
阪~間雜記Y

左・右:本章は前章に引き続き、2008年12月23日撮影分で構成する。撮影隊一行は大物駅から西へ方向を変え、阪神電車尼崎車庫に沿って歩いた。タイル張りの土台を持つ地蔵の祠。傾いている。

左:タスポ不用の自販機だが、なんともはや(笑)。
右:旧尼崎警察署を目指して南下すると、ちょっとモダニズム風デザインの文化住宅があった。

左:同じ文化住宅。なかなかデザインの質が高い。こういうのは建築家ではなく棟梁の仕事だろうが、センスのいい人だったのだろう。阪神電車の尼崎、大物両駅から徒歩10分かからないところだし、家賃は安そうだし、一人で住むには悪くないと思われる。
右:そしてこれが旧制尼崎市立城内中等学校。今は城内高等学校なのだが、この裏側の建物は学校とは別組織、市立地域研究史料館分室となっているようだ。1937年築、立派な鉄筋校舎である。

左:荒れ果てた裏門。これだけ見ると廃墟みたいだが、このドイツ表現派風の門柱は素晴らしい。
右:市立地域研究資料館分室。

左・右:同上。ちょっと手入れが悪いのが気になるが、非常に見ごたえのある建築であった。

左:当サイトでは既に何度も登場している旧尼崎警察署庁舎だが、裏門は初登場だろう。こちらは分離派風デザインである。
右:旧尼崎警察署。

左・右:尼崎警察署旧庁舎正面。このように、普段は閉鎖され廃墟然としている。

左・右:旧尼崎署細部。1925(大正14)年に置塩章の設計で建てられたもの。

左:尼崎警察署旧庁舎。
右:その真向いにある旧市立尼崎高等女学校。新制中学校などを経て、現在は市立文化財収蔵庫となっている。同じデザインだが、1933年、1938年竣工と、二期に分けて建てられている。

左:旧制尼崎高等女学校正門。女学校らしからぬ無骨な門で、しかもモダンな校舎との釣り合いも取れていないのが面白い。
右:そして現・城内高等学校。右側の講堂は敗戦直後、市会議事堂として使われたそうである。

左:正門と建物の中心軸はずれている。
右:高等女学校共々かなりモダンな建物で、装飾的要素は少ない。

左:玄関両脇にはアーチ窓があった。
右:現役で頑張る丸ポスト。

左:市立中央図書館前に契沖生誕の地の碑があった。
右:開明橋を渡ると、城内地区の外になる。橋の袂にある、有名な飴の老舗老舗「ヒノデ阿免本舗」。

左:これがその飴。固形飴と水飴がある。
右:スクラッチタイル張りの「大津表具店」は、元は向井眼科という醫院だった由。昭和一桁ぐらいだろう。

左・右:些か綺麗にされすぎたが、これが旧制尼崎市立開明尋常小学校である。廃校になり、今は尼崎市役所開明庁舎として大事に使われている。国登録有形文化財。1937年の竣工である。

左・右:旧開明小学校。校庭はそのまま公園となっている。

左・右:廃校後塀の大部分は取り払われたのだが、五合橋線に面するこの部分だけ保存されている。一般市民、非戦闘員を平気で虐殺した残虐な米軍機による空襲、機銃掃射の跡である。欺瞞に満ちたハリウッド映画「メンフィス・ベル」ではB17爆撃機のパイロットが非戦闘員、一般市民の犠牲者を出さないために必死で爆撃ポイントを探すという実に下らないありえないシーンがあった。そういう糞映画を事実だと鵜呑みにする程度の低い米国人どもが、「原爆投下は必要だった」という妄執に取り付かれているのだ。最も日本の「ネットウヨク」も馬鹿さ加減においてそれ以下だが(笑)。

左:開明消防分団はなんと解体され、火の見櫓だけが残っていた( ̄□ ̄;)!!
右:あまり知られていないが、尼崎は城下町である。開明小学校前から五合橋線を渡ると、寺町地区に入る。これは全昌寺。空虚なこけおどしというほかない禅宗、曹洞宗の寺である。

左:こちらは日蓮宗(法華宗)大本山本興寺。日蓮宗は排他的で攻撃的で内輪揉めがすごいという印象が非常に強い宗派だが、ここはその中で本門流の四大本山の一つである。とにかく内輪揉めしては分派するので部外者には訳がわからんが、本門法華宗とは別の法華宗本門流の大本山、ということらしい。
右:本興寺山門の門扉。可愛い雀の紋は開山である日隆聖人の紋だそう。サイトに「上人」ではなく「聖人」と書いてある。因みに、僕は母方の姓を継がされているのだが、その家は古くは曹洞宗であった。そこに明治期に「婿養子」に入った曽祖父が日蓮宗を持ち込んだので、菩提寺が二つあるというややこしい状況になっている。クリスチャンである僕は他宗教を「ボロカス」に書くことは基本的に控えているのだが(基督教内の癌である改革長老派などは仮借なく叩くが)、日蓮宗と曹洞宗については僕は「部外者」ではないのだ。

左:京都の大寺ほどの境内地ではないものの、塔頭が六つも建ち並ぶなかなかの大寺である。
右:本堂の賽銭箱にも日隆聖人の雀紋と、日蓮聖人の鶴紋が記されていた。

左・右:勿論ソメイヨシノではないが、12月というのに桜が咲いていた。

左・右:建築的になかなか素晴らしいお寺なのだが、写真を撮る時は角度に気をつけないとこのように不細工な高層マンションが入ってしまう。

左:非常に手の込んだ瓦。
右:本堂の裏手の建物。塔頭ではないので、本体の庫裏であろうか。

左:立派な伽藍が連なっている。
右:尼崎にあって唯一城下町の風情を保っているエリアなので、こういう案内板もあった。

左・右:珍しい時宗のお寺もあった。平陽山安谷院善通寺である。踊念仏は是非見てみたいものだ。

左・右:石畳とイギリス積みの煉瓦塀。市街地にとは思えない静かな一角である。

左・右:いい雰囲気なのに、超高層マンションって「本当に邪魔」である。

左:実に味わいのある煉瓦塀。
右:梁石があるから、ここは元々はくぐり戸があったのだろう。こういう超芸術トマソン「無用門」はセメントでふさがれてしまっていることが多いのだが、ちゃんと煉瓦で塞いでいるところが素晴らしい。

左・右:寺町には窯元もあった。「琴浦窯」である。

左・右:寺町の外れまでやってきた。

左:そろそろ疲れたからお茶でも、ということになったのだが、この二軒はいずれも廃業していた。
右:下町の路地、遠景は紅白の高煙突という、なかなか萌える光景だった。工業地帯ならではである。

左・右:ということで、車一大通るのがやっとの旧国道を出屋敷駅近くまで歩き、この昭和の香り濃厚な素敵な喫茶店に入った。名前は失念したのだが、地図を見ると「純喫茶ブルドッグ」の辺りである。

左:クリスタル製のドアノブ。今では殆ど見かけない、希少なものである。
右:周囲の廃店舗。タイルが素敵。

左:出屋敷駅で解散後、更に一人で貴布彌神社附近を散策。未舗装の路地があった。
右:同所にて、ジントギの流し台。

左:路地の奥に、立小便お断りの赤鳥居があった。
右:立派な門付の高級長屋。但し切り離されて一軒だけになっている。

左・右:古い下町にはつきもののトンネル路地があった。ぶれているのは、実は相当薄暗くなってきたのだ。

左:トンネルを抜けて振り返る。
右:更に進んで絡もう一度振り返って撮影。

左:いい雰囲気の路地であった。
右:貴布弥神社に入ると、こんなふざけたものがあった。関西学院大学は、いうまでもなくメソヂスト系のプロテスタントミッションスクールなのである。幾ら白痴の体育会系とはいえ、これは何ぼなんでも無茶苦茶である。

左:神社の近くで、つやつやの黒にゃんこ様にお目にかかった。
右:もう人は住んでいないだろう古いアパート。

左:当サイト二度目の登場、旧前川悦三邸である。1940年竣工。
右:阪神尼崎駅近くのフーゾク街にて。幾らなんでもこれはひどい(笑)。