伊勢宇治山田篇



 

左・右:2009年9月30日、「月刊あまから手帖」に連載していた写真コラム「『食と建築』クロニクル」の取材で、伊勢市を訪れた。伊勢市駅で近鉄特急を降り、伊勢神宮外宮の参道を歩く。



 

左・右:伊勢神宮というと「神道の本拠地」なのだが、参道はかなり昭和の香りが濃厚なところであった。この土産物屋さんなど、懐かしくていい雰囲気である。小学校の修学旅行を思い出した。



 

左・右:参道を進むと、この「山田館」が出てくる。素晴らしい木造三階旅館である。手前側もいい街並みなのに、邪悪な三菱銀行が景観を台無しにしている。



 

左・右:山田館正面。大正時代に建てられたのが中央部分で、1927年に両側を建増したらしい。



 

左:玄関に昔の写真が飾られている。
右:参道にしては広いのだが、それでも真正面からは全景を入れられない。



 

左・右:側面に回って裏側を見るとこんな感じ。一度泊ってみたいものだ。



 

左・右:そしてこれがこの日の目的地、フランス料理店「ボン・ヴィヴァン」である。



 

左:伊勢は中部東海地方とはいえまだ関西文化圏に属するので、一流店でありながらお値段は良心的。
右:スペイン風の赤い瓦が葺かれた洋館には、スペイン風のパティオもあって、まるで元からレストランだったように見える。ここは元々は逓信省山田郵便局電話事務所として建てられ、戦後は旧電々公社伊勢健康管理所となり、1938年から河瀬シェフによりレストランとして再活用されているのだ。逓信建築なので設計はモダニズムの巨匠吉田鉄郎、竣工は1923(大正12)年である。だからよく見たら決して素直なスパニッシュ様式ではない。一風変わった、非常に個性的な建築となっている。



 

左:瀟洒なパティオ。
右:外宮の鳥居前から見たところ。コの字型の建物で、黒いワンボックスの後ろにスペイン風噴水が見えている。最初の正面ファサードは奥の建物の反対側である。つまり敷地の両側が街路に面しているのだ。



 

左:パティオを見る。正面部分はフレンチと大きな個室、左側はカフェやショップに使われている。右側は別の団体がテナントとして入っていた。
右:なんとも独特な形状の破風。



 

左:美しくセッティングされたテーブル。
右:店内の様子。



 

左・右:壁の漆喰レリーフ。非常に可愛らしい。



 

左・右:このお部屋がフレンチレストランとなっている。担当編集者N嬢が写っている。



 

左:こちらがカフェ空間。ランチなど軽食やお茶が頂けるお部屋である。
右:店内の通路。ぶれてしまった。



 

左:入口ではケーキなどのテイクアウトもできる。
右:メインディッシュは松阪牛をお願いした。超絶的に美味しかった♪



 

左:まずは前菜。目の前の伊勢湾で取れた海の幸が素晴らしい。ソースのジェルも二種類のお味で、非常に手が込んでいる。
右:そしてお魚。



 

左:これはスープ
右:肉用ナイフは折りたたみ式であった。



 

左:そして先ほどの松阪牛が焼きあがってきた〜。僕は徹底的な肉食男子である。非常に嬉しかった(笑)。
右:最後のデザートまで、一分の隙もない完璧なメニューであった。



 

左・右:取材中に土砂降りになったので、車で近鉄宇治山田駅まで送っていただいた。伊勢市駅(旧名山田駅)はつまらないのだが、その隣りの宇治山田駅はこのように素晴らしい近代建築で、登録有形文化財となっている。いずれも特急停車駅である。



 

左:テラコッタ装飾の美しい塔。1931年竣工、設計は久野節である。高島屋難波本店(南海ビルヂング)の設計者として知られている。
右:このように、非常に立派な駅舎。近鉄としては伊勢市駅ではなくこの宇治山田駅を伊勢神宮の玄関口として気合を入れて作ったのだろう。それにそもそも、宇治山田とは伊勢市の旧名である。



 

左:バスターミナルから見た駅舎。
右:バスターミナルにあった石柱。昭和八年三月建之 宇治山田市ヘ育會と刻まれている。



 

左:「~都」宇治山田市の玄関口に相応しい威風堂々たるファサード。
右:乃武のコンコースもこのように重厚な佇まい。雨に降られた高校生たちが大勢逃げ込んでいた(笑)。



 

左:濡れた靴と靴下を脱いでたむろする高校生たち。
右:他客時用臨時階段。



 

左・右:実に素晴らしい空間で、駅コンサートなどもできそう。近畿日本鉄道の駅舎では、ここと橿原神宮前駅が登録有形文化財となっている。



 

左:天井。梁とスクロールが美しい。
右:柱には古い写真が掲示されていた。



 

左・右:同上。



 

左:同上。駅前には昭和レトロな市場があった。



 

左:魚屋の店頭に、昔懐かしい電動蠅払いが回っていた!!!!!
右:大雨だったせいか、静かであった。



 

左・右:サトちゃんが頑張っている薬局。



 

左:非常に控えめな注意書。「なるべく通らないで下さい」である。ここの市場は「めいりん村」と改名したらしい。
右:めいりん村n入口向かいに、非常に立派な商家があった。駅舎も見えている。



 

左:これは新名物だろう。
右:めいりん村の内部。



 

左:何故だか「乘」だけ旧漢字であった。
右:そしてホームへ。上屋もなかなかの年代物であった。手前の少年はプリティである(笑)。



 

左:どちらのホームも高校生だらけ。
右:まず鳥羽方面行きの電車がやってきた。なにやらラッピングされている。



 

左:鳥羽方面行きホームが見事に無人になって、続いてい背中側方面息の普通電車がやってくる。
右:近鉄山田線は一応本線格の路線のはずなのだが、このようにわずか二両編成のワンマンカーであった。こちらのホームも誰もいなくなった。特急を待っているのは僕らぐらいだったのだ。



 

左:誰もいないホーム。
右:帰りの特急の車窓から見た、大阪線榊原温泉口駅前の「珍スポット」、ルーブル彫刻美術館



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