京都篇其ノ貮拾壱(2009年補遺)



 

左・右:2009年3月16日東華菜舘からお招きを受けた。建物の写真や解説は当サイト内に沢山あるので、索引からご覧頂きたい。



  

左・右:ご馳走が次々と出てきて、素晴らしい晩餐会であった。



 

右・左:食べ切れないぐらいの量であった。



 

左:中国人の祝宴には欠かせない海鼠。
右:これは3月26日、京阪特急の窓から撮影した旧三栖閘門。1929(昭和4)3月31日、宇治川と濠川との合流点に建設された閘門である。



  

左:淀屋橋についたら、なんと特急専用車である8000系が折り返し「普通、萱島行」となっていた。
右:4月5日、上洛してきたマイミクのおおはら准教授に誘われて、祇園「かにかくに」にて花見の宴。窓外の景色が美しい。



 

左・右:但し白川の対岸からこちらを撮影する人の数が半端ではなく、何だかパンダになったような気分(-人-)。



 

左・右:当日のメニューより。ムース状の?油が面白かった。



 

左:和洋折衷のコースであった。
右:食べている間に日が沈んで、夜桜となった。



 

左:とにかく物凄い人出であった。
右:食後、祇園を散策。旧立誠小学校で、花見をするにゃんこに会った。1928年、京都市営繕課の設計である。



 

左:桜と猫と近代建築とモダンアート、そして高瀬川
右:高瀬川沿い、風情のある饂飩屋さん「美よし」。



 

左・右:5月16日、河原町三條の映画館「東宝公楽」が破壊されていた。洛中最後の「映画館らしい映画館」だったのだが、阪急系なればいかんともしがたい。



 

左・右:5月17日、出町商店街の洋館精肉店、「岡田商会」。大阪の大阪屋ニュー新町ビル、浅尾ビルとともに、かなり目立つ立派な近代建築なのにネットで検索しただけでは全く来歴が判らないという珍しい物件。リンク先によると川崎第百銀行出町支店かもと思ったが、お店に直接尋ねたら愛宕銀行だったとのこと。ともあれ昭和初期であろう。



 

左:学生時代から慣れ親しんだ、なつかしの出町桝形商店街。書店は木造三階建て町家である。
右:アーケードに入ってすぐのところにある、有名な満壽形屋。普通の大衆食堂に見えるが、鯖寿司老舗である。



 

左・右:寺町今出川上ルにある、ノムラ理容室と廃業してしまった風呂屋さん(屋号は失念)。京都では風呂屋と理髪店は対になっていることが多い。昭和初期と思しき洋館造りの散髪屋さん。



 

左:ノムラ理容室をもう一枚。南側外壁は原爆型トマソンになっている。
右:桝形商店街のアーケードに吊るされた「わかさばちゃん」。



 

左:桝形商店街は鯖街道の終点なので、鯖のオブジェが多い。
右:桝形商店街の食品スーパーの裏手回ると、蛇腹エレベータがあった。但し骨董品ではない、貨物用である。



 

右・左:桝形商店街近くにもう一軒あるお風呂屋さん、「丁字湯」。しかしこちらも廃業していた。どちらも素敵な建物なのに、惜しい。



 

左:アユ宅アパート一階廊下の貼紙。何年も貼りっぱなしだが、全く意味不明。
右:7月19日、京都国立近代美術館にて「京都学『前衛都市・モダニズムの京都』1895?1930展」を見た。これは島津製作所が作った自動車。



 

左:島津製作所の紋章がついている。
右:車内に見えるレバー様のものがハンドルらしい。



上:後姿も可愛い。



 

左・右:7月27日、「あまから手帖」に連載していた写真コラム「『食と建築』クロニクル」の取材で、寺町二条上ルの老舗「村上開新堂菓舗」へ。明治40年創業の老舗洋菓子店で、現在の建物は1935年に建てられたものである。



 

左:豆タイルの床、大理石の台を持つショーケース。
右:天井からは紙垂紐(しでひも)が。照明、帳場へつながる窓、大理石の柱など、昭和初期のハイカラな息吹がそのまま残されている。



 

左・右:ショーケースにはごく控えめに商品が並べられている。いかにも京都の老舗っぽい。



 

左:店名の書が飾られている。
右:名物のロシアケーキ。



 

左・右:とても素敵な天井照明。



 

左:店と帳場を仕切る窓。
右:店内の調度品も多くは昭和初期のものである。



 

左:豆タイルの床と、教会のような腰壁。
右:柱頭はコリント式のようだ。



 

左・右:奥の坪庭を臨む。



 

左・右:なんと窓ガラスは面取りされている。



 

左:クッキーの容器も昔懐かしい。
右:入口の天窓。



 

左:クッキーの容器も昔懐かしい。
右:入口の天窓。



 

左:東京大正博覧会の賞状。
右:自己主張の激しいマンホールの蓋(笑)。



 

左:仁丹板。京都ではまだまだ沢山見かけるが、「元悪王子町」というのはすごい地名である。
右:昭和の香りのするステッカー。



 

左:古い町家の歌謡教室があった。
右:廣田紬。三階部分は新しいと思われるが、うまく調和させている。



 

左:町家の妻壁にえらく立派な石製看板が埋め込まれていた。「糸組紐問屋大林岩治郎商店」とある。
右:松尾外科医院も大規模な和風建築であった。



 

左:松尾医院の玄関。
右:通りすがりの人が写ってしまっているが、寺町通にて、看板建築である。



 

左:河原町通り沿いにも町家と仁丹板が残っている。右に見えているのはゲイ産業大手KOグループの本社が入っている朝日河原町ビル
右:その路地の奥、西木屋町通りとの角にあった駄菓子屋は、残念ながら廃業していた。



 

左:近年、中華料理屋として活用されている「大傳月軒」こと大傳ビルヂング。
右:木屋町通りで見つけた、和風ながらちょっとアール・ヌーヴォーっぽい照明。



戻る