甲子園篇X
甲子園の歴史と文化を守り育てる会主催第一回甲子園を歩く会
左・右:甲子園の歴史と文化を守り育てる会のイベント、第一回甲子園を歩く会は2008年4月27日に開催された。阪神バスの浜甲子園三丁目バス停に集合、まずは甲子園浜へ。僕にとっては子供の頃砂山を作ったり花火をしたりした非常に懐かしいところだが、沖合いに人工島が築かれ高速道路が走り、かなり様相が変わってしまった。
左:ちょっと可愛い。
右:「カメラの河原」の河原邸(通称薔薇園)亡き今、浜手甲子園を代表する邸宅となったI邸とその南隣の洋館附設数寄屋住宅。
左・右:このように、大正後期から昭和戦前に多く建てられた「文化住宅」つまり玄関脇に洋館を附設した木造和風住宅の典型で、かなり規模が大きく立派なお宅である。正面道路は県道中津浜線で、阪神甲子園を中心に浜甲子園から甲子園口を結ぶ阪神バスが運行している。道路としては甲子園浜から宝塚に至る幹線となっている。
左:北側側面から見ると、純和風数寄屋建築であることが判る。ガレージも洋館作りで渋い。二階建てである。
右:その北隣、I邸。随分改修されているが、これも戦前期のスパニッシュ風洋館である。敷地がかつての半分になってしまっているが、裏側が失われたのみで正面部分は全く変わっていない。母屋も無事であった。
左・右:I邸の丸窓。玄関欄間もステンドグラスであることが判る。
左:I邸北側。
右:I邸近くで見つけた難読姓。
左・右:I邸の東側に入ったところにあるスペイン風の洋風住宅。町名でいうと南甲子園の二丁目附近。南甲子園から浜甲子園にかけて、僕が子供の頃はこのような戦前のお屋敷ばかりの非常に閑静なエリアであったが、写真で見ても判るようにマンションや、それに一軒のお屋敷のあとが数軒から十数軒もの小さな家になったところが増えてしまった。
左:中津浜線の一本東側の生活道路。子供の頃毎日歩いた道である。これは北側から南側を見たところで、一番奥は防潮堤。向かって左に数奇屋のお屋敷、手前にスパニッシュな洋館がある。
右:その洋館。震災後、塀だけ新しくされたようだが、本体は非常に美しく保たれている。
左:二階窓周りや玄関周りなどの細工が実に美しい。
右:そしてスペイン風の門が素晴らしい。「細雪」時代の阪神間のモダンな息吹が伝わってくる。
左:南東側から見たところ。
右:細い生活道路を挟んでその南隣のお宅。石柱の門がいい味わい。実はこれも洋館附設で、右奥に見える下見板張りの部分がそうである。
左:洋館部分は無装飾のモダンな造り。板張りでモダニズムは珍しい。
右:正面(西面)ファサード。
左:更に西進する。車が邪魔だが、平屋で小規模ながらハイカラでかなり洋風要素の入ったお宅。屋根付の勝手口もいい感じ。
右:同じお宅。天井裏の通気口が洒落ている。窓の格子なども木製である。
左:勝手口。
右:正面の門附近。窓の格子の造りが非常に凝っている。
左:玄関が見えている。ドアが素敵で、しかもノブに至るまでオリジナルが保たれているようだ。
右:並びにはそっくりのお宅があった。昭和初期の建売住宅だろうか?
左:マンションが増えたとはいえ、今でもかなり閑静な環境が保たれている。
右:エキゾチックな南洋植物が植えられた洋瓦の玄関。すごくハイカラである。
左:こういった比較的小規模(といっても現代の感覚からすると結構大きい)で簡素な洋風住宅の宝庫である。
右:左の写真とは別のお宅。どうやら空き家らしく、植木が生い茂っている。勿体ない。
左:こんな感じなので、建物があまり見えない。
右:生垣や石垣のお宅が多いのも特徴。歩いている女性はソプラノ歌手の中村朋子女史。
左:右上の生垣のお宅。煉瓦の門柱が素敵。
右:立派な石垣と生垣の見残されて社宅となっている。
左:ほぼ碁盤目に町割されているが、一部不規則に狭い路地が通る。
右:そして、閑静なお屋敷町だが、ところどころに高度成長期の文化住宅が建っている。戦前の「洋館がついた和風住宅」ではなく、戦後の関西に於ける文化住宅とは「各戸が台所とトイレと独立した玄関を持っているアパート」である。
左:この日見かけた二つ目の難読姓。
右:浜甲子園の町内会館である、濱甲子園倶樂部。これには驚かされる。
左・右:浜甲子園倶楽部。こんな素敵な洋館の町内会館、そう滅多にあるまい。
左:我が甲子園浦風町も憲章を作るべきだな。
右:市の都市景観賞を受けている。1937年の建物とのこと。
左:浜甲子園倶楽部を裏側から見たところ。
右:すぐ南隣のお宅。戦後のモダニズムといった感じでオシャレだった。
左:同じお宅。
右:電柱にくくりつけられた琺瑯看板。
左・右:そしてこれには驚かされた。子供の頃から知っている家なのだが、大人になってから改めてみると本当にすごい。井戸もある戦前の洋館なのだが、非常に斬新なデザインである。名のある建築家の作品かもしれない。
左:そのお宅の井戸。現役のようだ。
右:門は小さくあっさりしている。
左:このように、手入れも非常によい。ペンキも定期的に塗りなおされているようだ。ドアがオリジナルでないのが惜しまれる。
右:浜甲子園を東西に貫くバス通りに南面する、浜甲子園一丁目のF邸。実は小学校の同級生の家で、当時は何度も遊びに来たことがある。母屋は簡素な切妻の、しかし大規模な和風住宅で、玄関部分が二階建て洋館となっている。
左:F邸の門と玄関。
右:玄関部はアーチとなっていて、二階も二連アーチ窓である。
左:F邸玄関。タイルもドアも非常に美しい。
右:F邸玄関部を側面(東面)から見る。二階建て玄関の裏にもう一棟洋館が連なっている。
左:F邸の向かいも丸窓のある戦前の洋風邸宅であった。
右:バス通りと旧電車道(甲子園筋)の角に建つお宅。南側から見ると和風だが、東側に洋風装飾を持つ。
左:門柱が非常に凝っている。門扉も一枚板の豪奢なもの。
右:これが西側側面ファサード。庭木も含めて洋風である。
左:装飾の入った通気口。
右:窓も洋風のもの。
左:そのすぐ北隣、旧電車道に面した建物。甲子園浜が海水浴場として賑わった頃の食堂と思われる。
右:北側壁面には「Beer Hall Konan」というネオンサインが残されている。
左・右:そのあと南甲子園公民館に寄り、甲子園競輪場跡地の何ともあまり感心できない新興住宅地を抜け(何しろ巨大マンションと非常に敷地の狭い戸建住宅ばかりになってしまって、周囲の歴史あるお屋敷町とのバランスが非常に悪い)、甲子園九番町に至る。ここまでくると古いお屋敷がまた残っているのだが、この洋風住宅は廃墟になってしまっている。実に勿体ない。
左:同じく、廃墟となりつつある空家。門も凝ったものである。
右:そのすぐお隣は大規模な洋館附設数寄屋邸宅である。このような燈籠型門柱は、上甲子園にも一軒ある。
左:南側の庭に面して洋館が建っている。この門は西側の狭い生活道路に向かって開いている。
右:同上。アール・デコ調のステンドグラスがはめられた丸窓が美しい。
左:ステンドグラスは薔薇の図像。洗濯物と植木の向こうの窓もステンドグラスらしい。
右:同じお宅。母屋はこのように重厚な数奇屋である。歩いているのはF女史。
左:同じお宅の勝手口。えらく立派な勝手口であるσ(^◇^;)。
右:その近くで見つけた三つ目の難読姓。まぁ難読でもないが、珍しい。
左:そのまたすぐ近くに、またしても難読姓が。ローマ字併記はありがたい。
右:更に北上、月見里公園内の町内会館。
左:月見里公園の北側にて、この日五つ目の難読姓。これは読めない。
右:そして甲子園球場へ。改修工事中だが、コンクリート打ちっぱなし時代の最後の写真である。このあとタイルが貼られてしまった。照明も変わってしまったので、結構貴重な写真である。
左:これも今では見られなくなった甲子園球場のかつての姿。
右:こういうレトロな掲示もすべて失われた。
左:甲子園球場の敷地に食い込む形で建っている、素盞鳴神社の御神籤価格表。キティーみくじなんてあるらしいσ(^◇^;)。
右:この日は阪神巨人戦であった。ということで、巨人のマスコットを引きずって歩いている子供(笑)。
左・右:当時、既に驛に面した北側はこのようにタイルを貼られてしまっていた。改築ではなく大正建築を残しての改修なのだが、いじりすぎである。