファサード。こちらのジャイアントオーダーは平たい付け柱だが、柱頭はやはりイオニア式である。
右:ペディメント(破風)を持つ、端正な正面玄関。

 

左:周りにひどい鉄筋の旅館が立ち並び著しく風趣に欠ける猿沢池だが、池に張り出したこの茶店は結構いい感じである。
右:言わずと知れた、興福寺の五重塔。和岡女史のホームページにもよく登場する。

 

左:これまた言わずと知れた、興福寺の南円堂。どちらももちろん国宝である。
右:台地状になっている興福寺から市街地に向けて降りる坂の途中に、このように純和風の甍屋根が見える。どう見ても寺院の一部であろうと思われるが・・・。

 

左・右:入り母屋造り千鳥破風を組み合わせた純和風建築だが、玄関の破風の上には燦然と十字架が!! 実はこれ、教会である。それも元からあった和風建築を教会に転用してのではなく、最初から教会として建てられている。日本聖公会奈良基督教会(1930年)なのである。設計は信徒で宮大工の大木吉太郎。

 

左:ほぼ同規模の二つの木造建築がこのように渡り廊下でつながれている。右が聖堂、左側、軒のみ見えている部分が幼稚園舎であるが、渡り廊下の造作も含め全て完全な木造和風建築である。
右:聖堂内。祭壇側から後方のパイプオルガンを見る。ドイツ、ボッシュ社の18ストップのパイプオルガンである。丁度教会オルガニストの方が練習しておられたので、生でオルガンの音を聞くことができた。外観は純和風の中でもどちらかというと仏教寺院を思わせる様式で建てられているのだが、聖堂内は神社、神道建築の要素が濃い。天井は見事な格天井である。

 

左:パイプオルガン側から祭壇を臨む。
右:祭壇前にある聖書台だが、なんと神社の屋根のような作りである。

 

左:祭壇内部。平安装束を身につけた神主が立っていても可笑しくない雰囲気である。
右:祭壇上部。欄間、柱頭などにも注目。どこからどこまで完全な和風意匠である。

 

右・左:照明も全て数奇屋照明である。建築当初のオリジナルと思われるものが大変よい保存状態で現在も使用されている。

 

左:この建物が極最近国の登録有形文化財に指定されたことを示す、真新しい銘板。
右:この建物が英国国教会の流れを汲むれっきとした教会であることを思い出させる、古い英文の銘板。

 

左:聖堂内の側廊。純和風ながらも、教会建築の定石を踏まえた三身廊様式になっている。
右:裏門の門柱。なかなかにユニークなデザインである。

 

左:裏門の門扉に掛けられた札。「鹿が入ります。門は開けたらすぐに閉めてください。」とある。山の中でも、郊外でもない。県庁所在都市奈良市のど真ん中である。奈良ならではといえよう(^o^)。
右:餠飯殿(もちいどの)商店街側の正門から見た教会の全景。右端の宝珠は興福寺南円堂である。この環境であるから、純和風の様式で建築されたのである。

 
左:興福寺から餠飯殿商店街に降りる石段の途中、奈良基督教会の裏面の向かいにある純和風数寄屋造りの民家。門灯が素敵である。
右:背面が猿沢池に面している老舗の茶屋。建物の規模に比して小さな入口が歴史を感じさせる。

 

左:春日大社の近くにある、老舗の旅館「菊水樓」。右手側にあまり良いできとはいえないレストラン棟が増築されているのは残念であるが、本館は木造三階建ての素晴らしい建物である。登録有形文化財。古寺の廃材を利用した明治建築との由。
右:格式を感じさせる風格ある正門。

 

左:前ページの門を入って、本館正面を見る。千鳥破風を戴いた正面玄関がなんとも立派。
右:菊水樓の裏手にある、古い灌漑用溜池である荒池。雨模様のためか、水底がマーブル模様になっていた。

上:荒池越しに見る、奈良ホテルの雄姿。明治四十二年創業という百年近い歴史を誇る老舗であり、関西を代表する超一流ホテルの一つである。明治期の日本建築界を代表する巨匠である辰野金吾博士の設計になるといわれる(異説あり)本館は純和風桃山御殿様式の総檜造りであり、建築自体が貴重な文化遺産となっている。

 

左:上の写真よりもう少し近づいて撮影。
右:正面側に廻り、正門を入り緩やかなスロープを登っていくと、鴟尾を戴いた豪壮な本館が木立の間から現れる。

 

左:二條城本丸御殿の玄関を思わする、正面玄関。
右:しかし屋根の下に入ると、どことなく洋風な雰囲気も漂ってくる。ここは旅館ではなくホテルなのだ。檜のドアはもちろん創業以来のもので、ドアマンが恭しく開けてくれる。

 

左:正面玄関を入っていきなり目に付くのが、ロビーホールのこの暖炉である。戦前に早くもセントラルヒーティング化が行われているのでそれ以降は飾りとなっているが、明治期の建物だけに全室に暖炉がある。そしてホテルのシンボルともいえるのが、朱塗りの鳥居をモチーフにしたこの暖炉なのである。
右:ロビーの奥にある休憩・談話室の櫻の間。折上格天井から見事な数奇屋風シャンデリアがぶら下がっている。窓ガラスも波打った古いものが多い。

 

左:櫻の間の窓。
右:正面大階段。手摺が欄干様で、擬宝珠は素焼き製である。元々は鉄製だったものが、戦時中の金属供出で取り替えられたとのこと。

 

左:大階段を上から見下ろす。踊場の銅鑼は戦時中に空襲警報として鳴らされたとのこと。
右:レセプションの吊り照明。火屋(ほや)にモノクロ写真が焼き付けられている。

 

左:レセプション(和製英語で言うところのフロント)の奥に設置されている年代物の大金庫と大時計。
右:晩餐会の準備万端整った宴会場菊の間。奈良ホテルの料理は正統派フレンチである。

 

左:昭和初期のセントラルヒーティング化に伴って設置されたスチーム暖房装置。勿論今も現役である。
右:二階客室部分の廊下。歩いているのは和岡女史である。幅広く、天井も高く、照明も素晴らしい。

 

左:奈良ホテルの表通りである天理街道で見つけた、奈良ならではの道路標識。決して北海道の原野ではなく、街中である。左は荒池で、その奥の大きな瓦屋根は菊水樓本館。
右:奈良公園でえさをあさっている鹿を発見、激写する。

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