甲子園篇W
(旧作補遺・旧新田邸)



 

左:当サイト創成期、2000年3月に甲子園篇を作成して以来、九年ぶりの甲子園篇となる(´ω`;)。阪神間モダニズム文化圏西宮七園にこだわり、甲子園の歴史と文化を守り育てる會の会長をしている人間としては、怠惰であったといえようσ(^◇^;)。
ということで、まずは旧作補遺になるが、2005年2月11日撮影分である。この日、上甲子園にある大邸宅、旧新田邸(現松山大学温山記念会館)にて、甲麓庵歌會第12回関西例会が開催されたのだ。1928(昭和3)年に木子七郎の設計で建てられたスパニッシュスタイルの素晴らしい洋館である。この重厚な食堂で歌會を催した訳だが、暖炉の上に置かれたのは新田夫妻の胸像。
右:既にセントラルヒーティングが採用されていた。これはラジエタグリルである。



上:食堂のシャンデリア。実に見事なものである。



上:これまた見事な鍛鉄製と思われるラジエタグリル。



上:大人数だったので、奥の食堂、手前の控えの間の両方を使っての歌會となった。



上:瀟洒なステンドグラス。



上:このように三連アーチのステンドグラス窓であった。



 

左・右:実に乙女チックで素敵な玄関。



 

左・右:玄関ホールの階段もこのように見事なもの。



上:庭園より。実は建物の外側は改修工事中なのでこんな感じだった。日本庭園も見事。



上:洋館でも庭が日本庭園というのが、いかにも戦前の富豪の邸宅である。



上:周囲の邸宅がマンション化しつつあるとはいえ、まだ庭園の景観を台無しにする建物はあまりない。



上:現時点では整備されているのかもしれないが、この時は庭の手入れはあまりよくなく、池も干上がっていた。



上:食堂からテラスに出られるようになっていて、その前には噴水があった。和洋折衷である。



上:庭の手水鉢(蹲)。



 

左:玄関。扉が網戸なのが南欧っぽい。
右:素晴らしいスペインタイルであった。



 

左:正式のドアが網戸の内側にあるのが面白い。
右:玄関の三和土はタイルであった。



 

左:玄関ホールは吹き抜けであった。
右:そして屋内なのに吹き抜けを見下ろす洒落た窓が。



 

左・右:玄関ホールを上から見下ろすとこんな感じ。モデルは当時伯爵邸住み込みの書生だったミゼラである。



上二枚:屋内の間仕切壁に穿たれた窓には、アール・デコ調のステンドグラスが。



上:二階の撞球室。床の寄木細工にも注目。右端はくれぴ少年。左端はマイミクのすずめ氏である。



 

左:出窓には作りつけの見事なベンチが。なお、ベッドがおいてあるのは松山大学の合宿所だからである。
右:ヒロポンが写っている。



 

上・左:天井照明にはアール・デコ調の摺り硝子が。
右:真鍮製のドアノブと鍵。



上:ビリヤードのキューと点取り用算盤?



上:壁にも見事な装飾が。



上:撞球台、床ともに芸術品であった。



 

左:階段ホールの出窓から顔を出すナオヘー爺。
右:外観は純洋風でも、内部には和室を持つのが日本の住宅の特徴である。新田邸の場合玄関のある正面(西側)は洋室、奥に和室という構成であった。しかし床の間に布団を置くのはどうかと思うσ(^◇^;)。



 

左:大規模な住宅なので、階段も二ヶ所あった。これは奥の裏階段である。首から下のくれぴが写っている。
右:二階洋室の応接セット。首から下のヒロポンが写っている。



上:部屋と部屋の間仕切りに窓が穿たれ、ステンドグラスが用いられているのが特徴であった。



上:会議室風の洋間。これも二階。シャンデリアがすごい。



上:同じ部屋にて。洋間なのに和風の違い棚が設けられているのが数寄であった。



 

左:先ほどのアール・デコ調ステンドグラスが写っている。
右:ちょっとしたところの装飾が一つ一つ凝っている。



上:正体はこれ。ラジエターの温風吹出口だったのだ。



上:玄関ホール階段室のステンドグラス。



上:このように全館にスチーム暖房が施されている。昭和初期としてはかなり最新の設備であったと思われる。



 

左・右:二階廊下に置かれていた体重計。単位がキログラムと貫目である!!



 

左:素晴らしい骨董品のラジオ。
右:同じく電気スタンド。ホワイトボードの落書はミゼラかくれぴだろうww。



戻る