骨董建築写真館 さようなら甲子園阪神パーク&宝塚ファミリーランド篇(下)
骨董建築写真館

さやうなら甲子園阪~パーク&寳怎tァミリーランド篇(下)


 

左:上篇は阪~パークを紹介したので、下篇では寶怎tァミリーランドの写真を紹介したい。まずは阪急電車宝塚駅からファミリーランド、宝塚大劇場に至るプロムナードとして有名な「花の道」。驛が高架化された上、沿道にマンションなどが建ち並び、震災以前の風景は様変わり、すっかり風情がなくなってしまった。松林が残っているのは、この道が武庫川の旧堤防だからである。
右:正面ゲートからファミリーランドに入園する。右端に写っているのは社団法人現代風俗研究会の面々。


 

左:園内にあった売店。神戸の名門子供服店「ファミリア」と、玩具の「キディランド」が出店していた。関西の子供服ブランドというと和歌山毒カレー事件で一審死刑判決を受けたH女史が報道陣に水をかけた時に着ていた南河内のメーカーが知られているが、実は阪神間セレブ、「細雪」文化圏の人間にとっては子供服はファミリアしかありえない。もちろん僕も妹もファミリア育ちである。
右:乗馬コーナーにいたポニー。


上:氷雨はやんだが、ひねもす冷たく寒い一日であった。メリーゴーラウンド、ジェットコースター、モノレール、二重観覧車を遠望する。


 

左:寶恟ュ女歌劇の本拠地、寶恆蛹場が無知無能愚昧な阪急電鉄によって建てかえられてしまった現在、往時の雰囲気を唯一今に伝える旧寶怏フ劇記念館。素晴らしい洋館だが、これも閉園後はどうなることやら心配される。背後に見えているのはロッキード事件で悪名高い犯罪企業、大阪の恥、総合商社丸紅が建てている醜悪極まりない超高層マンションである。
右:記念館の正面玄関。金網で閉鎖され、株式会社宝塚クリエイティブアーツの表札が出ている。
※二千四年春より中華料理店「龍坊」として保存、再生されたので、一安心である。(二千四年七月二十日追記)

上:宝塚歌劇記念館の文字が残っている。それにしてもバックの超高層マンションは醜悪極まりない。


 

左:記念館全景。
右:大温室の入り口にいた案内バード。ぼろぼろで実に不気味だが、人が近づくと動いて解説をしゃべりまくる。


上:大温室全景。ロンドン万博のクリスタルパレスを真似たのだろうか、かなりの年期物でいい感じであった。


 

左:このように、温室内の要所要所に、案内バードは何羽もいた。
右:ふざけた名前の桃の木を発見。

 

左:真ん中が太腿の木、右は大太腿の木だそう。
右:大太腿の解説。あまり桃には見えない実である。生食はできないそう。


 

左・右:大温室裏手の手摺りと鉢。非常に歴史を感じさせる美しいつくりである。


 

左:園内を横断する一般道路、桜橋。これも古風なコンクリート橋である。
右:宝塚ファミリーランドでもイベント館の一角でさよなら展を開催していたが、阪神パークの歴史展と比べると規模は十分の一以下、スカ屁のようにしょうもない展覧会であった。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの阪神電鉄と今やいつ倒産してもおかしくないがたがたの京阪神急行電鉄、永遠のライバルであるこの二大私鉄の現状がこんなところにも現れていた。これは毎年夏にやっていたゲゲゲの鬼太郎お化け屋敷のポスター。僕の子供時代のものだけに非常に懐かしい。


 

左:無表情な子供たちがいい味わいの戦前のポスター。
右:非常に保存状態のいい戦前のポスター。これは電車内に掲示されたものか? 阪神急行電鉄という社名は戦時統合で京阪神急行電鉄になる以前のものである。

 

左:軍国主義の香りぷんぷん、戦前のポスターである。ビオフェルミンのロゴは昔から同じだったことがわかる。神戸の誇る伝統薬である。
右:戦前の大劇場の写真。手前は武庫川である。


 

左:ファミリーランドのシンボル的アトラクション、大人形館がリニューアルオープンしたときのポスター。本当にやる気のない展示で、もう紹介する写真がない。
右:会場の外で、大家族に頼まれてシャッターを押す現風研メンバー。


上:展示はしょうもないし、寒かったので、大人形館に入ることにする。立っているのはアルバイトの案内嬢。


 

左:船に乗ってさぁ出発。滅茶苦茶懐かしい(ToT)。
右:こうやって世界の風俗、祭などを象った人形を船に乗ってみて回るアトラクションである。穢らわしい右翼の旗が見えているのは船につけられていたもの。

 

 

 

 

 

 

以上12枚:いずれも大人形館の人形たち。どこの國を象っているかは大体お判りになるでしょう。これらの人形たちが動くことはもう二度とないのだと思うと、非常に寂しい。

上:エジプトコーナーの入口はスフィンクスのついたピラミッドをくぐって入るというかなり無茶苦茶な構造に(^_^;)


 

左:鉄道会社経営の遊園地なので、このような展示物もある。阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道の明治期の車輛である。
右:ファミリーランドのシンボル、二重観覧車。狭い敷地でかなりの高さを求められた設計者の発案だそう。


 

左・右:乗ってみる。


 

左:真下から見上げたところ。雨は既にやんでいたが、非常に寒かった。
右:観覧車から眺めた新・宝塚大劇場。

 

左:なぜだか阪神パークではなく宝塚ファミリーランドの方の目玉として飼われていたホワイトタイガー。可愛いがシャイな子で、なかなかカメラの方を向いてくれなかった。
右:電車館にあった、本物の電車のノッチを使ったコントローラーでHOゲージの鉄道模型を動かす玩具の表示だが、200円硬貨などというありえないものを投入しろと書かれていた(+_+)。


 

左・右:桜橋の袂にも、モダニズムスタイルながら恐らく戦前のものと思われる蔦に覆われたビルヂングがあった。
※これは旧宝塚音楽学校で、1935年築の近代建築、阪急電鉄は取り壊しの方針だったが、宝塚のシンボルとして多方面から保存の声が上がっており、宝塚市が買い取って資料館として整備されることに決定した。(二千四年七月二十日追記)


 

左:園をあとにし、宝塚新大橋を渡ってファミリーランドを振り返ったところ。
右:阪急今津線宝塚南口駅前にある、阪急グループ一の格式を誇るクラシックホテル、寶怎zテルの本館大階段。戦前はノーネクタイでは入れない超一流ホテルだったとのこと。


 

左:不細工な建て増しが行われているが、これが宝塚ホテル旧館の外観である。
右:外壁のテラコッタ装飾。凝ったデザインの窓に注目。


  

左:大階段の親柱。
中:大階段を上りきった旧館ロビーの突き当りには、古いビルに良くある、エレベーターとそれを取り囲む階段室がある。エレベーターはオリジナルの手動式ではないが、この二代目エレベーターの呼び出しボタンも既にして骨董品になりつつある。
右:エレベーター兼階段室の階段親柱。パラボラアーチの木製である。


 

左・右:旧館ロビーの天井装飾と柱頭。照明以外は往時の雰囲気を良く留めている。

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