京都篇其の拾八(2009年5月ミクシィ近代建築コミュオフ会)

  

左・中・右:2009年5月3日、僕が副管理人をしているミクシィの「近代建築/廃墟と戦跡/近代化遺産」コミュのオフ会で、上洛した。このとき丁度デジカメが壊れていたので、全て携帯による撮影である。フルサイズでは撮っていないので、かなり小さいことはご了承願いたい。まずは京都市上下水道局蹴上浄水場から。新しい建物も明治の赤煉瓦建築に合わせた意匠になっていて、結構いい感じ。



  

左・中・右:蹴上浄水場第一高區配水池。1912(明治45)年、日本最初の急速濾過式浄水場として竣工した当時からの施設。実用一点張りのはずの施設でも、美しく城郭風ゴシック様式で建てられている。設計は田辺朔郎博士



   

上四枚:いずれも第一高区配水池にて。



  

左・中・右: 琵琶湖疏水の関連施設の一つ、関西電力蹴上発電所。明治45年竣工の二代目発電所で、これも田辺朔郎博士の設計。



   

上四枚:いずれも蹴上発電所。明治末の建物だが、かなりモダンな意匠である。



   

左・左中・右中:蹴上発電所。
右:その近くのマンホール。旧字体の「弁」が非常に難しい字になっている。



   

上四枚:いずれも蹴上発電所。鬱蒼と木が生い茂っており、撮影しにくいこと甚だしい。



   

左:赤煉瓦の二代目蹴上発電所。
中二枚:1936年に建てられた現在の蹴上発電所。モダニズムスタイルの近代建築である。
右:かつて甲麓庵歌會を催したこともある、山県有朋公爵(元帥陸軍大将・従一位・大勲位・功一級)別邸、無鄰菴



   

上四枚:無隣庵は数奇屋の母屋、和洋折衷の洋館、そして名匠小川治兵衛の手になる名庭園からなる。泉水の水は琵琶湖疏水から引き入れたもの。



   

左:庭園。
左中:茶室。
右中:母屋。この二階で甲麓庵歌會を催した。
右:洋館の床下通気口。



  

左:無鄰菴の縁側。
中:有名なねじれまんぽを抜け、南禅寺へ向かう。途中、岡崎豪邸群の一つでありながら怪しげな利権騒動の渦中に巻き込まれている何有荘を見た。
右:何有荘の本館。1916年、武田五一の設計による邸宅建築である。地図だと「樺テ多家」になっている。



   

左:南禅寺水路閣から疎水沿いに遡上すると、何有荘の裏に出る。茅葺の離れがあった。茶室だろうか。
中左:そして、インクラインの上に出る。九条山ポンプ場付近にあった、琵琶湖疎水の落差をそのまま利用した噴水。
中右:第二疎水の出口。
右:インクラインの台車。舟が乗せられている。かつては琵琶湖から京都、さらには淀川を下って大阪にいたる内水航路が交通の幹線であったのだ。なお、手前を見てもらうと、かつてインクラインに踏切が存在したことがわかる。インクライン線路を道路が突っ切っており、この写真はその路上からの撮影である。



   

左:蹴上船溜りからインクラインの線路と台車。蹴上船溜りから南禅寺船溜りまで、舟を載せて上下するのがインクラインである。鉄道として見ると「超広軌」であることが判る。
左中:インクラインと道路の踏切部分。
右中:何だか変わったセンスの家があると思ったら、日向大神宮会館であった。
右:蹴上船溜り付近の琵琶湖疏水施設。



   

左:トンネルから疎水が出てくるところ。右側には片山東熊設計の九条山ポンプ場が見えている。
左中:上流からインクライン上端を見る。ここから南禅寺まで下るのだ。
右中:写真が小さいが、九条山ポンプ場付近。1912(明治45)年竣工、設計は片山東熊・山本直三郎である。
右:同じく。



   

上四枚:九条山ポンプ場界隈。



   

左二枚:九条山浄水場内にも中世風の小さな小屋があった。
右二枚:インクラインの線路を歩いて下る。丁度ねじれまんぼの上から、南禅寺方面を見たところ。



   

上四枚:インクライン沿いにひっそりと佇んでいた近代建築。疎水関係の施設のようだが、もう殆ど使われていないようだ。廃墟化はしていないが、恐らく人が入ることは年に一回あるかないか、という感じであった。



  

左:インクライン上から見た三代目の蹴上発電所。
中:インクライン終点。
右:公園化されている南禅寺船溜り。



戻る