弐千八年関東下向記V(小江戸川越篇@)

上:2008年1月20日、甲麓庵歌會の翌日には、龍丸、リュミ女史、ふじちゃん女史、221系氏で小江戸と呼ばれる川越の散策に出かけた。僕は川越が関東で一番好きである。明治26(1893)年の大火のあと、豪商たちが挙って蔵造りで店舗を再建したので、江戸では既に完全に消滅してしまった蔵造りの街並みが今でもよく残っているのである。
これは商店街で見かけた、木造二階洋風店舗。



上:川越市は交通の要衝で、江戸時代は水運で栄えた。今も中心駅が川越駅(東武電車、JR川越線)、川越市駅(東武電車)、本川越駅(西武電車)と三つあり、それぞれが多少はなれている。そして中心商店街がいまだに元気なのは特筆もので、どの駅からもそこそこ離れている丸広百貨店川越店も地方百貨店としてはかなり元気な方だろう。一番の中心であり観光名所である重要伝統的建造物群保存地区、蔵の街一番街は一番近い本川越駅からでも一キロ強離れているが、そこに至るルートは表通りも商店街もかなりの賑わいを保っている。しかも変に今風にならず、この写真のように「昭和レトロ」な雰囲気がよく残っているのだ。



 

左:なんと木製の映画ポスター掲示板があった!! スカラ座の文字も手書きである。素晴らしい。
右:バス通り(各駅から蔵の街を結ぶ表通り)にあった、物凄いセンスのビル。古くはない。



上:非常にバランスの悪いオーダーだが、柱頭は看板に隠れて殆ど見えない。コリント式らしい。



上:蔵の街(一番街)に到達する以前にも、時々このような蔵造りの老舗がある。土産物屋の「土金」。



上:これもバス通り。いわゆる看板建築である。



上:画面右手と左手奥の角地に看板建築が。



上:震災復興期独特の、金属板(これはブリキか?)張りの看板建築が二軒並んでいる。



上:バス通りは看板建築の宝庫であった。



上:「紳士服のスメル」は、どう見ても元は銀行だったとしか思えない建物。こういうモダニズムは戦前にも既にあったが、恐らく戦後復興期の建物だろう。それにしても、「臭気」とはすごい店名である(ーー;)。この店の車には「スウィートスメル」と書いてあったから、やはり英語の「におい」である。「香り」ともいえるが、服で「臭い」というとあまりいいイメージが湧かないσ(^◇^;)。



上:バス通りからちょっと入ったところに、廃業した古い映画館があった。こういうちゃちな看板建築は、特に映画館などでは戦後もしばらく見られるが、ひょっとしたら戦前のものかもしれない。何とか活用して欲しいものだ。
と思ってちょっと調べてみたら、なんと明治23年に建てられた芝居小屋、鶴川座であった!! 吃驚である。相当改装されて、おそらく晩年は映画館だったのだろう。



上:バス通りはところどころ歩道アーケードになっていた。「レストランシブヤ」、書体が渋い。



上:「レストランシブヤ」のショーケース。



上:ブリキ張りの素敵な看板建築長屋型店舗。左から二軒目にある、唯一の営業中店舗には素敵なおばちゃんマネキンがいた。



上:見事なドーリア式オーダーをめぐらせ、角に玄関を持ってきた、典型的な銀行建築である川越商工会議所1928年(昭和3)年に前田健二郎の設計で建てられた、旧武州銀行川越支店である。(登録有形文化財)



上:蔵の街・一番街の入り口、仲町交叉点。入母屋造り、巨大な軒瓦を載せた店蔵は、松崎スポーツ店。信号機の右に見えている洋館は田中屋仲町店で、元は1915年(大正4)年に建てられた旧桜井商店である。その向こう、改装中の大きな近代洋風建築は旧山吉百貨店。1936年(昭和11)年に保岡勝也の設計で建てられたもの。デパートとしてはかなり小さいが、イオニア式のジャイアントオーダーを持つ端正なビルヂング。この時は改装中だったが、2009年1月の再訪時には、美しく修復されて歯科医院になっていた。



上:松崎スポーツ店。元々は砂糖商で明治34年竣工。川越の店蔵は切妻屋根が普通だが、角地のものは入母屋になることが多い。この店も、写真向かって左側、交叉点の角の方だけ入母屋、右側は切妻である。



上:田中屋仲町店と旧山吉デパート。交通量が激しいので、車の写り込みは防ぎがたい。



 

左:田中屋。
右:旧山吉百貨店。



上:松崎スポーツの真向かい、老舗和菓子屋の亀屋。店蔵、袖蔵、そして卯達のような袖壁がセットになっている。



上:なんと一番街から伸びる路地に面して、カラフルな洋館長屋があった!! これは素晴らしい。



 

左:洋館長屋。元は一階は店舗だったか? 今では普通に住まわれている。
右:いい造りなのに荒れ果てたショーウィンドウ。



上:同じショーウィンドウ。なんと洋風の柱頭飾りが施されている。



上:「きんかめ」は本物の洋風建築で、時計宝飾店。手前の派最近似せて造ったのか、それとも改修しすぎたのか。奥に見えるドームは埼玉りそな銀行川越支店。
きんかめ」正面ペディメントの下には右からカタカナで「ナイモノハナイ」と記されている。古くからのキャッチコピーのようだ。1927年、棟梁小峯晟佐の施工とのこと。創業者が近江商人で、奥さんが亀さんだったので、近亀という屋号になったとか。
埼玉りそな銀行は旧八十五銀行本店で、1918年(大正7)に山吉と同じく保岡勝也の設計で建てられた。国登録有形文化財である。八十五銀行は1943年に埼玉銀行となり、その後協和埼玉銀行を経て大阪のりそな銀行の傘下となった。



 

左:くらづくり本舗のカゲ盛に施された特徴的な金物飾り。洋子ちゃんいわく、「まつげパーマの失敗例みたい」である(笑)。
右:埼玉りそな銀行の勇姿。瓦斯灯は近年設置されたものだろう。



上:薄暮時の一番街。全く圧倒される。車がいなければ、もしくはクラシックカーなら、そのままタイムスリップできる。電線は地中化されている。



上:一番街のど真ん中、時の鐘交叉点付近。信号機のすぐ左側が、「塔」の歌人豊島ゆき子女史のお宅、深屋善兵衛商店(フカゼン美術表具店)である。



上:フカゼン全景。袖壁が美しい。明治28年の建物。左隣の「マチカン刃物店」は「町屋勘兵衛商店」である。



上:富士屋食堂に入って「志”まんやき」を食べた。美味しかった。



上:珍しく車が途切れた一瞬。街灯に灯が入った。



上:更に北上し、時の鐘交叉点付近を振り返って撮影。右手の信号機真後ろがフカゼン



上:蔵造りの自転車屋さん。見事な袖壁があった。



上:「油屋庄右衛門」ぐらいだろうか? こう略すと、耳で聞くと「脂性」であるσ(^◇^;)。



上:蔵造りの建物で昔のままの商売をされているお店と、今風にお洒落にしているところがある。その「今風」も「成功例」と「首を傾げたくなるもの」が混在するのはやむを得ない。



上:こういう建物が延々と続くのだから、ド迫力であった。



 

左:一番街の終点、札の辻交叉点を左折すると、今度は銅張り看板建築の洋館自転車屋があった。
右:少し進むとこちらも名所、菓子屋横丁となる。中央の黒いロングコートはリュミ女史。左は221系氏と思われる。



 

左:菓子屋横丁でもう一枚。
右:川越のシンボル、「時の鐘」。とても高い鐘楼である。寺院ではなく、町方のもの。



上:時の鐘近くの商家に、スペイン語っぽく「COEDO」と書かれていたのが笑えた。お洒落である。



上:「COMEDO」は酒屋さんであった。隣の蔵造りテーラーも渋い。



上:ほぼ日が落ちた。洋館造りの布団屋さん。



 

左:すっかり暗くなってしまったのではっきりとは写っていないが、なんとヴィクトリアン・ゴシック様式の可愛らしい教会があった。日本聖公会川越基督教会である。
右:川越基督教会の内部。ゴシックアーチの小窓が素敵である。日本聖公会大阪主教座カテドラル川口基督教会と同じくウィリアム・ウィルソンの設計で、1921(大正10)年の竣工。川口カテドラルの翌年に建てられているので、いわば兄弟教会である。しかしヴィクトリアン・ゴシックと書いたが、煉瓦は仏蘭西積みのようだ。



上:聖堂の一番奥。横手に入り口があるので、窓のみなのが珍しい。中央に聖水盆が置かれている。



 

左:小規模な教会なのに、本物のパイプオルガンがあった。うらやましい。
右:聖水盆の向こうの扉が聖堂の入り口である。



上:日本聖公会川口基督教会聖堂内全景。



 

左:教会の近くに、なんとも不思議な住宅があった。
右:その向かいにあったアクサ生命。詳細不明なるも、大正末から昭和初年辺りに建てられた旧商工会議所とのこと。



上:すっかり暗くなったが、金属板張りの看板建築。この時は気づかなかったが、この煎餅屋は「発狂くん」というすごい名前の煎餅を販売している。



上:そうこうするうち、また大正浪漫通りに入った。名前はあまりにベタベタで臭いが、なかなかいい建物が並んでいる。



 

左:これは恐らく新築。
右:これは本当に古い。



上:渋い鰻屋さん。



 

左:旧武州銀行川越支店の夜景。
右:バス通りに戻って、上で述べた「すごいおばちゃんマネキン」と遭遇した。関東勢はこれだけでも感動していたが、僕は大阪・鶴橋高架下商店街のLLサイズ専門店「五一屋」のおばちゃんマネキンを知っていたので、その場で固まるほど吃驚した。そっくりなのだ。恐らく生き別れの姉妹に違いない。



 

左:表通りから一歩入ってもなお、こういう建築が沢山あった。
右:「おばちゃんの店」のすぐ近所、なんとバス通りに面して強烈な電波を発している張り紙だらけの店舗住宅があった。



 

左・右:同じくデムパ系住宅にて。



上:真っ暗で殆ど写っていないが、洋館歯科医であった。昭和初期に建てられた、小杉歯科医院である。



上:川越市駅から東武東上線の急行に乗って、池袋へ。池袋駅新北口周辺は怪しげでアジアンゴシックな雰囲気のネオ・チャイナタウンと化しつつある。そこでも一番といわれる満州料理店「永利」で晩餐を食するためである。いまや懐かしくレトロな雰囲気といえるポルノ映画館もあった。



上四枚:ド迫力の「永利」晩餐会であった。店員は勿論、客も殆ど中国人なので、ワカメ女史の北京語が大いに役立った。

 

 

左:同日夜、龍丸邸にて。とっても可愛い、伯爵の孫のみぃあ姫。さすが伯爵の愛猫ちはる姫の娘だけあって、本気で美人猫である。首輪はなんと「アリス・アウアア」製。純銀の鈴がよく似合っている。
右:翌日は横浜美術館まで、開催中の「ゴスロリ展」を見に行ったが、一緒に行った龍丸、リュミ女史ともども唖然とするほど下らなかった。うんこである。横浜美術館のキュレーターの企画力は、滅茶苦茶お粗末らしい。よくこんなもんを人に見せたもんだ。高校の文化祭レベルとしか言いようがない。



上:このナチスが好みそうな建物が、横浜美術館。



上三枚:最終日、また自由が丘に出向き、蜜柑女史と「カントリー」にて午餐を食した。



上:自由が丘デパートにて。なんという矛盾と差別か(笑)。



上:雪の御殿場インターにて。いつも気になる廃墟ビル。建設途中で放棄されたものらしい。



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