古川橋変電所篇(門真市)




 2007年3月6日、まだまだ寒い春先の河内・門真は古川橋を探訪した。地域のランドマークにして、門真市ではほぼ唯一といっていい文化財級の近代建築であった関西電力古川橋変電所が、放射能汚染で人類滅亡をもくろむガミラスのごとき悪の秘密結社というほかない劣悪極まりない悪徳企業関西電力の狡猾極まりない姦計により破壊されることになったので、急遽雄姿を記録するために出かけたのである。



上:京阪電車京阪本線は、この辺りは高架複々線である。いつも上洛時に特急の窓から「迫力ある建物だなぁ」と思って眺めていた、ネオ・ロマネスク様式の大規模な建物で、まさに地域のランドマークであった。市の博物館、美術館、資料館などとして保存再生するべきものだったのに、愚かな悪徳電力会社も、無能な行政も、どうしようもない。
 ということで、この写真はダイエー古川橋店屋上から。実際に歩いたことがある街ではないので、位置を確認しようととりあえず高いところに昇ってみたのだ。背後の山並みは生駒山系である。



上:北河内のこの辺りは、「日本一の文化地帯」といわれている(笑)。関西式の文化住宅(各戸独立した玄関と台所を持つ木造二階建て集合住宅)が密集しているからである。
 実際古川橋の街は、非常に小汚い雑然とした「戦後レトロ」そのものの光景で、戦前からの農村エリアの名残りを残しつつ、戦後急速に宅地化したことを思わせる痕跡が随所に残る、歩いていてとても楽しい、しかしごちゃごちゃしたところであった。何しろ舗装していない路地もあり、豪農の邸宅もあり、文化住宅も沢山あり、なのだ。街路も狭くてグネグネで、まっすぐの大きな道は殆どない。
 方向音痴の人間ならすぐに迷ってしまうだろう迷路のような路地をいくつも通り、古川橋変電所に至る。上に阿り下には威張り腐るという脳留守人間しか出世できない関西電力の幹部には、この建物の文化的価値を認識できるものは一人としていないのだろう。非常に芸のない、つまらない表札であった。



上:敷地が広く柵で囲まれている上、本館に近い北面は敷地と道路の間に民家が建て込んでいるので、なかなか本館に近づけない。しかしこの距離から見ても、非常に美しく立派な建物であることが判る。



上:更に門に近づいて、ズームレンズを使っての撮影。



上:関西電力という指定暴力団以下の悪徳企業は本当に吝嗇な犯罪集団で、敷地は塀ではなく、このように非常に安価な金網で囲まれている。



上:西面する門から北側に回りこみ、何とか建物の全景が見えるところに近づきたいのだが、建てこんだ街で本当に大変であった。屋根はスレート葺きで、大きな換気塔が連なっているのが見える。



上:金網の方にピントを合わせてアートしてみた(笑)。



上:本館の方にピントを合わせる。ロマネスク様式で、まるで教会のような荘厳な造りになっている。



上:この会社に美を解する人間が一人とていないことが一目瞭然の、ひどい使われ方。



上:辛うじて建物を見渡せるところに到達した。手前の草地も全て関西電力の敷地である。
 なお、この変電所は1922(大正11)年に、増田清の設計で建てられている。当初は大同電力株式会社の変電所だったとのこと。福沢諭吉の娘婿、福沢桃介が興した、木曽川水系の電力会社である。



上:同じ位置から、少しズームインして撮影。




上:このように変電所の敷地に沿って民家が密集しており、撮影しにくいこと甚だしい。




上:ファインダーを覗く昔ながらのカメラだと出来ない芸当である。カメラを高く掲げ、液晶モニターを見ながら塀越しの撮影。



上:同じく。外観は石積みではなく、コンクリート洗い出し仕上げである。



ようやく民家の間から、直接変電所の柵に近づけるところを発見。でもこれ以上は悪の関西電力の穢れた土地になり、入れない。



上:金網の間からレンズを突っ込んでの撮影。



 

上二枚:主塔のアップ。どうにも電信柱が邪魔であった。右側の工事用足場は、福沢桃介揮毫の扁額を外しているところ。そんなものだけ残しても何の意味もない。



上:まさに聖堂と鐘楼を思わせる造り。僕の撮った写真をご覧になった伯爵の友人で絵本作家の吉田稔美女史は「タルコフスキーの映画<ノスタルジア>に出て来る12世紀シトー派の教会の廃虚のよう」だと評されたが、本当にソビエト映画の巨匠、アレクサンドル・タルコフスキーの映画に登場しそうな、現実離れした、超常的雰囲気をたたえた印象深い建物であった。



上:北側に開かれた正面玄関はコンクリートで塞がれ、超藝術トマソンの一種無用門と化している。窓も殆ど塞がれているようだ。




 

左:母屋。教会なら聖堂に当たる部分。
右:主塔。教会なら鐘楼に当たる部分。




 

左:これは東側の側面。建て込んだ民家の間からの撮影である。
右:北側正面をもう一枚。裏手に見えているのは関西電力の手下どもの社宅。



上:この界隈、宅地化したのは戦後のことと思われるが、ところどころ旧来の農村時代の集落が残っていて、中にはこんなハイカラな、洋館附設数奇屋住宅もあった。村の名士かなぁと思って見てみたら、案の定お医者さんである。



上:同じお宅の全景。



上:医院の門。いい雰囲気である。黒くて読めないが、右側の大きな表札に医院と記されている。



上:ということで、古い集落に入り込んでしまったが、東面に回り込んだ。左手は社宅。



上:逆光だが、東面を見る。左手、つまり南側に翼部を持っていることが判る。ますます教会っぽい。右側、チラッと見えてるのが主塔のドームである。




 

左・右:主屋の東側には、モアイ像のような、ガウディのカサ・ミラの屋上の換気塔のような、不思議なフォルムの塔が建ち並んでいた。



 

左・右:いずれも母屋の正面附近。



上:逆光で見えにくいが、ロマネスク風装飾が施されているのが判る。



上:母屋南側の翼部。



上:更に回り込んだ。東側から東面を見たところ。正面のグレーの部分が母屋で、左側の白く塗られている部分が母屋から東へ突き出している翼部である。つまり上空から見たら十字架型になるはずである。完全に教会のスタイルなのだ。大規模なロマネスク聖堂である。右側の集合住宅は悪の手先とその眷属が住んでいる社宅。



上:翼部の南側は既に破壊工事用のシートで覆われてしまっている。母屋の向こうに主塔のドームも見える。



上:南側を見る。変電所だけにやたらと高圧線と鉄塔がある。



上:とうとう変電所敷地の南側に回り込んだ。覆われた翼部の横に主塔が屹立している。



 

左・右:変電所の南側は見事なまでのドブ川であった。ドブの中に塔があり、その上がマンホールになっている、不思議でシュールな光景である。左側は車の入れない狭い路地の入り組んだバラック街。



上:面白い看板。この辺りは北河内だから、河内音頭が盛んな土地柄なのだろう。



上:ドブに沿った路地。狭いので車は通れない。



上:僕らの世代の都会人にとっては、高度成長期を思わせるこういうドブ川はむしろ懐かしい。



上:南西側から主塔を見る。



上:再度ダイエーの屋上に。とても寒かったので、絹のマフラーを買った。



大和田駅から京都方面行の京阪電車に乗った。車内からの撮影を試みたのだが、これがなかなか難しい。画面中央左側に主塔が見えている。



上:民家の屋上の鉄柵の向こうに主塔が見えている。



上:ピントが甘いが、辛うじて中央付近に収めることが出来た。



上:主塔のシルエットが美しい。



上三枚:結局隣の大和田駅から、大阪方面行の電車に乗って再挑戦。しかしいずれもあまり上手く撮れなかった。



上:一番良いアングルから撮れたと思ったら、このようにボケボケの写真にσ(^◇^;)。非常に悔しいが、もうこの美しい建造物はどこにも存在しない。関西電力が文化的価値を一顧だにせず、破壊してしまったのだ。



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