骨董建築写真館 越前旅行篇
骨董建築写真館

越前旅行篇

2000年4月24〜25日にかけて、両親、そして「新アララギ」編集委員兼選者のI先生とともに、アララギ系の長老東條源四郎翁(95)を訪ねて福井県に遊んだ。その時の写真を元に越前篇を構成したい。曹洞宗の大本山である吉祥山永平寺の近代和風建築群は、ことに圧巻であった。(撮影者は特に明記しているもの以外アンリ伯爵である)
※2001年秋、東條翁は九十六歳で大往生を遂げられました。謹んでご冥福をお祈り致します。

上:北陸自動車道南条PAで見つけた、珍しい黄桜。実際には薄緑色である。大蔵省造幣局にもこのような色の桜がある。
下左:昭和八年に神戸の修行より戻った先代が創業した福井市一の老舗洋食屋、クラブ亭。内外装とも当時と殆ど変わっていないと思われる。
下右:同店内。何を食べても美味しいし、二代目の大将も面白い。お薦めは薄焼き卵ではなく上にふかふかのオムレツを載せ美味しいデミグラスソースをかけたスペシャルオムライス(\1000)である。(三枚とも撮影は父)

後列左から東條氏ご子息、「新アララギ」のI氏、僕、母。前で座っておられるのがアララギ派の長老東條源四郎翁(95)。

95歳とはとても思えぬ、矍鑠たる東條翁。

I氏と僕。(三枚とも父撮影)

 

左:東尋坊でのおふざけ写真。団体客が集合写真を撮るための背景の前に立って撮影。中央は僕の父である某教授。(I氏撮影)
右:東尋坊の夕日。(父撮影)

 

右:別に飛び込もうとしている訳ではない。(父撮影)
左:夕方だったのです。(父撮影)

東尋坊名物、自殺防止標語。あちこちに各宗派、各宗教のものが立てられていた。効果の点は甚だ疑問である。(父撮影)

  

左:旅館にて。(母撮影)
中:曹洞宗大本山吉祥山永平寺。道元禅師開闢の古刹にして曹洞禅の根本道場であるが、何故だか建物は殆どが近代以降、つまり明治維新後のものである(山門のみが江戸初期のもの)。したがって禅宗嫌いではあっても近代建築マニアである僕にとっては、なかなかに面白いところであった。この唐門も近代建築なのである。
右:床の飾り金具。ヨーロッパの教会に行くと、石の床に似たような金具があって暖房の吹き出し口になっているのだが、ここは木造だし吹き曝しの部分なので、単なる通風用であろう。山内いたるところの床にこの同種の金具があった。シャンデリアなどもブロンズ製で和風意匠の素晴らしいものがあったのだが、残念ながら暗過ぎて撮影できず。一眼レフも持っていくべきであった。(父撮影)


 

左:1930年(昭和5年)に建てられた木造四階地下一階という大建造物、大庫院(だいくいん)。
右:その解説板。(父撮影)


   

左:大庫院内部にある、素晴らしいアンティークエレベーター。ギャラリー第七篇の解説による分類でいうところの、C型である。
右:その階数盤。

 

左:永平寺唯一の近世建築である山門に掲げられた扁額。道元が永平寺の山号を吉祥山とした由来が漢文で書かれている。
右:福井は県都としてはかなり可愛らしい街だが、私鉄は二社も走っていて、うち一つは路面電車である。これがその福井鉄道。但し郊外では専用軌道を走るようで、車両自体はあまり路面電車的ではない。(父撮影)

  

左:福井藩主松平家の別邸養浩館に復元されている江戸期の雪隠。(父撮影)
右:見事な池泉回遊式庭園から臨む、復元された養浩館。(父撮影)

  

左:庭園の四阿。(父撮影)
中:殿様用の蒸し風呂は唐破風付。池の上に張り出して作られている。(父撮影)
右:母と僕。(父撮影)

 

左:養浩館の復元された螺鈿細工。(父撮影)
右:養浩館正門前にある、安達医院。昭和戦前期のものらしい、素朴な洋風建築である。


 

左:越前海岸で見つけたタクシー会社。“とのした”と読むのだろうが、どう見ても“でんか”である。思わずクックロビン音頭を踊りたくなる(笑)。
右:その近くにあった、木造寺院。雪国ゆえかこのように硝子張りと化した和風建築を沢山見かけた。

 

左:同上。
右:越前海岸で見つけた、その名も“ナルシスプラザ”である。つまりは越前海岸地方は水仙の名所なので、このような観光施設にナルシスと命名されたのであろう。しかし撮影のために車を降りて近づいてみたが、美少年どころか人っ子一人いなかった・・・・・・。

トップに戻る