舊作補遺湖國近江八幡篇



 

左・右:本編制作は2010年2月なので、相当古い写真からのスタートとなる。これは2004年8月22日、僕はアーティストとして琵琶湖ビエンナーレに参加した。くれぴ少年と、ビエンナーレの会場となった近江八幡市へ行ったのだ。この写真は甲麓庵歌會の会場ともなった近江牛の老舗「かね吉山本」の別邸。左は蕨餅アーティストのフィリップ女史である。



 

左・右:旧近江ミッション堅田基督教会館。現日本基督教団堅田教会。勿論ヴォーリズ建築で、竣工は1930年である。可愛らしいゴシック様式の教会堂。(2004年8月22日)



 

左:「かね吉別邸」前にて、ビエンナーレ参加アーティストのパフォーマンス。当時の僕の愛車、Alfa-Romeo156が写っている。
右:イベントの合間を縫って、くれぴと琵琶湖で泳いだ。宮の浜水泳場である。



 

左:なかなか風光明媚なところであった。砂浜が芝なのは、淡水ならでは。
右:近江八幡市のこの辺り、リアス式海岸のようになっている。沖島の見えるこの港は堀切港



 

左:堀切港に浮かぶ大船と小船。沖に見える大きな島が沖島小学校もある有人島である。
右:堀切港の浜辺。大きな錨が放置されていて、海のような光景。



 

左:近江八幡旧市街へ戻った。「どっきんこ」ならまだ解るのだが、「どっきこ」であった(笑)。
右:屋号付の表札であった。



 

左:琵琶湖ビエンナーレ蕨餅歌会吟行。これは近江八幡市立かわらミュージアムの屋外展示。かなり雨が激しく振ってきた。
右:雨の八幡堀



 

左:運河沿いにあった廃墟。
右:初めて近江八幡を訪れた80年代には崩れかけた廃墟であったが、白雲館として見事に修復されていた。1877年に建てられた旧八幡東学校である。



 

歌会・僕の講演のあと、フィリップ女史のパフォーマンス。八歳児、風太が写っている。



 

左・右:ここからは2007年10月21日。この年、また琵琶湖ビエンナーレが開催された。ビエンナーレなのに三年ぶりである(笑)。前回同様フィリップ女史と「蕨餅歌会」として開催、このたびの会場は近江兄弟社学園ハイド記念館であった。まずは吟行で、構内を散策した。これはヴォーリズ設計の教育会館(登録有形文化財)、1931年竣工。



 

左・右:近江兄弟社学園教育会館の細部。



 

左:菱形の小窓がいい感じ。
右:ステージには十字架が。チャペルとしても使われたのだろう。吹奏楽部の楽器が並べてあった。



 

左・右:ハイド記念館一階の広間。ここで歌会を行った。



 

左・右:広間の暖炉。ヴォーリズ夫妻の写真が飾られている。



 

左・右:暖炉の中には「ねむるブタ」と題された陶芸が。しかしこれ、窯の中で破裂して崩れてしまった「失敗作の壺」だろう。面白い。



 

左:ハイド記念館に全員集合し、いよいよ吟行へ出発である。一番手前の横顔は大学生となったくれぴ少年、右の帽子はrjuka君。
右:教育会館と棟続きのハイド記念館。こちらも同年竣工で、登録有形文化財となっている。



 

左・右:左側が教育記念館、右がハイド記念館である。



 

左:教育会館のファサード。
右:校門の外から教育会館を見る。門と塀もいい。くれぴがチラッと写っている。



 

左:逆光だが、校門前から見たヴォーリズ記念館(旧邸)。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの自邸で、これも1931年の竣工。
右:反対側に回って撮影。



 

左・右:ヴォーリズ旧邸(一柳記念館)の正面は学園とは反対側である。当初から駐車スペースが設けられていたようだ。



 

左:くれぴが写っている。門も門扉もいい雰囲気。
右:その近くにあった古い民家。タイル張りの柱が面白い。触っているのはくれぴ。左にはリューティストのうさぷー女史が写っている。



 

左:犬小屋の屋根に乗った犬。日本版スヌーピーである。
右:さすが湖国。



 

左:古い町家がビエンナーレ会場として公開されていた。うさぷー女史が写っている。
右:歴史的景観がよく残っている近江八幡の旧市街。



 

左:民家の玄関に貼られていた琺瑯製プレート。
右:民家の軒先に吊られた謎の札。



 

左:近江商人発祥の地の一つだけあって、大きな商家が多い。
右:怖い貼紙。



 

左:些か傷んでいるが、大きな町家である。
右:白雲館の塔。



 

左・右:白雲館正面。かつてはこのバルコニーが崩れかけていた。



 

左:白雲館の真向かいは、日牟礼八幡宮の参道となる。近江の國の八幡(はちまん)の町、が市名の由来である。市制施行以前は八幡町であった。市になる時、先にあった福岡県旧八幡(やはた)市と区別するために旧国名近江をつけた。そのご八幡市は北九州市となった。そのあとに京都府久世郡八幡(やわた)町が市になったのだが、既に福岡の八幡市はなく、滋賀のほうは近江八幡市であったので、山城八幡市や京八幡市ではなく、単に八幡市となったのである。つまり、普通なら同名の都市で市名に旧国名を冠しているほうが新しいのだが、近江八幡市の場合は京都の八幡市より古い市ということになる。
右:八幡堀に掛かる八幡宮参道の橋。



 

左・右:橋上から八幡堀を見る。



 

左・右:岸辺の道に降りて八幡堀を散策する。



 

左:橋の下でシンナーを吸う真似をするくれぴ(笑)。
右:水郷巡りの舟。



 

左・右:二年前より更に廃墟化が進んでいる運河沿いの廃墟。



 

左:蔦の絡まった石段。
右:屋形船の名前はべたべたであった(´ω`;)。



 

左:水は濁っていた。
右:八幡堀の景観。



 

左:ほぼ同じ位置から。
右:これも同じく。甲麓庵歌會一行が写っている。



 

左:水面には鴨がいた。
右:前回は土砂降りに見舞われたかわらミュージアムにて。



 

左:かわらミュージアム。
右:古い石垣の溝。



 

左:歌会にて暗黒舞踏を舞うくれぴ。
右:アーチリュートを弾くうさぷー女史。



 

左・右:踊るくれぴ。



 

左:踊るくれぴ。
右:1950年代と思われる、モダニズム風のかしわ屋さん。



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