2010年関東下向記N



 

左・右:更新をサボっていたので、既に一昨年の冩眞になってしまった。2010年11月20日、東下りして龍丸邸に逗留。拙宅で生れたみぃあに会った。愛猫ちはるの娘なので、僕にとっては孫に当る。とにかく美人で人懐っこくて可愛い子である。



 

左:翌21日、龍丸邸から龍丸、リュミさん、洋子ちゃんと一緒に車で鎌倉へ向う。甲麓庵歌會関東例会なのだ。途中見つけた何やら恐ろしげな注意書。「それなりの処置」ってどんな処置なんだろう(笑)?
右:若宮大路を車で急ぐ。途中車窓から撮影した見事な看板建築の蕎麦屋・中華料理屋。



 

左:鎌倉のメインストリート、若宮大路の真ん中にある鶴岡八幡宮の参道、段葛。これは二の鳥居である。
右:若宮大路の東側にある、モダニズムスタイルの犬猫病院。



 

左・右:若宮大路の東側にある鎌倉雪ノ下カトリック教会。1958年築なので、如何にもの戦後モダニズムスタイルである。



 

左:秋の行楽シーズンの日曜日だったので、段葛はとても混雑していた。
右:風情のある蕎麦屋も行列である。



 

左:バブル期にラルフ・ローレンとして建てられたちゃちな偽レトロ建築、三井住友銀行鎌倉支店。
右:1936年に建てられた看板建築、湯浅物産館。鎌倉市指定景観重要建築物である。



 

左・右:現在は邦榮堂書店になっている、かなりモダンな看板建築。1933年らしい。



 

左:鶴岡八幡宮門前にある八万堂。ここではその昔買い物をしたことがある。
右:鶴岡八幡宮正面にあるアール・デコ調のステンレス製燈籠。対であるが、これは正面向って左、つまり西側のもの。



 

左:ステンレスなので新しく見えるが、裏に回ると右書きで「奉献 東京都日本橋區本町四丁目 河合佐兵衛」と書かれている。間違いなく戦前のものである。非常にモダンな感覚である。
右:賑わう鶴岡八幡宮。



 

左・右:石段脇に、その年の秋の颱風で折れた大公孫樹がある。既に沢山の新芽が出ていた。



 

左:石段下から三の鳥居方向を見る。
右:これは東側の燈籠。「東京新橋 製作者 コ搴v五郎」とある。



 

左:東側燈籠全景。
右:このマークは資生堂なのでは?



 

左:大仏茶廊の近くにあった、昭和初期と思しき木造モルタル塗りの洋館。



 

左:同上。
右:「大仏茶廊」の看板。猫入りでとても可愛いし、建物も大正八年に建てられた数寄屋造りで素敵なのだが、お値段は全く可愛くなくはっきり言ってぼったくりである。



 

左:大仏茶廊の門前にて、歌会メンバーの月影先生。
右:旧野尻邸の銘板。



 

左:鎌倉市内各所に残る、鎌倉町青年會が大正7年に建てた旧跡石碑。
右:鎌倉に二つある星野写真館。どちらも素敵な洋館である。



 

左・右:当サイト二度目の登場の星野写真館。データ不明だが、昭和初期と思しき、木造モルタル塗り二階建ての洋館である。



 

左:勿論現役の写真館である。徹子さんが写り込んでいる。
右:フランク・ロイド・ライト式を取り入れた個人住宅、新井家住宅。星野写真館の近くである。



 

左:玄関周りにライト式の特徴がよく出ている。
右:表札も味わいのあるもの。



 

左:新井邸、全体の造りは和風である。
右:フクロウ小路(袋小路の洒落か?)に入る。木の向こうの洋館は北脇家住宅。



 

左:北脇家住宅の正面ファサードと門。実に可愛らしい洋館である。
右:フクロウ小路の空き地から見た三矢家住宅。



 

左:フクロウ小路の空き地には古い瓦や石材が山積みになっていた。
右:空き地から見た北脇邸。



 

左:空き地の脇にあった古風なアパート、寿々喜荘。
右:鬱蒼とした藪の向こうに見える三矢邸。



 

左:三矢家住宅の門。綺麗に改修されてしまっているが、古い洋館である。
右:帝国海軍大将の邸宅として昭和初期に建てられた豆腐懐石「ひさご亭」。入ってみたいが、豆腐が大嫌いな僕にはどうしようもない。



 

左:ひさご亭の玄関。
右:「岐れ路」という風情のある名前の交叉点。この日の歌会で僕は

バス停の名は岐れ路小雨降る橋を渡れば道の狭まる  不可止

と詠んだ。



 

左:鳩サブレーと共に鎌倉土産の定番、かまくらかすたー
右:橋の袂に丸ポストがあった。渡ってくる洋子ちゃんと龍丸が写っている。



 

左:歌会の会場となった、鎌倉投信本社に到着。
右:同、玄関。



 

左・右:玄関前から庭へ入るには、この瀟洒な門をくぐる。



 

左・右:座敷の縁側から見事に見える庭園。



 

左:吟行メンバーが写っている。隣家がプレハブなのが残念。
右:裏はそのままである。



 

左:古井戸もある。
右:僕の車。



 

左:再度玄関。
右:座敷にて歌会。徹子さん、221kei氏、龍丸。



 

左:帰路、川崎市幸区にて。幾ら地名だからといって、「さいわい葬祭センター」はどうかと思う…。
右:東京都世田谷区、徳富蘆花旧宅近くにある凄まじい趣味のマンション。たとえ金をやるから住めといわれても躊躇するセンスである。



 

左・右:その裏にある別のマンション。この界隈はこういうセンスの人間の巣窟なのだろうか?



 

左:龍丸邸に帰宅して、みぃあと遊ぶ。
右:翌22日に見つけた、廃団地。



 

左:同じ団地。どうやら公務員宿舎らしい。
右:表参道ヒルズの外れに、申し訳のように復元されている旧同潤会アパート。



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